斉藤和義 おつかれさまの国
「おつかれさまです」 といってみる
このぼくに ...
お つ か れ さ ま
楽天勝利! ベガルタ勝利!
どちらも本当に頑張ってくれました。
ファンの方はもちろんのこと、地元東北のわたしたちもどんなに励まされることか。
野球といえば見るのは高校野球くらいのわたしも(サッカーは何もみないし)、今期は気になってます。
試合後の嶋選手のあいさつに心うたれ、涙がこみ上げるくらい感動しました。
とても毅然とした立派な挨拶でした。
テレビから流れてくるメッセージは色々ありますが、その中で一番心に深く届いてきた思いです。
言葉だけではない、心の伴った言行一致の姿が伝わってくるから。
『誰かのために闘う人間は強い』
今まさに 『東北 楽天ゴールデンイーグルス』 として、わたしたちの為に闘ってくれているんだなって。
『ベガルタ 仙台』 もそうです。 (サッカーよく分からないから付け足しみたいな書き方みたいで・・・ ごめんなさい。 決して付け足しではないんですよ。 )
勝ってくれればみんなも嬉しいし励まされるけれど、勝っても負けても東北のみんなは一所懸命応援すると思います。
試合会場に駆けつけたり、自宅や避難先でテレビを見たり。
これからもいい試合見せてくださいね! 楽天 もベガルタ
も。
嶋選手のあいさつは、こんな内容でした。
「 本日は、このような状況の中、Kスタ宮城に足を運んでいただき、またテレビ、ラジオを通じてご覧いただき、誠にありがとうございます。
この球場に来る事が簡単ではなかった方、ここに来たくても来られなかった方も大勢いらっしゃったかと思います…。
地震が起こった時、僕たちは兵庫県にいました。 遠方の地から家族ともなかなか連絡が取れず、不安な気持ちを抱きながら全国各地を転戦していました。
報道を通じて被害状況が明らかになっていくにつれて、僕たちもどんどん暗くなっていきました。その時の事を考えると、今日、ここKスタ宮城で試合を開催できた事が信じられません…。
震災後、選手みんなで 『自分たちに何ができるか?』 、 『自分たちは何をすべきか?』 を議論して、考え抜き、東北の地に戻れる日を待ち続けました。
そして開幕5日前、選手みんなで初めて仙台に戻ってきました。
変わり果てたこの東北の地を 『目』 と 『心』 にしっかりと刻み、 『遅れて申し訳ない』 と言う気持ちで避難所を訪問したところ、皆さんから 『おかえりなさい』 、 『私たちも負けないから頑張ってね』 と声を掛けていただき、涙を流しました。
その時に何のために僕たちは闘うのか、ハッキリしました。 この1カ月半で分かった事があります。
それは、 『誰かのために闘う人間は強い』 と言う事です。
東北の皆さん、絶対に乗り越えましょう。 今、この時を。
絶対に勝ち抜きましょう、この時を。
今、この時を乗り越えた向こう側には強くなった自分と明るい未来が待っているはずです。
絶対に見せましょう、東北の底力を! 本日はありがとうございました。 」
仙台駅で見つけたそうで、おみやげを買ってきてくれました。
なんと! ほや! (蒸しほや)
復興物産展でもやってたのでしょうね。
自分の分とわたしのとで、二袋買ってきました。 (一袋300円也)
驚きと感激で、声もなく・・・ のわたしに、
「嬉しくないの!? なんにも言わないで。 」 と、むすめ。
じゃなくて、どういえばいいか・・ おう! なんだけど。
今夜はむすめの方を食べました。 三切れ(だけ) もらえました。
わたしのは、当分の間 大事に保存しておきます。
いつ食べようかな。 もったいなくて簡単には食べれない感じ。
ほや好き親子は、ほや食べながら、幸福のひとときでした。
この現実が無性に悲しかった。
悲しいというより、辛いかな・・ 一言では表わせません。
地震の前まで、毎日のように食卓にあっためかぶ。
国産の 『三陸産』 のめかぶです。
もうないんです、どこにも。
『めかぶ』 から惨過ぎる現実が どかん! と広がってきて、お店の中であぶなく涙でそうでした。
分かり切っていながら一応聞いてみたりして、「国産めかぶないですか? ないですよね。」
「今はこれしかないんです。 国産は来年もないかもしれないね。」
あったのは、韓国産でした。 加工は国内でやってるとのこと。
食べたいな、三陸の海で育っためかぶやわかめ、ホヤだって、牡蠣だって。
食べれなくなる日がくるなんて、思ったこともなかった。
全国のみなさん、世界のみなさんにはあの日以来、たくさんの御支援や応援をいただきました。
まだまだ現在進行形で、応援していただいていることに感謝です。
とても美味しい東北の海産物を、全国のみなさんにも食べていただきたいです。
美味しいお米だって野菜だって、、、 食べていただきたい。
自然相手の産業は、結果が出るまでに時間がかかるものが多いです。
でも農業や水産業、畜産も、わたしたち日本人の 食 に関わるとても大事なものだと思います。
ただでさえ低い自給率が、この地震の影響でまた下がるのではと心配したり。
全国のみなさん、引き続きのご支援・応援を重ねてよろしくお願いします。
なんとか生産者のみなさんが立ち上がれるように。
津波から逃れ命だけは無事だったけど家や車は津波に持っていかれたと。
高台にある親戚の家に親族総勢20人でいるが水が無いって連絡を受けたので少しでも楽になればと思ってさ。 仙台近郊と違って近くにやってる店がないわけで。
海沿いに街が形成されてる三陸沿岸部は津波に全て流されてる為、買い物に行くとなれば2時間近くかけて山を越えなければならないわけで。野菜、肉が全く買えないと。
報道なんかで陸前高田市の様子は把握していたつもりだけど実際行ってみたら言葉を失ったよ。
写真や映像ではあの空気は伝わらないわ。見渡す限り瓦礫の山。 地元の人間ですら街に入りこんだら迷子になるって。 遮る物がなくなった事で海風が粉じんを飛ばしまくり目、鼻、喉が一気にやられる。
10年近く前に友だちの家になんども訪れ服のまま海に入りはしゃいでちょっと遅めの青春を過ごした思い出の地。
日本でも有数の綺麗な砂浜とされていたあの高田松原はもうない。
家も車も金もない方々にとって果たして日本の力を信じれるのか。 わけないよな。
「応援してる」ってTVで言ってくれる政治家さんや著名人の方々、僕の友だちの家建てますか? 車買ってくれますか? 生きていく見通しを示してくれるかい?
心配して本気で思いを寄せてくれてる人の気持ちは僕には響いてますよ。 TVで言ってる「日本の力」の意味も理解しますよ。
けど、その言葉が何の意味もなさない場合がある、むしろ気持ちを逆撫でして怒りを覚える場合があるって事を政府、メディアのかたは知らないといかんよ。
友だちだって国や義援金で全てをカバーしてくれるなんて思っちゃいないよ。
でもさ、信じれるものや生きる希望が確かな形としてなければただただムカつくだけだよ。
やり場のない怒りが膨らむだけだよ。 現地に行った上でどんな応援するのか言って下さいよ。
って思いながら友だちのもとをあとにしようとした時の友だちの 「ホントに申し訳ない、迷惑かけてすまない」 って表情で 「ごめんね、ありがとう」 って言ってる姿が焼き付いて離れない。
なんだかバタバタとした毎日で・・
せっかくのおめでたい話しなのに、「結婚します。」 って聞いた時 「えっ!? 夢? 願望?・・・ 」 なんて言っちゃったりして、、 実に失礼しました。
改めまして、おめでとう!
ちょっと突然だったので、現実に起きている事だと認識するのに少しばかり時間がかかってしまったようです。 ごめんなさい。
♪ その人を選んだ人生が今始まる 誰もしあわせしかいらないだろう それだけを祈るだろう ....
斉藤和義 ウェディング・ソング Mono Version
人は、自分ではそうとは気づかない廻り道をしたりする。
でも、その廻り道は決して無駄ではないとわたしは自信を持って思っています。
一見無駄のようなその時間は、その人らしさやその人の人間味というものを確かにしてくれる気がするのです。
今回の大震災は、色々なものを見せてくれました。 そのひとつに “人間” があります。
極限にも近い状況下で見せる色々な人間の姿というか、、あったかかったり、寒々としたり。 そんな中で、「こうあろう!自分」 も考えたり。
こんな時って特に、その人の 「芯」 っていうか、その人の中にある 「人間」 が見える気がするんです。
自分が一番しんどい時に傍で一番守ってくれた人、折れそうな心を支えてくれた人だったんだよね。
♪ その人を選んだ人生が今始まる 誰もしあわせしかいらないだろう それだけを祈るだろう
きっと間違いない選択だと思います。 おめでとう。
ご両親にも、最高の不幸の後に、最高の幸せをプレゼント出来たのではないでしょうかね。
おめでとう やったね
復興に向け、新しい取り組みが25日から始まるそうです。
『被災地応援ファンド』 という取り組み。
「 小口の出資者を全国から募る取り組み で、ファンド運営会社は今後、再建を支援する事業者を増やす方針。 被災企業が市民の応援で、早期に資金を得る試み として注目されそうだ。 (河北新報) 」
こんな感じの応援みたいです。
* 応援の気持ちをお金に託す。 またいつか◯△商店のあれが食べたい!
↓
*思いのこもったお金を力に。 ◯△商店が事業を再開
↓
*苦楽を共に! 復興の日を一緒に見届ける
投資が半分、寄付が半分の新しい金融のかたちで、
出資金5000円と出資取扱手数料500円、応援金5000円の10500円から参加できるそうです。
半分寄付 半分投資 被災地応援ファンド立ち上げ
詳しくは、こちらをご覧下さい。 こちら!
そして賛同いただける方、どうぞご支援下さい。
小雨がしっぽりと庭の土を湿らせてくれています。
温かくなったと思ったのもつかの間、ちょっと肌寒い日が続く仙台ですが、庭の雪柳だけはイキイキと。
今朝、庭と鉢にパンジーを植えました。
色彩が増えると賑やかになって心もうきうきしそうです。
チューリップの蕾も少し色づいてきたし、咲いてくれるのももうすぐかな。 たのしみです。
こんな情報が入りました。
今回の大地震で大被害を受けた地域のひとつ、東松島市のアスパラガスを生産する農家の方からです。
その方のアスパラガスは津波で浸水、そうなれば一般的な知見では壊滅が普通。
ところが、最近見事に芽を出したそう。 他の作物も引き抜いてみたら、新しい根が出ていたとのこと。
これからは雨水が地表を流れてしまわないよう、畑をよく耕すことが大事な作業とのこと。
耕すことで、土に付着した塩分を少しでも除去することができるからだそうです。
素晴らしい生命力ですね。 この前、テレビのニュースで水仙の話を見ました。
津波ですべて流された我が家に帰ってみたら、庭があったあたりに綺麗な水仙が咲いていたというのです。 荒れ果てた風景の中に、黄色い光がさしているようでした。
以前、広島でも聞いたことがあります。
原爆によって70年間(あるいは75年間)草木も生えないといわれた焦土に、いち早く咲いた花 夾竹桃の話。
当時、その夾竹桃は広島のみなさんに復興への希望と光を与えてくれたそうです。
復興は並大抵ではありません。
こんな小さいと言ってしまえば小さいことだけど、でも、人びとに大きな感動や心の励ましになることも
本当なんじゃないでしょうかね。
喘息の検査結果を聞いてきました。
アストグラフによると、「普通」か 「喘息」 か二つに一つをあえて選べと言うなら喘息・・・ になるというくらいだそう。
1~10までの数値の中で10が健常、わたしは9のところでした。
特に薬を飲まなければならないこともないし、喘息というより、まぁ普通だと考えていいくらいのところです、9ですからね、とドクターH。
えっ。。 じゃあ、あの薬は・・・
別の病院で喘息といわれ出された薬の処方箋を持っていったので見てもらいました。
Dr.H 「随分たくさんですねぇ。 この漢方、、 いらないんじゃないかなぁ、、 」
わたし「裏にももう一枚あるんです。 飲み疲れて、まだいっぱい残ってて。 」
Dr.H 「大事にされたんですね。 」 (先生、本気で言ってないよね・・ わたしの心の声)
Dr.H 「(処方箋見ながら) もし、音が聞こえてきたら貼るのだけ(ホクナリンテープ) 貼っておいてください。」
わたし「はい。 あのぉ、、 もし音聞こえてきたら、この中でどれ飲めばいいか先生選んでください。 まだまだいっぱいあるんです・・ 」
二枚の処方箋を見ながら、、
Dr.H 「どれも飲まなくていいです。 これは(アストグラフ) 1とか2の人が飲むものですから。」
ですよね!! もうあそこには行かないと決心した瞬間でした。 「病名変わる」
関係ない薬を二週間分もよこすような医者に不信感です。
「ところで」 と Dr.H。 検査はいつ受けたんでしたっけ・・・
「3月11日です。 あの地震の二時間くらい前にあの病院でたんです。」 というと、
「それは、よかったですね。 あそこは今、赤紙貼られてますよ。 明日から取り壊しです。」
検査の後に行った映画館も中に入る前に地震だったので、こちらもよかったし。
映画館は天井が落ちたとか、未だに安全確認されない状況とかで休館中。
さらに、4月7日の大きな余震でも。
わたしが寝ているすぐ横に台に置かれたテレビがありました。 (実家) もし落ちたり倒れれば、顔面直撃! の位置関係。
「また地震きて落ちると嫌だから、寝るときだけ下におろすね。」 といって下におろした晩にあの6強の大地震。
偶然だとは思うのですが、もう少し遅ければとか、もう少し早ければとか・・・ 思うと、被害も違っていたのかも知れないなって。
交通手段がまだ不便だったり(わたしとしては)、これと言って用事も無かったりで仙台駅周辺に行く機会がありませんでした。
あの地震の日からですから、一カ月以上ぶりになります。
駅周辺は、もう殆ど何もなかったみたいに普通の風景でした。
エッセンシャルオイルが無くなってたので、アエルの地下によって二種類の香りを買ってきました。
一つは前と同じ、ライム。 やる気が出る香りなそなので、やる気出るように。
もうひとつは、ベルガモットです。 心が安らいで、安眠できる香りだそう。
只今、二つを混ぜて 「心安らいだ上にやる気でる! みたいな」 効果狙ってるところです。