ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

ここ1ヶ月ユーミン祭り中、、、

2018年04月30日 20時46分07秒 | 掘り出ねーさん
ユーミンがベストアルバムを出されたのがきっかけになったんじゃなく、

ユーミンが行うツアーの来年4月に横浜アリーナがあるのを知り、

あら?
もしやこけら落としで観に行ったのからちょうど30年??

ってことが蘇って、

あれから30年かぁ。
ユーミンで記憶を呼び戻そう。

っていうのがキッカケ。

買って持っていてしまいこんであったCDを引っ張り出して並べると1985年から1991年の7枚なんだよね。
DA DI DAからDAWN PURPLEまで。

それより前に素敵な曲があるのはもちろんなんだけど、私の保管場所にはここが揃っていたわけで。

だのに、だのに、

1988年のDelight Slight Light KISSだけが、どこを探しても出てこない。

アルバムジャケットからして買った記憶が残ってるし、♪リフレインが叫んでるや♪無限の中の一度とか代表曲揃いのアルバムだし、捨てるわけがない、、、

と、さっきまでそう思っていたけど、
あーっとぉ!!?

フンフン、蘇ってきたぞ。
あえて手放したのかもしれない。


♪リフレインが叫んでるを聞きたくない時期があった気がする、、、


何か今考えれば「若いねぇ」と微笑んでしまうような、でも当時の自分にとってはどうにもこうにも心が整理つかないようなことにとらわれていて。


しかし「あー、聴きたくないっ!」だったら、竹内まりやのアルバム「request」のほうが、全く聴きたくない時期が長くあったんだよなー。今でもちょっとあのアルバムは心がキュっとする。

一曲目のイントロが流れるだけで、「うわぁヤダァ!!!蘇る私の汚点。だせー。」みたいな。
でも手放してはいないという、、、


こういう表現はユーミンには悪いけど、ユーミンのほうが乱暴に扱えるんだよね。
ユーミンもシレッと「だったらお好きにすれば。聴きたくないなら聴きなさんな。」と突き放してくれるような。
乱暴者(誰かは私をこう表現し続けるんだ。「雑なやつ!」って言ってないし、雑な人ではないんだからいいでしょう?褒めてますよ?と。)の自分にはそこが付き合いやすい感じ。

竹内まりやはこういう扱いはできんのよねー、なんか。感覚なんだけど。


で、いつ手放したかは定かでないんだけど、Delight Slight Light KISSは再購入しました、昨日。

新しいベストアルバムを買わずにこっちを買いました。

人間関係が嫌になった、、、って、えーっ??

2018年04月30日 20時30分53秒 | 考えるねーさん
逃亡していた犯人が捉えられましたね。

脱走した理由のひとつとして、

刑務所での人間関係が嫌になった

と。


この犯人に言いたいのは、

シャバの世界の人間関係もかなり◯複雑すぎ(✖️難しすぎ)て疲れますよ?
逃げ場ないですよ?

ということでしょうか。苦笑


そこは上手に鈍感にならないとどこに逃げても嫌になるでしょうよ?

ということも付け加えましょうか。苦笑


うーん。なんともなー。

記憶

2018年04月30日 19時06分30秒 | 考えるねーさん
正確すぎる記憶は応用が効かなくなるようで。

それはもはや記憶というより記録に変換されて頭に暗記させてしまってる状態のような?

記憶は五感で感じ取る部分が多いから、なかなかどうして言葉にはならないのだよね。

だから人は記憶は曖昧だから信じがたいように言う。
けど、その人がそう感じたことは動かしようがなく、嘘も何もない。


「応用を効かせるのは感じてないと出来ないなぁ」と私は常々思うことがあり、それはやっぱり引き金は記憶なのだ。

あ、あの感じ!
今回のこれに応用できそう!!


ってやつ。

うかつな行動を叱ろうよ。

2018年04月30日 14時34分32秒 | 考えるねーさん
TOKIOの山口くんの一件。

私は山口くんのような癖は「哀しいかな病気(しかも心理精神面からきてる側面がかなりを占めているからかなり難しい病気。)」なので、警察に差し出したり、批判したりしたところで、やられた側の一瞬の鬱憤は晴らせたにせよ、「どうにもならないことなんだよぅ、、、やれやれ。」という考え方をする。

それよりも、女子高生のうかつさを親はキチンと叱ったのだろうか?(女子高生が聴く耳なくても。反抗期で。)というあたりが気になって仕方がない。

そういう目に合わないような行動を未然に取りなさいと言うほうが冷静だし賢いと思う。

その上でそういう行動を取ったにせよ、親(知人、友人)が指摘してるかしてないかには違いは必ずある。(何十年先にだろうが腑に落ちるんだよ。)

うちの親ならば開口一番「あなたが悪い」というに決まっている。

(事実だけ拾って)やった側をみんなで袋叩きに批判してるだけじゃ、やってしまう人も何を手本にしていいかわからなくなるだけ。

律せる人を作らないと。

同意と合意

2018年04月30日 13時30分26秒 | 2種分ねーさん
昨今の世間の空気的に民衆の意見なり考え方を皆を「同意」に持っていこうとする演出なり手段に倒れすぎてる気がする。

SNSなんかで「いいね!」をいくつもらったか。なんてあたりが優劣の物差しにしている感じなんか、ひとつの風潮だと思うし、

(いいね!を「(軽い感覚で)見たよん!」「あなたを気にしてますよ!」的に使ってる人もいるけれど、それは「「いいね!」とは全く違う意味合いだよね?」と思う。
「いいね!」じゃなくて「チェックしたよ!」程度じゃ?
そんなことして身体が慣らされたら何がいいのか考えなくなりませんかね?)


企業という大組織に至ってはホントにその傾向が強すぎる感じを受けてすでに長い年月が経っているけど(私個人)、時に無性に気味が悪くなる時すらある。

「一体ホントのところ何を企んでるの?」という気味の悪さなんだけど、「◯談合(✖️出来レース)という知恵は悪くないんじゃないんだろうか?かえって大人じゃん?」という気すら芽生えさせてるくらいだ。


社員教育という名の妙な著名な講師によるセミナー(講演)を聞かされたり、

あれは多様な意見や考え方を持ちあう人間が組織に集いあいながらも「◯合意(✖️同意)」し合えるような方向に導く為の補足的教育ではなくて、

「単なる宗教の洗脳か!!?
洗脳させて組織をコントロールさせたい人たちの手段だね、こりゃ。」


と言い切りたいくらいに気味が悪い。

「血を見ない戦争してるんだね?何に勝ちたいの?」くらいな。(苦笑)

まぁ趣味の延長みたいな感じのノリというか、気分をあえてそういうノリに切り替えて聴いたとて、

(私はこういうのは「人が悪い」みたいでできればやりたくないタイプ。
個人プレー(個人で成り立ってる環境)ならあえて自己演出みたいな気分でやるけど、組織人で動いているような環境に属していながらこういう風にやるのに非常〜〜に嫌悪感があって、「弱ったなぁ、みんな正気なのか?本当に??」みたいな気分になる時が昔からある。)、

仮に「へーぇ、なるほどね」となるような理論を聞けたとて、

テストみたいなことをやっては「へー、傾向はわかるね。」みたいな、「うーむ、けど所詮占いレベル、、、」と心の内がダダ漏れになりそうなあたりをみんな黙りながら同意風(仲間になれそうね!)を装ったり、

一瞬脳みそは納得しても、それをまんま実践したら、真っ当な◯人間(✖️ロボット化した組織人間)からは、

「どうしたー?馬鹿じゃないんだからさ?」

「◯幼稚(✖️子供)ね?」

「◯洗脳(✖️感化)されちゃった人みたいになってるよ?そういうのやめてくれない?」

と言われてしまうのは当たり前
なんですよね。

(私のまわりには少なからずこうして指摘してくる大人な人間がいてくれるので、余計に意図的なものに敏感になるわけで。)


先に旗を立てて何かを打ち出すことが難しい時期だから、そういう手腕があるリーダー気質の人たちですら、なりを潜めて爪を研いでいる時期だから、◯合意(✖️同意)のもとに人が動くようなことが起きづらいにしろ、◯同意(✖️合意)に仕向けて動かしてしまうのは、決してよろしいことではない、と釘を刺したい。


まぁしあわせな人もいるのかな。
だから宗教も成り立つしね。



宗教は過去の反省の為にあるもの。
政治は先々の将来(未来)の為にあるもの。



宗教的なのに未来を語るのは妙なんですよ、、、(詐欺に近いといいますかね。真理じゃないね。)