この前の友人のこと。
「笑ってよ」
≪ 「笑え!」・・・か ≫
こんなタイトルだけ書き込んで、友人がHPの書き込みを二日ほど放置。
ええっ! ・・・
わたし、失敗しちゃいましたかっ!?
もしかしたら、青菜にどっさり塩!? かけちゃった?
ホントに元気なさそうだったし、どう思ったかな と 続き書き込まれるまで ちょっとドキドキ。
そしたら今日、これ
読んで ホッ!
(公開サイトだから そのまま載せちゃってもいいよね。 うん、いいよ。
)
「笑え!」・・・か
掲示板に心励まされるメッセージがあった。
このところ、心身に疲れを感じ、「福祉の世界で生きる」 ことにめげつつあったことを知った彼女からの、
励ましでもあり、また “活を入れられた” メッセージでもあった。
どうしようもなくなった時には、 「笑う」 こと。
彼女らしい。
様々な言葉では表現でき得ない、人が生きていく上で避けられない哀しみや切なさ、苦悩などについて
体験的に知り得ている彼女であるだけに、そのメッセージは胸に響く。
「道化師のソネット」・・・か。
そういえば、この曲は、ぼくのカラオケでの持ち歌の一つでもあったっけ。
先日も 「さだまさし」 さんのアルバムについて、この○○○日記上でも取り上げさせて頂いたが、
なかなか彼の 「言葉」 は胸に響いてくるものがある。
◆
道化師のソネット
作詩/作曲 さだまさし
笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために
僕達は小さな舟に 哀しみという荷物を積んで
時の流れを下ってゆく 舟人たちのようだね
君のその小さな手には 持ちきれない程の哀しみを
せめて笑顔が救うのなら 僕は道化師になれるよ
笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために
きっと誰もが 同じ河のほとりを歩いている
僕等は別々の山を それぞれの高さ目指して
息もつがずに登ってゆく 山びと達のようだね
君のその小さな腕に 支えきれない程の哀しみを
せめて笑顔が救うのなら 僕は道化師になろう
笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために
いつか真実に 笑いながら話せる日がくるから
笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために
笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために
1980年(昭和55年)
◆
自分自身の手では 「コントロール」 することもできない事態。
排除することも、あるいは 「逃げる」 こともできない抜き差しならない状況。
自らの無力感と自責感が募る一方で、自分自身の生、並びに仕事の意味を喪失しかけてしまうような追い込まれた場面。
そんなことは、生身の人間が生きていれば、避けれないこと。
だから、そんな “どうしようもない” 時には、笑ってやり過ごすしかないかも。
「道化師になる」 ということ。
そのことの有する意味の深さについて、彼女からのカキコに込められたメッセージを幾度となく読み返しながら、
ぼくは考えていた。
旧友であり、そして同じ 「志」 を大切にして生きようとしている仲間である彼女に、深謝!
心から、ありがとう!
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わたしのへなちょこボールを見事に
Nice catch! してくれた。
こっちこそ、ありがと!
彼は、わたしの言葉足らずで 言葉にできない 心のうちにある感性の言葉を 上手に
そして的確に文字にしてくれる。
というか、彼の書くことに共感すること多々だからそう思うのかな。
さて、宿題がひとつ残っている。
無視! 忘れてる! じゃなくて、なんて書こうかな・・ と いつも頭にはありながら書けずにいたメール。
連絡事項や近況報告だったら 何とかすぐにでも書けそうだけど・・
人の内側にお邪魔するようなメッセージは、さささっとはいかなくて。
ここから言ってみます。
お待たせして ごめんねえぇ~~~~~~~
これ、たぶん届くでしょう。