ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

「これじゃなかった」と「こうじゃないんだ」

2018年11月30日 22時11分11秒 | 2種分ねーさん
「(これだ!と探し当てたものが)これじゃなかった、次のこれを探してまたトライしよう。」の連続で何かに到達できるんだろうか。

ズバリ「無い」です。
合格やら当たりくらいは引けるとは思いますが。
死ぬまで「何かを探しちゃそいつのせいにしてダメだった」とか「お守りこんないっぱい手にしたから何もしなくても安心(情けねー)」で終わっていくのです。


「(思い描いているのは)こうじゃないんだ、次のものにチャレンジしよう。」の連続で何かに到達できるんだろうか。

ズバリ「出来ます!」です。
合格とか当たりに興味を惹かれたらお終い。
思い描いているものを繰り返し「こうじゃない」と作り上げ続ける訳。
だから到達しないことはないのです。
諦めちゃわない限り。
死ぬ頃には○悟り(✖︎諦め)の境地間違いなし。



この2択で人生の道は別れる、、、


人生は前へひたすら一直線ではなく丸い環を描くんだそうだ。

つまり元に還るのだよね。

人生をスタートして元に還るまでのプロセスの違いは差が大きいよね。

成長なく戻るか、成長して戻るか。

次の世代に引き継がれると思えば、成長して戻って影響を与えられるような人、いいなぁ。

大人だねー、慈愛に満ちてるー

2018年11月30日 20時48分07秒 | まんまねーさん
最近職場の女性に言われて、

マジか。(絶句&爆笑)

と、なったわたくし。

この人やだー、お世話行き過ぎ!
如才ないのは気をつけないと案外、人からは嫌がられるぜ?

とも思ったさ。笑い


「大人だねー」は同級生には子供の頃から今でも案外言われるけれど、

私自身が年の離れた上の世代と関わる方が面白くて、そういう世代と一緒にいる時間の方がはるかに長くなってきてしまった現実、こういう上の世代からは「大人だねー」とは絶対に言われない。


「慈愛に満ちてる」なんて笑いが止まらない。笑

困ってる人が側にいられると自分も困るから案外助けちゃう。

弱ってる人は病院しか助けられないし。

困ってはいなくて、弱ってもいなくて、狂った状態の人には手は出せないけど。(←案外指図が激しいんだよなー、お前何様?と思うけど、「すでに狂ってるから何も言えねー(哀)」みたいな。次第に離れるしかない、みたいな。


「困ってる、狂ってる、弱ってる」の見極めしてから助ける行為をしてると、慈愛に満ちるのかなー。よくわからないけど。


じあい【慈愛】
親が子供をいつくしみ、かわいがるような、深い愛情。


そう感じられないとそうできないもんね。

「余計なことはしないで」の2種

2018年11月30日 20時31分14秒 | 2種分ねーさん
(やってることは自分のやり方に固執しているので)余計なことされると「自分が理解できなくなるからやめてください」という自己主張パターン


(やってることは大人の事情や裏の事情があることなので)余計なことされると「矛盾が起きて困るからやめてください」というお願いパターン


前者のパターン、こういう人は可能な限り避ける。疲れちゃうので。

後者のパターン、まずは従う。が!
よからぬ結託が見え隠れしたら即スルーモード。
余計なこと(親切心)すらもする気は起きない。


余計なことと気にせずにバンバンやってくれて結構です。
こちらが何かあれば尻拭いしますから!

これが一番好き。
お互いにハッピー!!


もちろん「尻拭いする人か?」「できるくらい器が伴っているか?」の日々の観察は忘れずに。(上手にトンズラする人は案外いますから。)

そんなに欲しいならくれてやる〜

2018年11月30日 19時04分30秒 | まんまねーさん
私の基本姿勢。

そんなに欲しいならくれてやるよ〜

なんですが、

「絶対あげたくない!」って人はいるんだね。
「人の分まで取らないで!」と頑な人。
私なんかからすると「そんなつまんないものあげちゃえばいいじゃない、欲しがってる人に。」って思っちゃう。

仕事なんか特に。

私やります!って仕事欲しがる人には、「そんなに欲しいならどーぞどーぞ」と渡しちゃう。

そうすれば自分は別の何かを詰め込む時間が出来るからね。

フローやルーチンに落ちると、その作業は誰かにくれてやりたくなる性分は昔から。仕組みを組み立てるほうが好きなんだな。

やってないと忘れちゃう

2018年11月29日 23時14分25秒 | 考えるねーさん
勘が育たないのだろうか、もはや。

ちょっと気になることがあった本日。


スポーツもブランクがあっても勘が戻るではないですか。
私なんて中学の卓球部から30年くらいのブランクがあって数年前に神保町@ファミタクで卓球したけど、勘はすぐ蘇ったもの。

あ!!

スポーツだから?
身体を使っているから??


パソコン使いだって勘は育つと思うんだけどなぁ。
しばらくやってなくてもやった時の勘が働くっていうか。
少なからず手順をメモったノートくらいは引き出せるっていうか。


どういう風に覚え、どういう風に使っているんだろう。
いや、見えてるところを言ってるんではなく、自分がどう向き合ってるか、ってところを探ってみたい。