ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

三日前の七ヶ浜

2011-05-31 | 東日本大震災 from 仙台

こちらも被害が大きかった地域です。

古くからの友人や職場で一緒の人が住んでいます。

七ヶ浜を訪れたのは、初めてでした。

まだ手つかずのまま瓦礫が放置されているところがたくさんあって、二か月以上経ったとは思えなかったです。

以下三枚は、例年なら田植えも済んで一面に満々と水をたたえていたはずの田んぼです。

どっさりとのっかった瓦礫、瓦礫、、

      

     

     

 

そして、浜の方はより酷くて・・・

     

えぐられた岸壁。  骨しか残っていない建物。

      

ひしゃげた自転車・・・

       

お年寄りが歩いて何処かへ。   

     

そんな中、 『がんばるぞ!』 の塊 に見えた漁の道具たち。

     

今週、震災後初めての刺し網漁の船がここ花淵浜から出されるそうです。

捕れた魚はみやぎ生協のお店で販売されるとのこと。

うちの近所の店舗にも届くかな。      

見つけたら、買います!!  

         

 

 

 

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石巻へボランティア(3)

2011-05-31 | 東日本大震災 from 仙台

うかがったAさん宅周辺はあの日、2m50くらいの津波に襲われたそうです。  

家族は無事で二階に避難。 

夜、目の前に広がる水面は見たことのない輝きを放ち、何とも不気味だったとお話されていました。

海水に油や汚水、色々なものが混じり合っていたからでしょうね。

自宅の一階は浸水したため生活できる状態にはなく、今も二階暮らし。

同居されていたおじいさんおばあさんは、階段を上がり降りする生活では大変だからと親戚宅にお世話になっているそうです。

突っ込んできた車瓦礫など、敷地内やハウス中に散乱していたものはなんとか片づけたものの、生活はまだまだ不便が続いているようです。

二ヶ月半経った今もお風呂は使えません。  台所も使えません。  トイレも使えません。

お風呂は親戚宅、二件でお世話になっているそうです。  

毎日の食事は、一日一回市からお弁当(夕食)が届くとのこと。  他二食はパンだったり、カップ麺だったり。    

それから、たまにボランティアさんが地域で炊き出ししてくれることもあるとおしゃってました。

不便なのは他にもあって、例えば交通手段。

子どもたちは、送り迎えしないと学校に行けない。 (Aさんじゃなく別の方の話)

朝はお父さん、迎えはお母さんと送り迎えの毎日だそうです。  バスはあるものの、まだ本数が少ない。  

 

こちら、フェンスに引っかかっていた、ごみ?   

     

様々なものがぎっちり混ざりあって分厚い織物のようでもあり・・  特殊な紙すきのようでもあり・・

        

ハウス内で作業をしていると、いろいろ出てきます。

どこからか流れてきた誰かのアルバムや写真・・・     表紙がガチガチに。

    

 

昼休み、近くを散策していたらコスモスの芽を見つけました。 

       

また、名も知れない草たちが何もなかったように育っていたり。

塩分たっぷりの土からさえ芽をだすたくましさ。   あらぐさのたくましさですね。

このあらぐさに もし心があって声が出せたなら、わたしたちになんて声をかけてくれるのでしょう。

「がんばれ!」  かな。

いや、 「大丈夫! わたしたちを見て。。」   そう言うんじゃないかなと、わたしは思ったりするけれど。

どうでしょうね。

      

 

今夜(30日) 楽しみにしていた 『 NHK 鶴瓶の家族に乾杯』 を見ました。 

再会編で鶴瓶さんとさだまさしさんが石巻を訪ねる後篇です。 

鶴瓶さんの気さくで暖かい人柄は、石巻のみなさんの大きな励ましになった気がしました。

そして、さださんの歌。  とってもよかったです!

 

 

会場からリクエストの声が上がりました。   「 ♪がんばれ やって!!」 

さださんは、ここから歌い出し

       俺が死んだあと いつの日か なにかちょっと困った時にでも

      そっと思い出してくれたなら きっと俺は幸せだよ

      がんばれ がんばれ がんばれ みんな    

      がんばれ がんばれ がんばれ みんな    がんばれ

 

『関白失脚 』 という歌の後半の部分です。

会場中、みんなの 「がんばれ」 の大合唱には、胸打たれました。  

中でも、がんばれ~! と大きな声(たぶん)で歌ってるこどもたちの笑顔、かわいかったです。

涙ぬぐいながら がんばれ~! と繰り返し歌っている大人のみなさん、なんか感動です。

 がんばれ~!  って みんなにも言って、 自分にも言って。  そんな感じがしました。

 

 

 

 

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石巻へボランティア(2)

2011-05-30 | 東日本大震災 from 仙台

わたしたちの仕事は、ビニールハウスに入った泥の掻き出し作業でした。

なんという地域かは分かりませんが、ここを通った辺りです。

    

作業の道具を積んだ軽トラに案内され、作業地へ。

    

キュウリ栽培をされている方のお宅で、ビニールハウスはとても大きかったです。

この写真の大体二倍の広さ。

この中はキュウリでいっぱいだったのに、津波で全部だめになってしまったそうです。

これからという時に、収穫できたのは地震前の一回だけとのこと。

   

ハウスなので雨が降っても作業には支障がなく、また気温が涼しいのも幸いと言った感じ。

とはいえ仕事をしだすとすぐに暑くなって、半袖で丁度いいほど。 この日は11人で作業。

一番若い30代の方から、定年まじかの方も。  普段使わない筋肉と態勢で30分もしないうちに腰から腕から辛くなってきて・・・

これを毎日、それも家の人だけでするとなると気が遠くなりそうというか、絶望 に近い気分だろうなと思いながら・・  

実際一緒に作業をした地元の方も言っていました、一日やってこれだけかと思うとやる気もなくなりますって。

絶対そう思うだろうな、 意欲の限界ってものもあるよ、 などと心で思いながら あちこちの痛みに耐えながら・・   がんばってみました。 

     

砂や泥、ヘドロなど色々なものが流れてきて土の上をおおってしまったので、それを掻き出したり掘り出したりして除去します。

かるくとれるところもあるのですが、ぎっちり固まって相当力を入れないと掻き出せないところも結構ありました。

塩水がかかると土がしまるというか固くなるそうです、その上、色々な重い瓦礫などがのっかって更に土を押しつぶしたとのこと。  固いところは土のアスファルトみたいでした。

      

削り取った土をかき集め一輪車でハウスの外まで運ぶ作業もまた重労働。

みの(かな名前) やシャベルで積み込みます。

      

こんな感じで作業中のわたしでした。

      

 

作業しながら農協の方に色々うかがいました。

まず最初はこの作業し、次に土から塩分を抜く作業をしないとまた植物を栽培することはできないのだそうです。

塩分は水をたくさんかけて、ひたすら流す。

ただ問題なのが、その水。  このハウスの場合、屋根が開かない構造なので雨は期待できないとのこと。

もし屋根を一旦取り除いて梅雨の雨に流してもらおうとしても、今度は屋根をかけるのに相当なお金がかかってしまう。

かといって、地下水をかけようとしても現在地下水も塩分が含まれていてかけることも出来ない。

とにかく今は、次の作業がいつ始まってもいいように準備しておくところまでとのことでした。

これから雨がたくさん降れば、路地栽培の方は早く復活できるだろうとおっしゃっていました。

今できることをひとつひとつ積み上げていくことなんですね。

 

この日、運び出した土の山。

 

      

 

 続きは今度の土曜日。  4日にまた行きます。  

 

 

 

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石巻へボランティア(1)

2011-05-29 | 東日本大震災 from 仙台

7時過ぎに家を出発し、一路石巻へ。

三陸道の下りは途中事故などもあり、少々渋滞ぎみでした。 

被災地へ向かうと思われる車がいっぱい。

    

集合時間に遅れる恐れもあるかということで途中、国道へ下り45号線を走りました。

          

4月9日に行った時より河川付近の瓦礫の撤去は、進んでいる印象。 見違えるように普通の光景に。

この前は家が流されていたり、色々なものがいっぱい溢れていて息をのむ光景でした。 

      

石巻市内に入るとあちこちに、ボランティアさんたちの姿が。

小雨が降る少し肌寒い日でしたが、懸命に働いているみなさんでした。   

      

      

      

ある団体のボランティアさんはきちんと拠点をもち組織的に活動されているようでした。

作業後は道具をきれいに洗って次に備えるなど。

        

大人数なので、仮設トイレもたくさん設置。

 

全国から来てくれているんだなぁ と、

現地に行き、みなさんのご支援を目の当たりにしながら実感あらたにしました。

みなさん、ホントにありがとうございます。 

 

 

 

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いよいよ明日

2011-05-27 | 東日本大震災 from 仙台

いよいよ明日ボランティアに行ってきます。  今回は参加できる人が7人とのこと。 

夫以外は、みなさん知らない方たちです。

明朝5時半起き。 (起きれるかな・・  なんとしても起きねば。 )  

起きてからお弁当作り始めるのでは、出発までに間に合う自信ないので、今日のうちにおかず二品仕込みました。

遠足気分という訳ではないですが、お昼くらいはみなさんと楽しく食べれたらいいなと思って、少し多めにおかず作ってみました。

戻ったら、どんな様子だったかなど報告します。

 

さて、、    すっかり忘れていた 大連旅行 (3月4日~8日) の話し。

あの大震災の丁度一週間前の3月4日に出発し、あの大震災の三日前に仙台空港に帰ってきたあの旅のこと。 (仙台・大連便は、火・金 就航)

いつもなら帰ると間もなくブログに 「旅紀行」 を載せるところ、今回はすっかりぶっ飛んでしまったというか、それどころじゃなかったというか。

せっかくなので、また少しずつまとめてみようと思っています。

 

まさか一週間後にあんな大惨事に見舞われようとは、誰も思えない仙台空港。 (出発の日)

この辺はすっかり津波で埋まったところです。

         

         

 

旅写真もたくさん撮ってきました。

山田洋次監督の大連時代に住んでいた家も (ついに!) 見つけたんですよ。   

 「山田洋次監督と大連と」

           

 

 

 

 

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初ボランティア

2011-05-24 | 東日本大震災 from 仙台

今週の土曜日、ボランティアに行ってきます。   石巻です。

形から入る! って訳でもないですが 、 今日長靴や手袋などボランティアグッツ(?) を買ってきました。

             

やることは、泥のかきだし作業みたいです。   今からちょっとはりきってます。

一生懸命がんばってこようと思います。   当日は7時に家を出て、石巻9時集合で作業開始。

 

先週、同じような作業をしてきた人が、こんなお話をしていたそうです。

『 Aさんのところは2メートルくらい水があがり、ハウス(野菜作り用) に車が数台突っ込んだそうです。  

 家も1階は住めません。 

 津波の直後は瓦礫や汚泥でハウス内はめちゃくちゃ、農業はもうやめようと思ったそうです。

 しかし、その思いを変えたのは、がれきを撤去してくれたボランティアさんたちの力だとも言いました。

 21日はAさんのご主人は参加されていませんでした。 

 聞くと、現金収入が無くなったのでアルバイトに出かけているとのこと。   

 大学生の子ども二人をかかえているので・・・、 とおっしゃり、 

 私は返す言葉もなくうなづくしかできませんでした。  』

 

6月に四連休取れました。

その時も、どこかで何かのお手伝い出来たらいいなと思っています。

 

 

 

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改めて、大震災

2011-05-23 | 東日本大震災 from 仙台

取れませんでした、 『徳永コンサート』 のチケット。 

いつもは年一回冬だけコンサートのところ、今年は7月にも行われるということで、先日コンビニに行って買おうとしたら、すでに全部売り切れ。

とにかくいつも、売りだす間もなく sold out!   

そんなこんなで徳永ネタを見ていたら、復興ソングをつくったという情報を目にしました。  『明日に帰ろう』 という曲だそうです。

今月28日から配信とのことなので、まだ聴くことはできません。   どんな曲だろうと楽しみです。

徳永さんがインタビューでこんなことを言っていました。 今回の曲づくりに込められた思いのようです。

 『 昨日はもう二度と来ない。 でも、明日はもう一度つくっていける。 』

 あの震災から二カ月以上が経ち、わたしの生活も震災前と全く変らないほどに回復した今、うっかりすると遠い過去のようでもあり・・・

あの3月11日以降、4月はカレンダーに存在してないかのようだし・・

改めて意識的に振り替えれば、あれもあったこれもあったと思い出だせない訳ではないのですが、それこそ意識的に思い出す作業をしないと自然には中々思いだされないというか、飛んでるんでしょうね、異常過ぎて。

徳永繋がりでたまたま見つけたこの動画。

改めて、物凄く大変な事が起きてしまったんだと思い出されました。

 

 

復興が進んでいるのは喜ばしいことですが、まだまだ大変な状態にいる方たちが存在するのも現実です。

5月の連休にはたくさんのボランティアさんたちが色々なお手伝いをしてくださいました。 ありがとうございます。

わたしも実家の方は大体もう大丈夫かと思うので、なにかわたしにできるお手伝いが出来ればと思っているところです。

連休後のボランティア数は、それ以前より激減しているみたいです。

でも、お手伝いして欲しい方たちはまだまだたくさんいらっしゃいます。

癒やしには日薬が結構有効だとわたしは経験上思うのですが、時間の経過と共に意識から薄れ、辛いのは当事者だけということにもなりかねない・・ 

被災地の片隅にいるわたしでも自分の暮らしが元に戻ると、うっかりすると忘れそうです。

なにかわたしにできること、あるかな。

なんでもいいから、お手伝いできることしてみたいと思っているところです。  

思うじゃくて、大事なのは 実行 ですね。 

 

                                      

 

 

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津波の跡からアスパラが

2011-05-22 | 東日本大震災 from 仙台

津波に襲われ、大きな被害が出た東松島市。  

夫の知り合いのSさんの畑は海水に全部浸かってしまったそうです。 

もう枯れたと思っていたアスパラ、、、 ところが芽を出した!   

その小さな芽は、きっと大きな希望だったに違いありません。

大きくなったアスパラを夫がいただいてきました。  

必ず明日はくるというように、こんなに大きくなったのです。

         

さっそく茹でていただきました。  柔らかくて甘みがあり美味しかったです。

         

 

海水に浸かった畑でも、耕して雨に当てて塩分を除去すれば また作物が育てられるようになるのだそうです。

専門的には、ECという塩分濃度の数値が0.5以下になれば作物の作付けは可能とのこと。 

今現在の数値は0.8。  もう少しですね。  

今日は少し雨が降ったし、これから梅雨がくれば雨もたくさん降るだろうし期待できそうです。

 

 

 

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実家の新しい小さい家

2011-05-21 | 東日本大震災 from 仙台

実家の新しい家造りが、少しづつ動き出したきたみたいです。

妹などは何か所か展示場?を見て回っているらしく、先日実家に 「こんな家、どう!?」 と提案に行ったそうで、かなり積極的。  確かに新しい家を造るとなると、こんな感じはどうかな・・ とか想像してるだけでも、なんかうきうきしてくるもの。  父も地元の住宅会社に行ってみたそうで、今度相談したいからいつか日曜に来てくれという電話がありました。

両親と妹、もしかしたらわたしも、それぞれの新しい家に対するイメージが違うようです。  当然ですけど。  母は電話で 「座敷二つと茶の間くらいでいいんでね。」    座敷・・・  これは純和風的イメージだな。   妹の方はたぶん、そうじゃない今風のちょっと洒落たそしてまたオール電化的な家をイメージして提案したのだろうと想像。  

限られた予算なので、中々難しいです。 それからどこの会社にお願いしたらいいかも、これから調べないといけないし。

まあ、これから何年その家で過ごせるかはわからいけれど、よそに居るみたいという感じじゃなくて両親が落ち着ける家が一番と思うのですが。   

そして、便利 過ぎないことも大事だとわたしは思っています。 (わたし自身の生活に対してもそう思う)

母は中々のアイディアマンで、ないものや不便を感じるものは自分で工夫して作る才能にたけています。

これはわたしが子どもの頃から今も、ずっと感心していること。

この前実家に手伝いに行っていた時も、年老いていまだ変わらずって感じで色々工夫の跡が見えました。 

例えば、これ。。   運び出した布団とか着物とか、、 そんなものを干す干物干し。  母がひとりで作ってました。  この程度は序口です。

          

本人は、生活しやすいようにという知恵なんだと思います。   

これがなければ何もできない・・・   こんな発想は、たぶん母にはないでしょう。

スイッチON! で何もかもが快適に過ごせるというより、暮らしに(人間の)知恵が生かされる生活の方が、わたしは好みです。

うちにはエアコンないんです。 さすがに作年のあの猛暑はエアコンあったら涼しいんだろうなぁ・・  と思った日もなくもなかったけれど、おふろの残り湯でせっせと打ち水したり、風鈴響かせたりしながらなんとか過ごしました。

大変だけどなんか楽しいとか、知恵を使いながら工夫しながら生きるのって大事だし、やっぱり楽しい気がするんです。

今回の大震災を体験しても、それはいえる気がしてます。

 

冬になる前には新しい家に入れるといいなぁ と思っていますが、さて、どんな感じに落ちつくことやら。

こんな書き込みしていたら思いだしました。   以前、内モンゴルを旅した時の事です。   

     内モンゴルの暮らし     内モンゴルの大草原8

 

                                   

 

 

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どうぞ来てください、仙台!

2011-05-20 | 東日本大震災 from 仙台

九州新幹線全線開通した時、こんなCMが。 開通の喜びが溢れていて、見ているとなんか感動してしまいます。

祝!九州 九州新幹線全線開CM180秒

 

このCMを見たある人たちが、同じような企画をしその翌日テレビで紹介されました。

東北新幹線が地震以来、全線復旧し開通した4月29日のこと。

開通の喜び、そして、ようこそ仙台へ! ようこそ東北へ! の気持ちがいっぱいいっぱい溢れていて、こちらもまた感動でした。

         

ホントそうなんです。 来てくれた! みんながまた来てくれた! なんかそれが凄くうれしくて。

あきらかに県外からのお客様だと思われるみなさんに、「ようこそ! いらっしゃ!」 ととても言いたいと思うのですが、ちょっと恥ずかしかったりするので、心の中で言ってます。 

 

今年も夏には 仙台七夕まつり 、行われます。 (8月6~8日)

今回は東日本大震災を受けて「復興と鎮魂」をテーマに、市民参加型の七夕まつりが開催されるとのことです。

例年のような豪華な飾りというより、七夕の原点に戻り市民(家庭)における七夕飾りの推奨など、いつもとは少し違った内容になるみたいです。

 

『定禅寺ストリートジャズフェスティバル』(9月10日(土)・11日(日))も開催です。

今年で21回目。 音楽に溢れかえる仙台  にぜひ来てください!

みんな踏ん張って頑張って、少しづつですが復興してきているなという感じことが増えてきています。

そんな中、今度は丸森(宮城)の牧草から暫定許容値の5倍の放射性セシウム検出などというニュース(他の地域も)。  残念と言いより、かなりの怒りでいっぱいですが。

 

実際ちょっと不安を感じる方もいるかも知れないかな・・・

でも、わたしたちはみなさんを心からお待ちしています! 

 

                                        

 

 

 

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