オヤジ50
小学生からの教育で「生きてくには競争は必要なんだ、避けられないんだ」ってことを教えないとダメなんだよ。
それをしなくなっちゃったからいけないんだ。
オバチャマ43
競争?ですかぁ。
どういう意味で「競争」という言葉を使ってるかしりませんけど、少なからず私たち昭和40年初期組は、日本が戦争終わって高度成長が終わって平均的にそこそこ豊かになって「さぁ、始まるぞ、次のステージ」って時に生まれた、初めての代ですよ。
で、わたし達はその「競争、競争」ってのを叩きこまれる教育をされてきてますよ?
加速は昭和50年代の中学からですよ。
でもわたしは「それがけっしていいと思ってない」ですよ?
当時から、
「先生達が言いたいことわかるけどさ~、馬鹿くせ~わ~、それしてったら歪むよ~、人間がさぁ。人間が人間でなくなるよ~?きっと何十年後にはね~~。
だってこれからはコンピュータ(情報化社会)ってのも益々盛んになっていって、そうしたらどうなるかって今までの世の中にないような「奇異なロジック」が表に出現しちゃってくるだろうしさ~、先生達が慣れ親しんできてる昔の環境とはガラリと「何か」が変わるしさ~、それなのに「競争、競争」って煽ってたらホントにしらないよ~~??
立ち止まって考える余裕がないよ、そんな「競争、競争」言ったらさ~~。」
って考えてるほうでしたから。
オヤジ50
だけど「ボヤボヤしてたら競争に取り残される、それは国のせいでも親のせいでも誰のせいでもない、自分のせいなんだ。」ってわかってなきゃ、ダメなんだよ?
それをわからないから「こんな状況になったのは誰かが悪い!」っていう風に傾いた考え方をしちゃうんだ。
オバチャマ43
しかしねぇ、例えば今で言えばさ、会社のリストラによって荒れる人(「悪」ととらえる人もいますよね?殺人までいったらさすがにダメだけどね?)とかね。
あれなんかは一概にそれ(競争に勝とうと努力しない=自覚が足りない=だからリストラされて当然なんだ、自業自得なんだ)とリンクして考えていたらちと違うと思いますよ?
○○さ~ん、こんな言い方は失礼かとは思いますけど、90年代に入って早々から現場レベル(裏)でどういう工作があったかよく知らない側の人でしょう?
メディアで報道される情報とかリストラする側(経営側)の考えを肯定して押し通したい側の人とか?
あの時代背景の上で「言わんとしたい競争論」を語っちゃうとダメですよ?
みんなに伝わっていきませんよ?
誤解されたり、反発されたり、下手に追いつめちゃうだけなんですよ?
オヤジ50
あの時代の背景、単にこういう話なんだぞ。
あれは「日本に生まれ、日本に住む日本人であれば、「さすがにこの日本ではやっぱりやっちゃいけないことはある。」と判断できるはずなことを、それをわからない日本人が実行していっちゃったわけだよ。(まんまとごまかされちゃった馬鹿な日本人がいた。「これはやっぱりマズイっ!」って分かった人は自主的に距離置いた。)」というだけの話だ。
「日本人の面しながら、外国人の人がいた。シナかチョンだ。それをまた持ち上げた奴らがいた。」ってことだ。
オバチャマ
そうなるとある時からの競争社会を表で作りあげた人達は「真の日本人じゃないだろっ!お前達っ!!?」ってことになりますね。
わたしは「それを言いたい」ってことになってく訳か。
しっかしこの「競争」の意味合いが途中で反転した気がするんだよなぁ…、子供の頃から順を追って振り返るとなぁ…。
オヤジ50
まぁさ、いい?
どの時代も「競争」は大事なんだよ。
避けられないし、避けちゃいけないの。
だけど実は大事なそこを学校でちゃんと教えていないんだよ。
オバチャマ43
でもね、学校で仮に偏向的な教育があったとしてもですよ?
曾祖父母→祖父母→親→子とさぁ、「いや、こうだぞ?何を言ってるんだかなぁ、今の学校はなぁ。その人はなぁ。変わってきたもんだなぁ。でも変えちゃいけないってことはあるんだぞ、いいか。それが行儀だぞ?」とかさぁ、教え伝えていきませんかねぇ、普通。
わたしは少なからずそうでしたけど。
そうやってどこかにすり込みがあるから「うん?はて?おや??むむ!?なぬ?」と考えられるというか。
オヤジ50
「それがない家系というのもある」という話。
オバチャマ43
まぁねぇ…。
で、「競争」なんだけど、「競争」って言葉より、「勝負」って言い換えませんか…と思うときがあるんですよねぇ。
「競争する技を磨いて勝つ」より「強くたくましくなって故に勝つ」というほう。
わたしが関わる今までの師は後者の意味合いが強い人達だったですけど。
「強くなれない故技ですり抜け」もアリですよ?
だけど今はそれが行き過ぎですよ。歯止めがない感じ。