みんなで決めたことをよりどころにして目の前の問題を考えていくという習練を、日本人はあまりやってきていない。
司馬遼太郎と井上ひさしの対談集(95年頃の対談)より、井上ひさしさんの言葉。
みんなで決めた「ルール」を「暗記」して「顔色伺って無難に実行する」ってのが大流行で、相変わらず「問題を考えるは下手くそ」だよなぁ。
なんだろうね。
自分が身を置いてるところの憲法とか自治まで意識がいってないんだよね、無視してたり、はたまた(実は)なかったり?
でもなぁ、小学生の頃、「クラスの○目当て(×ルール)」とか、「今日の○目当て(×ルール)」とか自分達で決めたりさぁ、それがそうならないと、「どうしたらいいのか?」なんて学級会で議論したりしたよなぁ。
案外子供なりに議論は活発だったと記憶に残るけど…。
小学生でやってたけどねぇ、昭和48年~53年かぁ。
日本って憲法あるようでないんだな、実は?
だからこうグダグダなんだな??
議論が活発になるってのも、「憲法を自分達で(自分で)決めるから」なんだよね。
与えられてる訳じゃないから。
▼目当て
目指しているもの、行動のねらい、目的。
物事を行う場合の基準、見当。