ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

言葉を出し続けるにしても。

2012年05月24日 22時26分20秒 | まんまねーさん
○トーク(×会話、対話)し通しで喉を使うのと、唄い通しで喉を使うのでは、「○トーク(×会話、対話)し通しで喉を使う方が喉がヒリヒリ痛くなる・・・」ということを実感中なのだが、どういうことでしょうか。(苦笑)

7時間唄い通しでもへいちゃらなんですけども。

唄いながら音階を出すのと、喋りながら抑揚をつけるのって、喉の使い方が違うのね??

自然に喉を使えるのって唄う方だったりね。
トークは矯正というか不自然さを自然に見せる作り込みが必要な分、喉を酷使するのかね。

「いいんだよ、言う通りにやってくれれば」「いいんだよ、ついてきてくれれば」

2012年05月24日 21時47分17秒 | 2種分ねーさん
「いいんだよ、言う通りにやってくれれば。」

やっだよぉーーー。
「しかしこの人怪しいな・・・」の目~~~~。



「いいんだよ、ついてきてくれれば。」

ほいほーーーーい。
「しかしこの人大丈夫かな・・・」の目~~~~。



怪しい人にはどうも(自然に)距離感を置く誰かさんであった。

大丈夫かな?の人とはどうも(自然に)距離感を置く誰かさんであった。


「怪しいけど考えなくていいしそのままやってりゃいいから楽だからいいや~~」で距離間を縮める誰かさんであった。

「大丈夫かな?と思うけど考えていそうだからひとまず信頼してみっか?」で距離間を縮める誰かさんであった。

「売れる」っていうのは「沢山売りたい」という設定がない。

2012年05月24日 20時51分14秒 | 伝われねーさん
「売れる」っていうのは「沢山売りたい」という設定がない。
「売る」っていうのは「沢山売るぞ」という設定がある。


「売れる」発想でいいじゃんかぁ。
それがいくつも沢山出てくれば、独占も独裁も妙なデキレースも人を○おちょくった(×からかった)ような戦略もなくなるで。

回転率の上げ方。

2012年05月24日 19時35分30秒 | 観察屋ねーさん
ルール縛りして、作業フローにスクリプトまでかまして、それを暗記させて、「その通りに動いてください!」と人間をロボット化させて回転率を上げる方向に頭の計算が進んでしまう人って、これ、結構いるんだよねぇ。

「バカじゃないかなぁ?」って思うんだけどもね。(失敬)

回転率を上げたいのは収益を上げたいということなんだろうけども、人間の回転率を上げようとしても○無茶(×無理)なのだよ。

「回転率を上げる必要あり!」って時は、そういう時こそがシステム化なんだよね。
「それ通りに(何度も)やればいいならば機械(コンピュータ)任せにさせたほうがいい」ってことです。

そこへの投資発想が出来ないところは商売センスがない・・・というか。
「(覚えてください、覚えてくださいって)学校じゃないんだからさぁ・・・」っていうか?


例えばですけど、販売員の応対回転率を上げさせるために、

「もっと早いピッチでトークして。」とか、

「お客様のほうに選ばせないように。(「迷わせないように・・・」といいながら本音はココ!)」とか、

「詳しい説明はいらない。突っ込まれて長くなるから。」とか、

そういう指令が下ったとしますよ。


そもそもそれで応対できる商品だったならば、機械(またはコンピュータ)にやらしたほうがよっぽど回転も上がるし効率もいいのですわ。
つまり、そこに思考が向いてないってことは、そもそも「販売計画(=経営計画)が充分に考えられてない(その場しのぎ)」ってことなんだと思うんですわ。


「戦略的にやってます」って言ってても、計画的な戦略ならば、よくありがちな戦略(計画性がないその場しのぎ)と違うのですわ。


人間に回転率を求めるとどうしても感じは悪くなるんですよねぇ・・・。
多分、裏側で誰かムチを打つ役の人がいて、そこでヒーヒー言ってる人がいるんですよ。
これ、「叩かれて(煽られて)、ムカムカ!」っていうのと違うんですよ。
ヒーヒーはイライラ(キレるか、○逃げる(←(×回避)無責任につながるの。))に繋がっていくわけです。

いくら丁寧語や謙譲語がペラペラさらさら流ちょうに出てきたとしても、「なんだかな・・・オイ、こっちにもしゃべらせろよ。息させてくれよ。」って感じを与えるんですよね。

「この方の稼働率はバツグンです」となっても、決していい空気感にはならないのですや。



まぁ、だい~ぶ昔にこのブログにも記録しておいたんだけど(実感することがあって)、人間に回転率求めて稼働率をはかるのは愚の骨頂(この上なく愚か)であります、ハイ。
回転率を上げるためには、システム(作業フロー)自体を○改良(△改善)する、一掃するってことをやらないとダメですね、ハイ。
その場しのぎのツギハギで増やしたようなシステム(あれもこれもそれもを使わないといけない、ひとつの串刺しになってないヤツ。その上操作性も統一性がなくてバランバランとか。)で、まぁ複雑にややこしくなったものを、ルールや手順で縛りをつけて、「暗記して早く使いこなせるようになってください!大丈夫です、言われたとおりにやれば。」って無茶苦茶なところ、結構ありますよね。


「人間が人間を疲弊させて、どーすんのかなぁ・・・」みたいなね。


(妙に)頭がいい人はこれもやりこなせちゃうんだけどもね。
○ロジック変換(×作業フロー構築)できちゃうんだと思う。
けどもこれ、そもそも必要がないし~~~、そんなことをする必要性がギモン~~~~、つか、(先々)危険な香りがいっぱい・・・。



「売れる」と「売る」

2012年05月24日 19時23分36秒 | 2種分ねーさん
わざわざ売りトークしなくても陳列すれば売れる物というのを相手にしているほうがウソもなけりゃ心が入っていてハッピー。

こちらは「売るぞ!」戦略とか特にかけてなくて、「欲しい!!」対策&対応を練っていればいいわけで。


知り合いに、

「モノ自身が相手に勝手に語るから、人間から「あーだのこーだの、これのここが素晴らしいんですよ。」としゃべる必要はないの。しゃべるな。黙って相手をよく観察してろ。」

とよく言う人がいる。

「売れるものは何もしなくてもそれ自体がキッチリと語るからよけいなセールストークは不要!
それよりも相手をよくウォッチングしてなさいよ。」

っていう考え方。


まぁ世間は「売る」という発想の戦略がかかりすぎているけども、「売れる」という着想への変換がないと、「リッチかプアーか?(=金)」に分かれるだけで益々「金とかステータスの計算だけしてりゃいい」に傾くだけ、「豊かか貧しいか?(=心の充実)」の分かれに対する思考をしなくなっちゃわないかね。