半熟オヤジの基地

完熟できないオヤジの「狭く浅い&自己満足」の部屋

『あした世界が終わるとしても』を観ました。

2020-09-12 06:00:00 | あにめ&ひーろーの部屋
 幼い頃に突然死で母を亡くし、心を閉ざしがちな主人公・狭間真。「重要な研究」に没頭し続けている父とも心を通わせることができないでいる。クラスメイトで幼馴染の琴莉は、そんな真をずっと見守り続けてきた。
高校三年生の秋、真は琴莉をデートに誘う。受験を控え、将来への不安を一時忘れることが出来た大切な時間。隣同士で観る映画、はじめて一緒に撮ったプリクラ、新宿でのショッピング、カフェでのお喋り。いつも隣にいてくれた琴莉の笑顔は、これまでで一番輝いて見えた。真は勇気を出し、琴莉へ想いを伝えようとする。
「琴莉。僕は君のことが・・・」
だが、想像もしていなかった出来事が、少年と少女の運命を変えていく。琴莉の携帯電話に、真の父が亡くなったと連絡が入る。母と同じ突然死。近年急速に増加していた突然死は深刻な社会問題となっていたが、母に続き、父までも……。
真の前に、ジンと名乗る少年が現れる。ジンは真に告げる。
「俺はお前だ、お前は俺が守る」
ジンは、この世界と相対するもうひとつの世界「日本公国」から来たという。ふたつの世界には相対する人物がおり、片方の世界で死ぬと、もう片方も死ぬ。父と母の死は、日本公国で、公女と呼ばれる権力者に処刑されたからだったのだ。ジンは、日本公国で絶対的な権力をふるう独裁政権を倒すため、公女コトコと相対する人物を殺すためこの世界に来た。
困惑する真。相対するふたりの前に、少女の姿をした人型兵器・ミコと、ミコと共に真を追いかけてきた琴莉が現れる。琴莉の顔を見たジンは言った。
「あいつがこの世界の公女・・・」
相対するふたつの世界を舞台に、真とジン、琴莉とコトコの運命が交錯する。
僕は僕の世界を諦めない・・・
(公式サイトより)
 劇場で観た予告編でちょっとだけ気になってました
その時は、このタイトルそして、スクリーンには若い高校生のカップルが・・・どうみても、「キミスイ」みたいな切ないラブストーリーを想像してましたね。
実際見始めて、早々に予告編で観たシーンが出てきて、「予想通り」と思いました
しかし、その背後の世界観は、とてつもなくデカいものでした。こりゃ想像できないわ
冒頭の解説を読んでもしっくりこないようなこの「世界観」・・・途中でしっかりアムロ(古谷徹さん)がナレーションしてくれますし、劇中でも真たちが(ご丁寧にも)図などを使って説明してくれます。
それさえ観てれば、この作品の物語は大丈夫でした
原題でも、「突然死」ってものはたまにニュースになりますが、もしこの作品のような設定があったら・・・と想像しちゃいます
俺は普通のほうの日本の人なんで、この作品に出てくる裏日本(日本公国)が、何のためにあんな世界にしているのかも分からないです
しかも、ある技術を使って、表の日本に攻め込んで来てる・・・なんてネガティブな奴らなんでしょうか
この辺の「単純悪」とした描き方は観てて分かりやすいけど、「日本公国」ならではの苦難とか、問題(環境問題とか)があって、表に接点を求める・・・なーんて深い話のほうが納得言ったのでは
よってもって、両方の世界が壊滅状態に陥るくらいの「戦争」をやってて、得たものは、琴莉生誕
世界観に圧倒されたけど、実はやはりラブ・ストーリーだったというオチでした
ちゅうことで、あいみょんの曲をこんなに劇中で聴けるとはビックリ・・・で、50点
※あくまで個人的主観ですので、気分害されましたら申し訳ありません
コメント
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