ねーさんとバンビーナの毎日

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○負担(×負荷)ばかり抱えてる状態に「頑張れ」という励ましはいらない。

2012年05月27日 13時19分48秒 | 伝われねーさん
「頑張れ!頑張れ!!」という励ましや声援。

あれが「嬉しいな。」とか「励みになるな。」とか思えるのって、何かにチャレンジして自分が自分に『○負荷(×負担)』をかけている時、または誰かから自分にかけてくる『○負荷(×負担)』にチャレンジしている時なんだよねぇ。


『○負担(×負荷)』を抱え込んでいる時に「頑張ってね」と言われるとかえって嫌な気分にさせられることがあるのは、『○負担(×負荷)』って頑張って解消するものじゃないのでね。
『○負担(×負荷)』の解消っていうのは、自分だけで解消出来るものじゃないから。
せいぜい言うならば、「なんとか踏ん張って。協力出来ることは協力するよ。」ってくらいじゃないだろうかね。


例えば、病人の世話を抱えている人に「頑張ってね。」は(「絶対に」と言い切ろう。自分がそれを既に実経験済みだから。)禁物でしょう。
病気と前向きに闘っている病人には「頑張れ!」っていう言葉は励みにもなりましょう。


今の世間は『○負担(×負荷)』が8割な状態じゃないでしょうか。
だから「踏ん張るしかない」というかね。


例えば企業が中国進出してコストダウンを図ってるのはあれオバチャマ感覚としては、「○負担(×負荷)をあっちに背負わしてる」っていう風にしか映らないのです。
だから何も「負荷がかかってるチャレンジ」には映らないわけです。
つまり「頑張れ!」という声援もかける気分には到底ならないわけです。
お門違いっていうかね。

もしもそのようなことに携わってる人に「頑張れ!」と声掛けして「うん、頑張る!(ニコニコ)」と言い返してくる人がいたとしたらば、「ちょっとこの人勘違いしてそ・・・」と疑問が走るというか。
「いやさぁ、『頑張る』も何もなくて、『踏ん張りどころ』っていいますかねぇ、これ。」っていうくらい冷静な人が「あ、わかってるな・・・」って気がしますや。



『○負荷(×負担)』をかけて「頑張れ!頑張れ!!(エール)」と素直に声をかけられる時が再度訪れて欲しいものです。
そうじゃなきゃ○楽しさ(△面白さ)が出てこないもんなぁ・・・
活気って○楽しさ(×面白さ)からじゃなきゃ出てこないものぉ・・・


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