ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

頭痛に繋がる甘いもの

2023年10月07日 23時13分00秒 | 掘り出ねーさん
甘いものは子供時代からすきではあるんだけど、食べた後に何だか頭痛がして(いちいち言わなかったけど)「なんでこうなるかな」「あー、なんか気持ち悪い」と思わされるものでした。

ジュースやお餅類にもその類がありましたっけ。白米には無いのに。

昨今甘いものを食べてもあのような頭痛に繋がるものはほぼ無く、詳しく調べたことはないけれど「添加物が何か変わったか、それを添加しなくなったか」と、想像している。

今日スーパーに行ったら、あのパン製造会社とあの菓子製造会社がコラボした甘いパンケーキ系(チョコクリームが挟まっている)(菓子製造会社ではその商品に似たものを既に出していてこちらは美味しかった(頭痛なし))なるものが新発売で陳列されていて、思わず購入。

3時のおやつがわりに食べたところ、子供の頃に感じた頭痛(強め)に見舞われ、「あら?あらららら??マズっ」と感じた次第。

あのパン製造会社は噂の中ではヤバい話を良く耳にし、目にするけれど、他の昔からの定番商品でこうなることはなく、何か特定の製造方法に使われる添加物が私に合わないんだな?と改めて実感。

何だろな。

備忘録

2023年10月07日 13時45分01秒 | 掘り出ねーさん
森鴎外「寒山拾得(かんざんじっとく)」

全体世の中の人の、道とか宗教とかいうものに対する態度に三通りある。

自分の職業に気を取られて、ただ営々役々えきえきと年月を送っている人は、道というものを顧みない。これは読書人でも同じことである。
もちろん書を読んで深く考えたら、道に到達せずにはいられまい。しかしそうまで考えないでも、日々の務めだけは弁じて行かれよう。
これは全く無頓着人である。

つぎに着意して道を求める人がある。
専念に道を求めて、万事をなげうつこともあれば、日々の務めは怠らずに、たえず道に志していることもある。
儒学に入っても、道教に入っても、仏法に入っても基督クリスト教に入っても同じことである。
こういう人が深くはいり込むと日々の務めがすなわち道そのものになってしまう。

つづめて言えばこれは皆道を求める人である。

この無頓着な人と、道を求める人との中間に、道というものの存在を客観的に認めていて、それに対して全く無頓着だというわけでもなく、さればと言ってみずから進んで道を求めるでもなく、自分をば道に疎遠な人だと諦念あきらめ、別に道に親密な人がいるように思って、それを尊敬する人がある。

尊敬はどの種類の人にもあるが、単に同じ対象を尊敬する場合を顧慮して言ってみると、道を求める人なら遅れているものが進んでいるものを尊敬することになり、ここに言う中間人物なら、自分のわからぬもの、会得することの出来ぬものを尊敬することになる。

そこに盲目の尊敬が生ずる。

盲目の尊敬では、たまたまそれをさし向ける対象が正鵠を得ていても、なんにもならぬのである。


正鵠を得るとは?
物事の要点を正しくおさえる。


つまりは尊敬ってわかりやすい類(肩書きやら成績やら名誉)ではないし、

「あの人には尊敬に値しなくても私には尊敬に値する」

っていう何かを先ずは自ら得てる上で尊敬の心があるんであって、

意味のないただの尊敬(肩書きやら成績やら名誉があるもの🟰尊敬)っていうよくあるやつは、

「皆と同じところにいたい(同じ感覚でいなきゃ)」

というような同調と変わらないから、考えてないし、根底には自ら体験はないのが多いよねー。

尊敬って簡単にはできるものじゃないのだし、尊敬なんて簡単にしなくてもいいものかと。
自らが何かしらの思いを得てなければなんもならぬのだから。

感謝の方が大事だわ。

私は盲目的に尊敬する人はいませんねぇ。
道を求めてもいないしなぁ。

道理は大事だと思うけど、求めてるものではなく、

「道理を外したら最後の最後に人生間違えるよ?
(おそらくこんな人ばかりが増えたら継承していけなくなるっていう危機的意味(子はいませんが、世の中がっていう意味かなぁ。)」

と天からの戒めが常にあるので(何ででしょうね?わからん。)、意識はしているといいましょうか。




昔よくあった忖度の押し付け(その1)

2023年09月27日 11時54分00秒 | 掘り出ねーさん
忖度強要例1

会社を休んでいる方宛に電話が入った時に、「お休みです」と伝えるのは御法度の人らが一部いた。(ま、大体が経営陣やら営業職の一部)
「そんな忖度は知らんわ、◯ややこしー(✖️面倒くさい)」とばかりに「本日はお休みを頂いております」と伝えると、ここぞとばかりの「常識知らずだなぁ」「言っちゃうなんて信じられない」「そういうの困るな」的なモラハラに繋がる言葉を投げる人らが一部いた。

なのでそれに違和感から怒りを抱く人はその集団にはなんとな〜く馴染めないことに、、、

(一見するとカッコ良さげ、オープンにスマートに、優しげに接してくるくせに実は「◯分かりづらくすごく閉鎖的(✖️そもそも距離感を置く人ら)」というか)

日頃の行動が実はやましいからなんですよねぇ、そもそもが。

都合で伝えてほしくない時もあるのは察せてもその場合は「先に言っとけ!何様や。」って話だわ。

しかしながら一定数はそういう人らの忖度の押し付けを嫌がることなく、どちらかといえば「この人らに媚び売っとく方がお得」という計算がアリアリか、嫌われることを極端に気にする人が上手く対応しちゃって、結局は忖度を押し付けてくる人らが意味わからない(悪知恵ばかりで力もないくせに)権力者みたいな風にのさばってしまう。


また思い出したら書き出そう。
思い出せば、あったぞ、あったぞ。






生で唸る演奏で聴かせて

2023年08月19日 19時17分00秒 | 掘り出ねーさん
生でダラダラ行かせて ではなく。笑



この時代に生まれていてリアル体験したかったよ〜

追記
生まれていたけどまだ5歳くらいか。

YouTubeで慰めていただこう。

背負子

2023年05月21日 14時41分00秒 | 掘り出ねーさん
昨日、日本橋高島屋で開催中の天皇皇后両陛下ご成婚30周年記念特別展に、これ(ベビーキャリーの現物)が展示されていた。


夏のご静養時だったか、愛子さまを背負われて散策された天皇陛下の映像はワイドショーやら週刊誌で目にしたことがない人はいないかと思う。

ついつい「あらま、これは」と脚が止まった。

したらば、説明書きに、

背負子

と。

さすがにベビーキャリーでいいんじゃないの〜

と、心のツッコミ!笑


ご皇室にかかればベビーキャリーは背負子なのです。これで良いのです。笑