全壊だった実家の解体撤去作業が始まりました。
わたしも今日から今週いっぱいお休みをいただき、手伝いに行ってきます。
昨日父が具合悪くなって救急車で病院に行ったりしています。
それについて母もタクシーで病院に向かうなど、なんだか大変な事だらけのよう。
そんな様子を実家の隣で見かねた妹の同級生が妹に電話をくれました。
「あまりにお母さんが可哀そう過ぎるよ。 来てあげれないの。」 って。
妹も妹でもう倒れそうになって今奮闘中なので、行きたいのは山々ながらどうしようもなく昨夜うちにきたりしてました。
妹の保育所は地震で被害が大きかったため、急きょ取り壊しなることになってこどもたちを近隣の保育所数か所に分散しあずかってもらわなかければいけなくなったり、色々な物を片づけ、引っ越したり・・・
地震以来休みなく二週間で3キロ痩せたと言っていました。
今日わたしが実家に行くことを妹はしらなかったので、義弟とわたしが行くことで妹も少しはほっと出来たかも知れません。
宅急便で送っていただいた救援物資を昨日受け取りに行くことが出来ました。
九州からです。
中国時代の若い友人のばんちゃんが、自分は東京住まいで送りたいにも手に入らないからとわざわざ九州の実家にお願いしてくれ、ご両親が送ってくださったものです。
段ボール二箱にそれはそれはたくさん、色々な物はみっしり詰まっていました。
ホントにありがたいです。
今日はその中から実家にもいだたくことします。
全国、世界から色々な形でたくさんのご支援をいただいています。
いま被災地はそんなみなさんに助けられながら、ひとりひとりが踏ん張りながら色々なものと闘っています。
昨夜帰り際に妹に夫が、「じゃあ、あまり無理しないように。」 と言ったら、「今は無理しないとのりきれないの。」
実態です。
でも、もう少ししたらたぶん・・、きっと・・ 少しづつよくなることでしょう。
みなさん、本当にありがとうございます。
それでは時間もなくなってきたので、この辺で。
一週間ほど留守にしますので、更新はできません。
今日は卒園式。
本当はあの地震の翌日でした。
2週間遅れでしたが、誰もかけることなくひとりひとりがみんな、ピカピカに輝いていた卒園式でした。
参列しながら色々な想いが胸の中で駆け巡ってました。
命の塊
こどもたちの歌を聞きながら、今回の地震で被災し命を奪われた会ったこともない沢山のこどもたちのことが思われ、居た堪れない気持ちで一杯でした。
♪「みんな ともだち」
さよならなんて言わなくても いいよね
また あえるね
元気でなんて言わなくても 元気で
また あえるね
♪『君と僕のラララ』
命 いのち ・・・
数日前、テレビを見ていた息子がぼそりと呟きました。 リビアのニュースの時のこと。
こっちではひとりの命も失われないことをみんなで祈る気持ちなのに、そして悲しみに打ちひしがれているというのに、わざわざ人が人を殺す事態。
なんということでしょう。 あまりに愚かじゃないですか。
大きいクラスのこどもたちは、この歌もよく歌います。
♪「ともだちになるために」
卒園式前日の昨日、玄関で下駄箱掃除をしていました。
すると卒園児のSちゃん(女の子) が、「Eせんせい(担任)、しらない?」 って。
「どこかなぁ、しらないけど、もしここ通ったらSちゃんが用事あるって言ってたよって言ってあげるね。」 と、わたし。
「じゃあ、ここで待ってる。」 と言って、そのままそこでじっと待っているSちゃん。
なんだろ、余程の用事かな・・・ なんて思っていたところにEせんせいが通って、Sちゃんと隅の方へ。
用事が終わったところでEせんせいに聞いてみました、どんな御用だったのって。
すると、Sちゃんにもらったというものを見せてくれました。
E先生は次の日に迫った卒園式の準備で、こどもたちと一緒に給食を食べていませんでした。
そしたら、Sちゃん。
自分のご飯を少しラップに取り分けて、E先生に食べてほしくてずっと待ってたのでした。
きっとEせんせいもお腹すいてるだろうなと、心配してたんだと思います。
不覚にもわたし、掃除しながらうるっとです。
Sちゃんのお母さんの会社は今回の津波で流されてしましました。
お母さんの車も流されてしまいました。
車の中には、卒園式で渡されるはずだったSちゃんの卒園アルバムが入ってました。
一生懸命Sちゃんが描いた表紙の絵。 5年間の想い出の写真が流れていってしまいました。
何とか担任たちの奮闘で手作りのアルバムが完成し、今日Sちゃんに手渡されたようです。
ドラマ満載です。
悲しいドラマ、嬉しいドラマ・・・
ホントに大事なものってなんなんだろう。
我家の息子も買い出しの長蛇の列に並びながら、また非常時の際の色んな人の言動に触れながら、 『人間』 というものを見ているようです。
時々口にする言葉が、深くもあり、、 客観的観察からの感想でもあり、、 母は興味深く聞かせてもらっいるところです。
さて、明日は二度目の実家訪問。
予定では今日、仮設ワンルームが完成しているはず。
着がえと食料など持ちながら、夫と義弟で行ってきます。
生きるって 簡単じゃないですね。
でも、生きるって・・・
わたしの今日は、生きたかったあの人の、 明日なんですね。
やっぱり、(しんどいなぁ) とひとり心の中で呟いてしまいます。
今夜は全壊した実家から電話がきました。 でも現状を聞くのみ。
あまりに問題が大きすぎて、そして複雑で、簡単には見通しも見えず・・
そんなことを考えながら食器洗いをしていた。
すると後ろのラジオからこの曲が流れてきたのです。
しみじみ聴いてしまいました。 中島みゆきさんの時代です。
今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果ててて
もう二度と笑顔には なれそうもないけど
こんな時代があったねと いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで 今日の風に 打たれましよう
みんな、みんな、こんな風になれればいいなと思います。
簡単ではないけれど、時間は相当かかるだろうけれど。
宮城県は震災で両親を亡くすなどした子どもを保護するため、今日から沿岸部の3つの市と町で実態調査を始めたそうです。
「震災孤児」 ・・ なんて悲しく、切なく、辛い響きでしょう。
わたしの保育園にも、昨日も今日も子どもを見てもらえないかという親御さんが来られています。
一時保育という形で即お受けしたり、園長が相談に乗り役所に向かう方など、それぞれの事情で対応も違ってきますが、園長はそれは親身に相談にのりながら親子の生活とこどもの命を守るために出来る限りの事を必死に頑張っています。
わたしたちも今尚更に保育所の役割を実感する思いです。
昨日はパパと男の子のシングル家庭の方が相談にいらしてました。
今まで通っていた保育所が津波で流されて、行くところが無くなってしまったとのこと。
パパはあの大地震の日から三日間、わが子を探し回ったそうです。
息子さんは幸いにも保育所のみんなと避難していて、自衛隊に救助されパパの元に。
早めにお迎えに来た方たちは、あの津波に飲まれてしまったそうです。
パパは仕事にいかなければ。
でも、こどもを預かってくれるところがない・・・
きっと、わらをもすがる思いで訪ねてきたのだと思います。
「明日からお預かりします。」 の園長の言葉にどれ程安心されたことか。
被害の大きかった地域の方で、昨日の段階でまだ水も出ていないとのこと、保育園の水をどうぞ汲んでってくださいと言った時、「いいんですか!」 と言ったパパの顔が印象的、わたしも嬉しかったです。
早速今日から来てました。
ちょっとお部屋の近くに行った時、どんな様子かと覗いてみたら、お部屋の中に入れず端の方で涙いっぱい目にためながら声も出さずにじっと座っているところでした。
大変な恐怖体験、知らない所にひとりであずけられた不安・・
一日二日はしょうがないとしても、来ているうちに段々なれてくれると思うけど、今は辛い時。
はやく慣れて、保育園での時間を楽しく過ごせるといいな。
大連時代のお友だちからメールが来てました。
四日前に送ってもらったのに、なにせPCが不調の為、今日読ませてもらいました。
『しんどいなぁ』 なんて、ちょっとへたばりそうだったので凄く嬉しかったです。
どんなに励まされたことでしょう。
彼女の了承は得ないまま、勝手に公開しちゃったりして。
きっと、わたし以外にも励まされる方がたくさんいると思うから。
(ごめんねぇ~ 勝手にのせちゃたよ~ )
「 よかった!本当に無事でよかった!!
メールを確認して、一安心(^^)=3
今日は計画停電ないとの事なので、安心してメール書いてます。
多くの方が亡くなりましたし、寒い中、足りない物も多くて辛い状況かと思います…
でも、多くの物資、ガソリン、応援が向かっているのでもう少しの辛抱ですよ!!!!
みんなで助け合って、この災害を乗り切ってください!!!!!
私達、関東チームも負けませんよ~p(^^)q
東北の人達に比べたら計画停電なんてなんのその!!!
毎日の交通網の混乱は痛いですが、それでもみんな堪えてますよー!!!
viva 節電!!!!
東北の為ならえんやこらっ!!!!
福島の原発&続く余震と心配はつきませんが、
数ヶ月、数年後に 『よく頑張った会』 開きたいですね。
それまで、安全第一で!
何かあれば、いつでも連絡ください!!!!!
PS:我が家は古い団地ですが、一家族ぐらいは受け入れられます!
○○さんの周りで県外への避難を検討してる方がいれば利用してください! 」
ホントに 『よく頑張った会』 開きたいです!
みんなで開きたいです。
開けるように、、 開けるように。
よかった!本当に無事でよかった!!
Nさんのメールを確認して、一安心(^^)=3
今日は計画停電ないとの事なので、安心してメール書いてます。
多くの方が亡くなりましたし、寒い中、足りない物も多くて辛い状況かと思います…
でも、多くの物資、ガソリン、応援が向かっているのでもう少しの辛抱ですよ!!!!
みんなで助け合って、この災害を乗り切ってください!!!!!
私達、関東チームも負けませんよ~p(^^)q
東北の人達に比べたら計画停電なんてなんのその!!!
毎日の交通網の混乱は痛いですが、それでもみんな堪えてますよー!!!
viva 節電!!!!
東北の為ならえんやこらっ!!!!
福島の原発&続く余震と心配はつきませんが、数ヶ月、数年後に『よく頑張った会』開きたいですね。
それまで、安全第一で!
何かあれば、いつでも連絡ください!!!!!
PS:我が家は古い団地ですが、一家族ぐらいは受け入れられます!
Nさんの周りで県外への避難を検討してる方がいれば利用してください!
昨日、様子を見に行った保育所から出た時のこと。
通りかかった中年夫婦が「こんな時に子ども預けて仕事に行くなんて信じられない親だ」と話しているのが聞こえました。
誰も好きで預けて仕事に出ているのではありません。
医療関係の方を中心に、こんな時でもどうしても仕事をしなくてはいけない人もいるのです。
地震の後、保育園にお迎えにきた皆さんは泣きながら我が子を抱きしめていました。
昨日の朝も分かれるのがつらそうだったそうです。
こんな時、誰だって、ずっと我が子を抱きしめていたいです。
救助、復旧活動が進むのは、そこに働いている人がいるからです。
自分の家族のことも心配しながら、一生懸命仕事をしている人がいるからです。
でも…その場で追いかけてでも言い返さなかった自分が恥ずかしいです。
気仙沼の知人から連絡はいる。。。。。
「ようやくネットつながりました。 携帯ですが。
とにかくNさんのところも無事と聞いて安心しました。
市内はまだまだですが自分たちのいるところは電気が来たのでひとまず人並みの暮らしができるようになりました。
会社はもうだめっぽいですが、父や兄とこれからできることを考えています。
絶対立ち直ります。 安心してください。
仙台もガスが来ていないと聞いています。
しばらく不便な生活がお互いに続くと思いますが、頑張りましょう。」
わたしのPCがなぜかずっとネットに繋がらなくて・・・
夫のPCを借りて久しぶりの更新になりました。
やっと少しガソリンが融通でき、20日に実家に行って来ました。
やっぱり見事にぺちゃんこでした。
いつもなら少し離れた道路からも二階の部分が見えて、「帰ってきたなぁ」って感じがしたものですが、ぽっかりと空いた空間。
家をまわした暴風のための木々だけがただ静かに、いつも通りにすくっとたっているだけ。
家に近づくに連れ、現実を目の当たりにするのがちょっと怖かったです。
胸に迫るものがあったけれど、腰が曲がった年老いた母が懸命に後片付けをしている姿の前では涙を引っ込めるのが精一杯。
おっと・・ あぶない、あぶない・・ うっかり涙が出そうな時は、デジカメでパシッパシッ!
今の段階では、つぶれた家屋の中から何か引きだそうにも危な過ぎて手も足も出ないといった状況。
瓦礫撤去の時に、少しでも大事なものや取っておきたいものを集められるいいのだけれど。
三時間半くらいの訪問でした。
余りにぐちゃぐちゃで、片づけを手伝おうにも何をどうしたら良いものか。
近所の方たちや親戚が持ってきてくれた当座の衣類等を、取りやすいように分類して片付けたくらいで時間切れ。
ホントはもっと行けたらいいのだけれど、電車もまだ復旧していないし、車のガソリンはないし・・
今度はいつ行けるかなって感じです。
わたしの職場にも実家が津波で流された人が何人も居ます。
いま休んで帰省している人のメールには、、
お母さんがとても痩せていたこと、お父さんが 「なにもなくなってしまった・・」 とつぶやいたこと など書かれていました。
帰ってきたばかりの20代の別の人は、お父さんお母さんの涙を始めて見たと、涙を流しながら話してくれました。
おばあちゃんがまだ見つからないのです。
辛すぎることがいっぱいです。
でも、みんながんばってます。
震災以来ずっと連絡が取れなかった実家の状況が、今日分かりました。
全壊 でした。
家の居間に一人いた母は、崩れてきた家屋に押しつぶされたそうです。
しかし、辛うじて自力で瓦礫の中から抜け出し、九死に一生をえました。
父は丁度病院に行っており家にいなかったのが幸いし、父も無事。
一度倒れてから足が不自由になり車いすの父がいたら、たぶん駄目だったろうと母は言っていたそうです。
もし寝ている夜だったら・・・ もし、居間ではなく座敷の方に居たら・・・
たぶん、、いや、確実に押しつぶされて助からなかったでしょう。
二階とかなりの重量の瓦がのしかかってくるのですから。 本当に不幸中の幸いでした。
その後は、親戚の家にお世話になっているとの連絡。
なぜ消息が掴めたか。
県北の実家にこちらから行けない状況にあったので、夫が向こうに住む知り合いの方にお願いしたら実家まで見に行ってくれたのでした。
とても古い家だから、恐らく耐えられなかっただろうと想像はしていたものの、それが現実となると、やはりショックなものですね。
生まれ育った家が、全部無くなってしまった・・・
これからもう少し落ち着いた頃に行って、実際に目の当たりにしたら更に茫然としてしまうことでしょう。
今はその時の自分(状態・ショック) は、想像できませんが。
まず何より母が奇跡的に怪我もなく生きていられたこと、ラッキーなことに父が安全な所にいれたこと。
よかった。
今夜の仙台、わたしのPCの温度計では 只今 -1度 です。
心配してくれている友人たちが、全国からメールを送ってくれています。
今日は関東に住んでいる友人が、自分の地域の様子を書きこんでくれていました。
「 週末から昨日にかけて、ガソリンや日用品の買いだめで
オイルショックの時のような状況になっています。
特にガソリンスタンドは長蛇の列および売り切れの続出です。」
こちらも、もうガソリンがないのです。
今日買いだしに出かけた時、前に並んだ少し高齢の方が言っていました。
「今日こそは買えるかと思って、朝6時から並んでみたけど結局買えなかったんですよ。 このままただ帰るのも悔しいから食料調達しようと思ってね。」 って。
こんな状況です。
多くの人は、自転車やバイク、歩きに替えて通勤・買い物などしています。
こんな感じなので、一番困っている人たちに折角の救援物資を届けることができない そんな状況がうまれています。
毎日のようにどこかが揺れている日本列島。 更にわをかけたような原発事故。 両方背負っている福島のみなさんは、さぞかし苦しい時間を過ごされていることでしょう。
日本中が不安の渦といっても過言ではない今の状況。 少し余裕を持って買っておきたくなる気持ちは十分理解できます。
ですが、今、一分一秒も待てないでいる被災者の方たちに食料や身体を温める物、水など早く届けるためにも必要以上の買いだめを控えていた抱くよう切にお願いしたいです。
日本全国、また世界から様々な形で支援救済をしていただき、本当にありがとうございます。
心より感謝です。
わたしも何かしたいけど何ができるんだろう、、、 とお思いのみなさん。
大きなご支援・ご協力のひとつに 「必要以上の買いだめはしない支援。」 このご支援はとても大きいと思います。
被災地優先にまわしてください。
心からのお願いです。 せっかく助かった命の灯が消えないように。
しばらくの間、ブログ内容を <震災レポート> のかたちで勧めていきたいと思います。
どれくらいお伝えできるか分かりませんが、被災地の生の実態をみなさん読んでください。
書き込みしていたら差し入れ届きました。
娘の友人で、水を運んでくれたり今はどこに行っても買えない電池を持ってきてくれたり、ありがたいです。
彼は洪水で浸水がひどかった地域に住んでいて、家が今でも水浸し。
ご両親もどこかに避難されているそう。
寝る間を惜しんで色々と駆け回っては、困難な友人たちを助けて回っているみたいです。
この差し入れ、届いた時間、17日深夜1時半。
物凄い地震でした。
というか、まだ毎日大小の余震が続いています。 あしたあたりまでは、震度6くらいの余震がくる可能性が70%などと言われています。
わたしは何とか無事でした。
地震の日は喘息検査のため仕事を休んでました。 検査後、長町のモールに寄り映画を見るつもりで始まる前の時間をビル内散策。
その時です、物凄い揺れ。 時間的にも長かった気がします。
「もしかしたら潰されるかもしれない・・」 という気持ちと、「このビルはたぶん大丈夫!」 という気持ちが入り混じりながら、ひたすらおさまるのを待つしかなく。
阿鼻叫喚、あちこちから聞こえる悲鳴や泣き声。
一旦おさまった隙にエスカレーターを駆け下り外に。 もうそこは避難してきた人でごった返していました。
信号は全て消え交通は大混乱、横断する人も走ってくる車もタイミングがつかめずホントに危険でした。 三日前に中国から帰国したばかりのわたしは数日前のあの命がけ(オーバーのようでオーバーではなく) の横断を思い出しながら、まるで中国みたいな光景だなと思いだしながら、とにかくタクシーを拾わないと・・ と。
大分時間が経過してから運よく停まってくれたタクシーの運転手さんは女性の方で、おしゃべりしながら気を紛らわせながら三時間くらいかかってやっとたどり着けたという感じ。 普段なら40分かかるかかからないか。
今夜三日ぶりに電気がつきました。 感動です。 恐らくの寝ずの復旧作業に感謝です。
水道とガスの方は、まだ見通し立っていません。
昨日は給水に行き、5時間半ひたすら並んで水を確保。
並んでいる途中、貧血で倒れてしまったお婆さんがいらして、近くにいた車を持っていた方が家まで送って差し上げてました。
家に行ってみると、散乱した物でごった返した部屋に足腰が悪くて動けないおじいさんが一人でいたそうです。
そして、唯一あった食料はりんご一個。
どうしようもなく水をもらいに並んだはいいけれど、飲まず食わずで何時間も立ちっ放しはお年寄りには相当きついことです。
その場にいた事情を聞いた方が、住所を聞いて水を汲んで届けてあげていました。
大被災地の被害とは比べようもないくらいの被災地でも、確実に命にかかわる事態は迫ってるんだと実感させられました。 車いすで並んでいる高齢の方もいらしたし。
テレビで見たのことがあったシーンが、正に目の前にあって静かに深く衝撃を受ける思いでした。
一緒に行っていた息子も想いは同じみたいです。
今日は何件かお店を周って、トイレットパーパーや食料を調達してきました。
一人一個で三種類までとか、かなり制限かかってます。
相当酷い被災地で水も食べ物もまだ全然届いていない所もあるし、手に入るだけでもホントに幸せな状況です。
今朝までは新聞に載っている数枚の写真でしか見なかった被災地の様子を、今夜テレビで初めて目の当たりにしました。
身近にも親族を失くされた方、すんでのところで命を取り留めた方、家を津波で流されてしまった方、
既に二桁の友人知人を亡くした娘の友人などなど。
なんて言葉にしたらいいのでしょう・・・
うちの家族は幸いにもみな怪我もなく無事でした。
今確認できる限りでは建物の方も何か所かヒビが入ったくらいで、大きな痛みはないようです。
わたし、どうしようかな・・・ 今わたしにできることなんだろ・・・
テレビを見ながら、辛すぎる光景と一緒に胸に込み上げてます。
快眠会食と快調のうちに、本日最終日。
明日、朝の便で帰国。
今日はお天気もいいし、普通に観光客になってシンハイ広場にでも行ってみようかな。
それから、あそこの過橋米線を絶対食べてと。。
あと一日、大連満喫だ。