ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

涙は目頭か、目尻か。

2022年12月19日 21時09分00秒 | 2種分ねーさん
通りががりのインスタで(スラムダンクを観て)「ずっといろいろエモ過ぎて目頭熱かった」って呟きを見つけた。

私は最近映画鑑賞すると必ず、「エモくて目頭熱くなる」ではなくて、「(この映画で)過去の自分の感情が浄化されて目尻から終始涙が流れてきて止まらない」みたいな不思議な感じになる。

エモい(俗語的意味合いの)わけでも無く、
エモーショナル(感情的やら情緒的)っていうのとも違う、
ならば感動!?っていうのとも違う、
涙だから哀しみ??っていうのとも違う、
妙〜な説明出来ない初体験をして、

「涙が流れるって、こういう感じがあるんだねー、知らんかった。」

「これってある意味消化であり浄化であり成仏的な、、、?」

と、実体験中〜!


エモーショナルだとまだ自分を消費中なんだよな。
そんな感覚ではないのだ、最近の私は。


ある意味抜けきった感。

80’sの洋楽って。

2022年12月18日 01時36分00秒 | 聴いたねーさん
マイケルジャクソンやらマドンナとかクイーンやら王道路線もいいのだけれど、このあたりの路線もまぁ当時がすぐ蘇るわ、曲自体もよく記憶してるわで、別の意味の良さやら味わいがあるのよねー。





と、まだ「聴けるなぁ」と目に留まった為の記録。


手放しましょうの矛盾

2022年12月17日 17時28分00秒 | 伝われねーさん
不要なものは手放しましょう

ってよく耳にする。

昨今はスピリチュアル系などよく使ってますね、この言い方。

家の中の不要なものはメルカリなどを利用して売ったり(手放しするための術)

ってこともよく耳にする。


誰かの不要物が誰かの必要になる、、、
しかしその誰かも不要なものを手放していたとしたら、、、


結局はみんなで不要なものを擦りつけあってるだけではないのだろうか??


それって考えるだけで滑稽、、、
あれ?変なこと言ってるだろうか??


不要ならば廃棄に限ると私は考える。(それこそが手放し)
それに何か意味があるものでも時が来たら廃棄する事は悪いことでもないかと思う。(成仏させるっていうか)
価値があるなら眠らせて置けばいい。


不要品を買い漁る(貰い漁る)のも何だかそれに宿る悪い業も拾いそうで(結局は手放しどころではない)あまり積極的には好まないオバチャマである。

「本来は持ち続けたいのだけどあなたに譲りたい」みたいなのは別。
こういう方はメルカリで売買はなさらないかと、、、








日本人の特徴

2022年12月17日 16時17分00秒 | 観察屋ねーさん
面倒くさい事を避ける為に事をややこしくする。

ややこしくしたことを黙々とこなす。(これは面倒臭がらずに)

ややこしいからその事の本筋すら理解がおかしくなっていて(実は理解してなくて)物事が帳尻合わせ的になっている。


これはここ20〜30年は特に顕著というか、

「そうではなくて!」

「いっとき面倒臭くても現状打破します」

と、そこに向かないように動く人が激減(世代的引退もある)していて、組織や社会の成り立ちの中心になってしまったような気がする。

こういう人らが中心で世を牽引していた時代も上記のような人らはいたけど、中心にはなっていなくて、「それぞれの隅に一握り」って感じだったように思う。

時代背景的に今より忙しかったから(やり方が複雑で手数が多くて忙しいのではなく、事そのものの動く量が多かった)、必然、無駄を省く合理的な動きや変化は必要だったし、技術の早い進化と共にこれまでのやり方が新しいものに置き換わったり、なくなっていったりもした。
そういう現場でややこしくする人は「あっちいってて」な空気もあったかと思う。


一昨年から昨年にかけて一緒に働いた中国人やインド人やイギリス人からの、

「(一部)日本人おかしいよ?」
「こんなに働かなかったでしたっけ?」
「こんなに助け合わない国民性でしたっけ?」

というご指摘があったことがリアルに時々ふと蘇る。

おそらくだがこう指摘してきた彼ら彼女らはサッカーのワールドカップで日本人のマナーが良いとかいうマスコミ報道を見聞きしても「それはそれで素晴らしいけど。でもねー現実はこうだったよな。」と思っているに違いない。
今一緒にまだ働いていたらご指摘してきたかも。笑笑


同じ日本人同士でも同じことを感じる人もいる訳なので(私も私以外でも)、「こうなってきた要因は何だろねー」と思いを巡らす時がある。

乱暴にひと言いえば現代が「暇」ってのはあるかと思う。
「暇」だと余計なことをしだすし考え出す。

「暇」は「困ってはいない」。
本当に困っている人は何か打開策に励むはずなので忙しくなるはずなのだ。
しかし暇な人は困ってはいないから、それが一番厄介。
パッと見ると困っているのかな?と思わされる節もあって、親切な人は助けようとする。
しかし大概空振りに終わるし、場合によっては相手の態度に憤慨したりする。
要するに「暇な人は困ってはいない」からなのである。親切もアダで返される。
「困ったなぁ」風は「弱ったなぁ」ってくらいだけ。
弱りきってるのは病気の一種なので(おそらく精神的な)病院の先生に治してもらうしかない。
私もこの境目に長年翻弄され続けて自分が疲弊した。笑

Excelやパワポなんかで「ああやってこうやって」なんて経営上不要だったことが今当たり前の様になってる辺りも「暇人発想だね」「経営者発想のモノじゃないよね」と揶揄いたい。
組織の裏であらぬ噂を収集しては垂れ流して混乱させるようなオバチャン連中(女性のオバチャンもさることながら、男性でも噂大好きオバチャンみたいな人は現におり。)も「暇」がアレを成していた。

「暇」は人間が出来上がってる人がわかっていて使うには良いことだが、出来上がりもしてないまだ色々と不安だらけの人が「暇」だけ追い始めるとよろしくない思考に走り始める。ま、大抵がネガティヴに倒れる。

近代の中では日本が一番時間が先に進んでる風だし、時の流れや物事の成り行きの途中の社会風景は必然こうなるのかもしれない。事後の参考になるのかも。

2022年の漢字一文字

2022年12月13日 18時33分00秒 | まんまねーさん
私の2022年を漢字一文字で現すなら怒涛の「涛」です。

怒涛は荒れ狂う波のように激しいさまを表す言葉。年始から秋までまさに怒涛でした。月の稼働時間は100時間超えした月もあり(年俸制ながらもそれも全て賃金にしてくれたから(事態が事態だった故)超ラッキー)、「バブル期ですか!」っていう、、、

私をよく知る人生の師匠まで、

「今抱えてる仕事(チームと業務管理)はよくやりこなしてるわ」
「(ここまで狂ってる奴ら相手に仕事して)精神的に死んでまうがな。」

と呆れつつお褒め頂けました。
30年で初のお褒め。

そのくらい凄まじく激しい妙な人ら(まぁ精神疾患とか発達障害とか思想がそもそも変とかその手)を何人か抱えなきゃならんかったっちゅー話。

仕事よりそっち側の大苦労!!

その中にも私に完全協力態勢になってくれる方が何人かいてくれたおかげで何とかなりましたが、協力態勢になってくれた方々も、

「よくこうやって耐えて立っていられるって感心する」

とか

「あんな人に何であんな優しい対応できるのか。私なんかもうパワハラって言われようが言わなきゃいられない!!」

とか

「あなたがリーダーだから私もやっていられるから最後まで頑張って!協力するから!!」

とか、色々と突っ込まれ激励されましたが、その度に、

「私、何か徳だけは積めてるようだな。」

と、自分で自分を支えられる要素はあったから、怒涛の中を突き進めた一年でございました。

これもこれまでの会社の改革劇に携わったり、システム開発の仕事(これらも最後には人問題ですんで!行き着くところはコレ「人」なんです!)で苦しめられた修行を超えてきた故のもの。マジ修行だったわ。


秋に怒涛の波は時の変化に強制的に沈められ、年末まで停止の「停」

自分の意思で止まったわけではなく、宇宙の法則的な感じ。
誰もそこは逆らえないというか(コントロールして無理くり続けても先が知れてることをわかっている)、流れ的にここで停まるしかない風な。
一緒にやっていたイギリス・インドがそう判断したんだから何かあるんだろう。

おかけで年明けからのスタートについて、のんびりアレやこれやと考える時間が出来まして(ここまで総合判断出来たのも人生初、ほぼほぼがある程度で見切り発車してやりこなさなくちゃいけない人生だったしなぁ。)出会いの引き(流れ)が良く。

年明けスタートは見切り発車じゃないパターンに持って行けたから楽しく上手く行く予感。

ヤッホー♪
次の10年の開幕♪

って感じ。

2011年も終了があったから、こういうのってほぼ10年サイクルでやってくるものなのかしらん。

56歳にもなる年が楽しくスタート出来そうでありがたやー。

還暦にドンドン向かうけど、まだまだやります、やれます!