いそん【依存】
他に頼って存在、または生活すること。
ちゅうどく【中毒】
置かれた状況になれて特に変わったことだとは感じなくなること。
また、あるものへの依存が強く、ちょっとでも不足すると非常に強い飢餓感をもつこと。
中毒っ気のある人は、何かに不足を感じると他に満たされるものにすぐ手を出しに行ってしまう。
環境(生活環境、PC環境などなど・・・)をすぐにカスタマイズしてしまう気のある人も中毒っ気があるかと思う。
中毒っ気のある人はそうすることで自分を○ややこしい状態(×難しい状態)にしてしまっていることすら慣れていってしまう。
「あれぇ?あれで(あの状態で)慣れてたんじゃないの?」と思いきや、また別の物に手を出していたりする。
「ダメですよ。」と言ってもまず効き目がない。(キッパリ)
不安と恐怖で耳がふさがってるから。(キッパリ)
不足を感じると他に満たされるものにすぐ手を出しに行くのは、「飽きちゃった」とか「醒めちゃった」ということで自分なりに「変化をつけてみよう」という変化を起こしているわけではないのだ。
多分・・・多分なのだけど、「飽きちゃった」「醒めちゃった」という状態に自分の身を置く事への不安感?恐怖心??
だからその前に別のものに手を出してしまうってヤツ。
「飽きる」「醒める」という感情を持てるってことは、「自分がそれと関わった。その結果こう感じたから次はこうしよう。」ってことだけども、「そこまで到達したくない」っていう思いが先行してるのは、「自分はそれと関わりたくない。そういう結論ありきなので、またこうしちゃって避けます。」ってことでしょう。
よく、「ダダダダーーーーッ」と猪突猛進気味で何かに向かって突っ走って行く人がいる。
「おいおい、止まれーーー!(=「ダメだよ」ってこと。)」と(仮に)言っても「うるさい、ひとまず突っ走るから!」って風に突っ走って行く人がいる。
これってのは、興味とか信念がそっちに突っ走ってるってことで、不安と恐怖ではないのだ。
前借り人生してるような人はこういう傾向ないだろうか。
突っ走り終わった後に、「で、何か?」って感じだ。(笑)
「ペース配分しても良かったかもしれないけどね、しゃーない、あん時は。」ってな感じだ。
で、不安と恐怖が(常に)まとわりついている人って、不安と恐怖を取り除くのが「「そこに(自分の感情を)到達させない」っていう技で逃げる」って感じなので、他人がいくら不安と恐怖を取り除いてあげようとしてもこれまたムダなのだ。
「放っておいて欲しい。」と思われるのがオチだろう。
見てるとそんな気すらしてくる。
こういう人は最後の最後にエラー(間違い)を引き起こすので要注意なのだ。
興味や信念で突っ走っていってしまう人が引き起こすエラーなんてヤツは「只今故障中」みたいなもんで(笑)、間違いまで到達はしない感じ。
しっかしシステム構築して導入して運用やメンテナンスの相手をしていると、ほんっとにまぁ、イっロイロ考えさせられることがてんこ盛り。
PCより人間の相手をするのが本当に大変この上ない。
中毒気味の人からの「ヘルプミー!」はひとまずつき合わないと、お互いで間違い(×故障)に一直線だから、まぁ、こちらは「どうやって引き戻したらいいのだろう?」を常々考えなくてはいけなくなる。(苦笑)
「ダメだよ~」が聴いて貰えないから、つき合って併走してシナリオ練りしていかないといけない感じ。
『依存』は何かのキッカケで抜けられても(自信とか責任とか)、『中毒』ってやっぱり抜けられないものなのかなぁ?
中毒ってのはココロの病ってこととも違うのねぇ・・・多分。
DNAレベルというか、機能障害というか、そういうことなのかもなぁ・・・多分。
他に頼って存在、または生活すること。
ちゅうどく【中毒】
置かれた状況になれて特に変わったことだとは感じなくなること。
また、あるものへの依存が強く、ちょっとでも不足すると非常に強い飢餓感をもつこと。
中毒っ気のある人は、何かに不足を感じると他に満たされるものにすぐ手を出しに行ってしまう。
環境(生活環境、PC環境などなど・・・)をすぐにカスタマイズしてしまう気のある人も中毒っ気があるかと思う。
中毒っ気のある人はそうすることで自分を○ややこしい状態(×難しい状態)にしてしまっていることすら慣れていってしまう。
「あれぇ?あれで(あの状態で)慣れてたんじゃないの?」と思いきや、また別の物に手を出していたりする。
「ダメですよ。」と言ってもまず効き目がない。(キッパリ)
不安と恐怖で耳がふさがってるから。(キッパリ)
不足を感じると他に満たされるものにすぐ手を出しに行くのは、「飽きちゃった」とか「醒めちゃった」ということで自分なりに「変化をつけてみよう」という変化を起こしているわけではないのだ。
多分・・・多分なのだけど、「飽きちゃった」「醒めちゃった」という状態に自分の身を置く事への不安感?恐怖心??
だからその前に別のものに手を出してしまうってヤツ。
「飽きる」「醒める」という感情を持てるってことは、「自分がそれと関わった。その結果こう感じたから次はこうしよう。」ってことだけども、「そこまで到達したくない」っていう思いが先行してるのは、「自分はそれと関わりたくない。そういう結論ありきなので、またこうしちゃって避けます。」ってことでしょう。
よく、「ダダダダーーーーッ」と猪突猛進気味で何かに向かって突っ走って行く人がいる。
「おいおい、止まれーーー!(=「ダメだよ」ってこと。)」と(仮に)言っても「うるさい、ひとまず突っ走るから!」って風に突っ走って行く人がいる。
これってのは、興味とか信念がそっちに突っ走ってるってことで、不安と恐怖ではないのだ。
前借り人生してるような人はこういう傾向ないだろうか。
突っ走り終わった後に、「で、何か?」って感じだ。(笑)
「ペース配分しても良かったかもしれないけどね、しゃーない、あん時は。」ってな感じだ。
で、不安と恐怖が(常に)まとわりついている人って、不安と恐怖を取り除くのが「「そこに(自分の感情を)到達させない」っていう技で逃げる」って感じなので、他人がいくら不安と恐怖を取り除いてあげようとしてもこれまたムダなのだ。
「放っておいて欲しい。」と思われるのがオチだろう。
見てるとそんな気すらしてくる。
こういう人は最後の最後にエラー(間違い)を引き起こすので要注意なのだ。
興味や信念で突っ走っていってしまう人が引き起こすエラーなんてヤツは「只今故障中」みたいなもんで(笑)、間違いまで到達はしない感じ。
しっかしシステム構築して導入して運用やメンテナンスの相手をしていると、ほんっとにまぁ、イっロイロ考えさせられることがてんこ盛り。
PCより人間の相手をするのが本当に大変この上ない。
中毒気味の人からの「ヘルプミー!」はひとまずつき合わないと、お互いで間違い(×故障)に一直線だから、まぁ、こちらは「どうやって引き戻したらいいのだろう?」を常々考えなくてはいけなくなる。(苦笑)
「ダメだよ~」が聴いて貰えないから、つき合って併走してシナリオ練りしていかないといけない感じ。
『依存』は何かのキッカケで抜けられても(自信とか責任とか)、『中毒』ってやっぱり抜けられないものなのかなぁ?
中毒ってのはココロの病ってこととも違うのねぇ・・・多分。
DNAレベルというか、機能障害というか、そういうことなのかもなぁ・・・多分。