ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

民主主義ってなに?

2017年05月30日 18時13分19秒 | 考えるねーさん
あの政治家はことあるごとに、

「民主主義とはルールを守ること。」

と口走っていたが、その度に、

「うん?わかんないなぁ。
この人自体が一番良くわかんない。」

と、心の中で呟いた。


とある民はことあるごとに口走る。

「民主主義は多数決で決めること(←これ社会主義じゃないのか?笑)」

確かにそれもそうだが、数集めの罠だって掛けられるし、

「あえて引っかかりたくない人は民主主者じゃないのかい?」

とツッコミ返ししたくなる衝動にかられる。


ある先輩は、

「みんなで投票によって決めたリーダーが決断したことに協力するのが民主主義だ」

と言った。

しかしこれももはや崩壊している。

リーダーの決め方というか、「目利きができない人が増えすぎ」ってこともあるし、「ニーズが多様化しすぎてリーダーなんてものもいらないんだけど体裁上ね、、、」ってもんなんだろう。


ウィル・スミスが「民主主義って最低」と言ったとかどうだとか。

今世間でまかり通っている「なんでもかんでもみんなで決める」という民主主義はホントに最低の精神ランクだと思う。
幼稚園レベルかと。笑

今日突かれたお言葉・その1,102

2017年05月30日 11時47分19秒 | 突言葉ねーさん
「世界の終わりはやってこない」ということです! 
終わりに備えることに時間を無駄にしてはなりません。
新たな始まりの誕生に投資してください!



ジョナサンケイナーの予言、本日の山羊座さんより。


あぁ、私の理念にピタリ。

備えることに時間を割くより、新たな始まりに投資。

この連続が人生。


昔々、仕事の中で、

「(だから)終わりにしない為の備えに時間を割く方がメリットがある。
備えこそメインに考えないと。」

というような助言を受けたことがあった。

なのでこの方は新しきことへのチャレンジは全くしない人で、新しい備え(修正技)ばかりに時間を割いていて、技は大したもんだったけど、「なんだかハテナ?」の方だった。


心の中で、

「あ、根本理念が違うから、関わり方注意しなきゃだわ。
話しても話しても話の的が一致しない人だ。
あんたはん、終わったらそれはそこが終わりなんよ。所詮。
だから過去を糧に新しきことを始めとくんじゃないさ。
だから終わらないんじゃないの。
何に○執着してるのさ?(×執念)
弱ったなぁ。
新たな始まりに投資することこそ備えだぞ?勇気ないのかな。」

と、ヤレヤレしたと同時に「こういう人もいるのが世の中」と肝に命じた思い出あり。

今日突かれたお言葉・その1,101

2017年05月27日 16時30分54秒 | 突言葉ねーさん
心が本当に正しい場所にある人々は、自らのニーズに合わせて時間を早めたり、遅らせたりする力を持っています。


2012年1月のジョナサンケイナーの予言、本日の蟹座さんより。


納得!納得!納得弁当っ!(←学生時代の仲間としか通じない。笑)

これ、自らのニーズであって、欲じゃないから間違わないの。
欲に走ってるとき人って心の位置はメチャクチャだからなぁ。(もはや亡くしていることすら気づかず。)

自らのニーズで時間を割り当てたり調整してる人って、むやみに世の中の欲望にかられた時間調整をしようとする人と極力関わらないって傾向強くないですかね。

あら、私かも。

大門、御成門。

2017年05月26日 12時16分46秒 | 許してねーさん
先日の知り合いとの会話。


と、いうことは御成門待ち合わせにしますか?

大門!

えっ、あそこに行くには御成門が近いですよ?

大門だよ。

大門じゃ、浜松町のほうに近くなっちゃうじゃないですか?

何言ってるんだかなぁ。
大門わかってる?

大門わかりますよ?

大門って例のあそこの会社のビルの近くだよ?

えー、歩きますよ、少し。
浜松町に向かって歩きますよ。

もー説明やんなっちゃったなぁ。
増上寺はわかるよね?

はいはい、わかりますよ。
いい気の流れてる場所ですよ。
私の好きなスポットですよ。

好き嫌いはどーでもいいから今は〜(呆)
で、増上寺の手前に門があるよね?

あっ、あぁぁぁぁ、あれを言ってたんですか?大門って??

あれ以外に大門と言って何があるんだよ?

駅ですよ。笑

、、、、

御成門だって駅ですよ?

御成門は駅じゃない!!

あー、はいはい、すいません。笑

やんなっちゃったなぁ、もー。

しかし今気がついたんですけど、電車乗らない人って駅で記憶させてないんですね。
物体とか建物の名称や位置で記憶してるんだぁ。

、、、、



20年くらい前、御成門を「ごせいもん」と言ったハタチを少し超えたくらいの青年(一緒に新規顧客開拓してた商社の営業くん、千葉松戸出身育ち)がいた。笑

当時、内幸町や新橋が集合場所になることが多く、なかなか現れない営業くんに電話し、

「どこにいるの?」

「信号のところに「ごせいもん」って書いてありますねー。
もうすぐ着きますから、待っててください。」

「あのね笑、それ、「おなりもん」っていうの。」

「あ、そうだったんだ。あっははは!(←屈託無く器が広い感じ)」

「しょーもねーなー。」

この営業くんを「リーダー」と呼んで大切に育てていたのだが、

「私が中国上海営業所を作ります!」

って中国に行ったきり行方不明、、、笑
もう10年以上だな、何してるんだろ。

コンピュータに何をやらせるか?発想じゃなくて、ヒューマンエラーを起こしやすい自分を楽させる発想のほう。

2017年05月25日 23時28分43秒 | 2種分ねーさん
ヒューマンエラーを起こしやすい自分を楽させる発想にとらわれてる人を見てると、

「あちゃちゃちゃちゃ、、、」

と感じることが昔からしょっちゅうある。


その楽をさせる発想のひとつが、


①いろんなお便利機能をつけてっちゃう

(例えば、エクセルなんかだと、いらぬマクロやらVBでの手の込んだ作り込み、計算式いっぱい、シートいっぱいの「データベースです!(←あのね、違うんでね!(指摘です。))」もどきをつくって悦に浸ってたり。)

②便利機能を設定しまくり(自分が何を設定したかも覚えてないくらいに)


って方向性。



これさ、結局、目的が何にも見えてない(ま~るで気にしてない)から、ここに走れるんだよね。

目的って、

「コンピュータを使って自分は何をしてるのか?」

「コンピューターに何をしてもらっているのか?」

ってことです。


「ヒューマンエラーが起きないように何かを作り込んでおく」

ってことはどうでもいいことなんです。

「ヒューマンエラーを引き起こしやすい自分を自分でちゃんと自覚して、そういうものから極力避けたり、関わらないでいける策を考えるほうが先」

なんです。

(入力ミスしないようにエラーチェック機能をつけるとか、そういうことと違うことね。)


「自分のほうが狂いたくない、ミスはしたくない」

が先行しちゃうと、

ホントにやってること自体が「会話の的外れ」みたいなことになってしまって、

「ほらほらコンピュータで何をしてたんだっけ?(何をしなくちゃいけないんだっけ?)」

って気が付かされる状況になると、

「えっと・・・(真っ白・・・)(ちょっとプライド高そうだと「イラっ(それが何か??)」的な表情したり。)」

ってパターンになっちゃうわけです。


だから「できなくていいよ。」って言ってあげても、もはやもうダメな状態ってのはあって、私が思うに、

「欲なんだろうなぁ。」

と思います。

(みんな持ってるから持っていたい、仲間はずれになりたくない、知ってたい(「あんたにゃ不要だろうがぁ・・・?」って呆れる時もあったり。)レベルの。)



私は感じる(いや確定してるなぁ、もう。)のですが、

「明らかにコンピュータに向かない人」

っています。


なので、この今の、

「一にも二にも一人1台コンピュータありき(じゃないと生活できない(お仕事ありつけない))」

の世の中は、とてもかっこよさそうだったり、便利そうだったりしても、ま~ったく人には優しくないなぁ、、、

と思うのです。


「こういう人達がコンピュータを意識しなくても(全員が全員なにもコンピュータ機器を所持しなくても)いい状態をつくるためのコンピュータでいないとダメ」

だと思うのです。


「コンピューターが便利にしてる世の中を作るには「〇コンピュータ(×人)に何をやらせるか?」

という発想を持って日々考えてないと、ホントに危機を迎えるくらい本末転倒してしまう世の中になってしまうと思うのです。

(それと「エクセルに何をやらせるか?」っていう発想も、もう全くもって外さないとダメだと、、、、
教育機関でのコンピュータ教育ならば、エクセル・ワードより、簡単なプログラムを組ませたほうがいい(仕様を考えたり、フローチャートを考えたり)って。)



「自分をコンピュータで〇楽させよう。(×ムダを省こう)」発想はアカンです、やっぱり。


あなたの横にこういうタイプがいたら、

「そこまでしなくていいよ。楽したいならそういう楽じゃなくて他の楽しなよ。」

とうまく伝えてあげるほうが先決かと思います。