窪塚君の復帰第一段映画「同じ月をみている」。
記者会見に登場した窪塚君はそれまで背負っていた何かをどこかに捨てきってきたような、
でているオーラが冷たく清々しく澄み切っているそんな印象を受けた。
窪塚語トークは無くて普通のしゃべりかた。ヘアスタイルも普通。
よくわからない人は「再起にかけての演出でしょ。」という一言で片づけるだろうけど、
でているオーラがそんな感じだったから、演技じゃないんだな、あれは。
とにかく彼は
「生き方が真面目(すぎる)」
「生き方に一生懸命(すぎる)」
っていうのかなぁ。
人や世間に流されることより、
すべての事に対して、自分で見て、聞いて、体験して、かみ砕かないと気が済まない人。
それが反社会的なことであってもとりあえず知っておきたくて、ぐんぐん入り込んじゃうっていうか。
けど、夢中になっているのにどこか自分の中にある「冷静で客観的」な部分が常に自分で自分を観察しているっていうのかな。
そういう自分を他人に察せられたくないから、演技する。
他人をだますとか、悟られたくないからとかいうんじゃなくって、そういうのが単に「格好悪い」と思っているんだと思う。
それと万人に解らせる言葉が見つからないっていうのもあるんだと思う。
だから、他人に批判されても「想定の範囲内」ってことで、平気で行動できちゃったり、言葉を発せちゃう。
たぶんそれはし終えちゃったんだろうな、窪塚君。
転落事故はもしかしたら自分の意志、いやただの事故、ドラッグ??そんなことも考えられるけど、彼の中ではそれすら腹くくられてるっていうか。
あそこまで強烈に追い込んで自分で自分のなんたるかを見つけたい人っていうのか・・・。
大抵の人は代替えの何かを見つけてそれにすがる。
あたかも自分の意志かのようにふるまうが、
それが本当の自分を見つけているわけじゃないことと、
本質を見抜いているわけではないことを自覚しておいたほうがいいと思う。
で、その一生懸命な窪塚くんなのだけど。
どこかがねーさんと似ている気がするんだよね。(失礼)
だから気になるのかも。
余談
友人には「窪塚くんと目が似てるんだよねぇ」と言われることアリ。
形が、とかそういうことじゃなくて、目の表情的なものらしいぞ。