ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

今日から中国・雲南に出発

2016-02-19 | 2016年

八時過ぎに家を出て羽田に向かう。

北京空港で入国審査を済ませ、一旦荷物を出して国内線に移動し昆明行き乗り換える。

そして昆明で待っている添乗員さんと合流!   

添乗員さんのお姿見れるまでは、なんとか自分で頑張って行く。 ということになっている。

あのでっかくて分かりにくい北京空港。。 

他の空港まだしも北京空港はいやだなぁ。 しかたないけど。

前に中国人のSさんでさえ文句言っていた、なんでこんな風につくったんだか! って。

 

昆明で合流なんですかぁ・・・・  に、「大丈夫ですよ! 常連のお客さんも参加されますし、中国何回も行かれてる方もいらっしゃいますから!」 と。

ってことは、お客同士の羽田組が結成されて、誰か組長さん的人の元、御一行様で昆明へと旅立っていくという事か?

とにかく、行ってみないと分からないようだ。

 

コメント

勇気ってことか

2016-02-18 | 2016年

「自分が親にされたことを、自分が親になった時に子どもにしてしまう」 

(自分の家庭でおこっていたことを、自分が大人になった時に家族にしてしまう、、こうも当てはまるとわたしは思っている)

これは 「世代間連鎖」 と呼ばれますが、

この世代間連鎖を断ち切る糸口を見つけるためには、

自分自身を知り、自分の過去や自分の家族背景を知ること

これがとても大切。

   

                                        

 

糸口見つける作業は、結構きつかったりする。  

自分を客観的に見つめなければ自分は見えてこないし、これまでつらくなるからと蓋をしたり、スルーしてきたことに真っ当に向き合わなければならないから。

蓋して、スルーして、と考えないを続けていくと、それが自然に条件反射のように自分を守る鎧となる。

しかし、そんなことをしている限り、結局は逃げている訳だから、色々なひずみがでてくるのは当然のこと。

”自己防衛のための逃げの構造” を続けている人間は、いかに生活年齢を重ねても、人間的深みを増すことにはならないと思う。

 

自分自身を知り、自分の過去や自分の家族背景を知ること に勇気をもって取り組んで、

「世代間連鎖」 があるのならこどもの為、家族のために断ち切ってほしいものだ。 それがある為に不幸な家族もたくさんあるのだから。

そして何よりこれは、自分の為なのだと思う。

 

コメント

美しく変化する風景、豊さ感じる

2016-02-18 | 2016年

 

 

 

震災後、新しい家が建つ前の風景。

黒く燻された木材使って、古民家風に直したら住めないかな。

自分が住むとしたら、、 と想像した。

 

 

コメント

一日の始まりがこれから開始

2016-02-17 | 2016年

時々障子越しに日差しを感じるからお天気いいのだろうか。

只今、午後も二時半だというのに、布団の中からこんなことしている。

 

朝から目は覚めてはいたけれど・・

二回分のごはん、食べないといけない、、、 いや食べても一回分。

 

もう少ししたら、スーツケース回収に宅配便屋さん来るから起きないと。

明後日からウキウキ(のはず)の旅行に行く人とは思えない、この感じ。

 

感動いっぱい 楽しさ! 満喫で帰って来たとしても、帰れば、またこの世界? 

ギャップに耐えられるだろうか?  そうならば。

 

コメント

胆のうのCT検査を予約

2016-02-16 | 2016年

一年以上前になるけれど、胆のうポリープを見つけてもらった病院に行き、最近の様子を検査してもらう予約をとってきた。

乳腺外科の先生からも、一年に一回くらい経過を診てもらっているといいですねとお話されていたので。

コメント

上海から電話

2016-02-15 | 2016年

今日、Sさんが中国から電話をくれた。

先日まで中国は春節というお正月。

家族で集まっていた時、わたしの話になったそう。

病気のことは知っているので、体調はどうかと気にしてくれた電話だった。

遥々国際電話までかけてくれて、、、   ありがと!  です。

 

Sさん自身は声を聞く限り、元気そう。 

「今週、中国行くんだよ!」 というと、「どこですか? ひとりですか!?」 と笑っていた。

大体、ひとり旅が多いから、またひとりでですか  って感じだったのだろう。

「ひとりはひとりだけど、今回はツアーだから。」 「じゃあ、ダイジョブですね。」 って。

「さすがに今は、雲南の田舎の方に一人で旅する自信ないからねぇ。」 とわたし。

 

「またこっちにも来てくださいね! 面白いとこ探しておきますから!」 とSさん。

たぶん行くと思うよ。

 

久しぶりに声を張った会話であった。

コメント

三蔵法師の言葉

2016-02-13 | 2016年

(いつのまにか、振り返りシリーズ?)

 

以前観た 「西遊記」(演劇) の中で三蔵法師が言っていた。

「生きるとは 闘うことです。」 と。


そしてさらに続き・・・

「闘うとは、日照りに田畑を耕す父母のように・・」

「赤子を産み出す 母のように・・ 」 (大体こんなせりふだったと思う。) 


闘うなんていうと、

何か激しそうで物騒な印象も受けるけれど、

みんな普段の日常の中で、それぞれに何かと闘っているはず。

だからそれは、生きてるって事なんだなって、すごく心にしみた三蔵の言葉だった。 

三蔵法師の言葉、こころの深いところに落ちた。

     2008年 1月

コメント

「死ぬまで驚いていたい」 2007年9月

2016-02-13 | 2016年

昨日の新日曜日術館は、日本画家・堀文子さんだった。 89歳と聞いて驚いた。
作品の透明感あふれるみずみずしさ。 また緻密な筆致、さらには可愛く楽しい作品も描かれている。

思い立ってイタリアに移住されたことや海外を放浪して周るなど、とてもアクティブだ。
驚いたのは、幻の花ブルーポピーを訪ねてヒマラヤの5000メートルの高地に登ったのが82歳の時という。
日々の平穏が続いてくると、何か違うことをやりたい衝動に駆られ新しい驚きに会いに出かけていくようだった。

こどもの頃のような ハラハラ・どきどき する気持ちを持ち続けたい。
死ぬまで、驚いていたい と語っていた。
なるほど、そんな堀さんだから あんな作品が描けるんだろうと頷けた。

テレビを見ながら、とても共感を覚えている自分がいた。 そうなんだ、わたしも 驚きたい のだと思った。
旅するのもそうだし、絵を観たり音楽を聴くのもそう、花を見たり他にも色々・・
だから驚くことが少なくなると、詰まらなくなって何かしたくなる・・

驚くこと とは、感動や発見と言い換えてもいいだろう。 そして、ハラハラ と どきどき と わくわく


堀さんは、「小さい頃からそうだった」 とおっしゃっていた。 そういえば、わたしもそうかもしれないと思った。
こどもだから大してでっかいことはできなかったけれど、学校帰りのみちくさは小さな冒険だった。
未知の世界へ足を踏み入れる わくわく感・・ そして、いつもの道でさえ驚きの世界に出逢うこともできた。

道端に咲いている野ばらは、うっとりするほど いい匂いがしたし・・
中くらいの川には、たくさんのめだかが泳いでいて、橋の上から腹ばいになって群れて泳ぐさまをしばらく眺めていたり。
ある時 田圃の脇に、水を引く水車が置かれたことがあった。
一度でいいから回してみたいと思いながら、そのそばを毎日通っていた。
シャッ シャッ シャッ        ..... やってしまった。
何回か廻したところで 足をとめた。 汲み上げられた水の勢いは止まり、流れがしずくに形を変えた。

あの時見た一滴のしずくの美しさは、忘れられない思い出。
午後の日を浴びて ぴかぴか 光ってた。
小学校の何年生の時だったかなぁ .....       
  
「小さい頃から そうだった。」     堀さんの言葉が思い出される。 


死ぬまで、驚いていたい とは、、、
死ぬまで色々なもの(こと) に感動できる心を持ち続けていたい ということじゃないかと思った。
みずみずしくも しなやかな・・・ 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ここからは、現在。。

死ぬまで色々なもの(こと) に感動できる心を持ち続ける、、、  ここの部分、今はちょっとわからないし自信もない。

実際、死にそうになっている時は、そんな余裕ないんじゃない、感動とか、、  などといやに現実的な考えがどうも浮かんでくる。

命の期限に対しての自覚の違いから、その差が出てきたのかな。 同じわたしなんだけど。

 

なんか違う。 

そういう事じゃないよね、死ぬ間際までびっくりしたり感動したりっていうのは実際無理な話で、やっぱりそういうことを言ってるんじゃないよ。

今日とか明日とか、今っていうか、そういうことだよ。 

頭の中でぐるぐる回って、最終的に堀さんが言われていた言葉にまた戻ってきた。

こどもの頃のような ハラハラ・どきどき する気持ちを持ち続けたい
死ぬまで、驚いていたい 

来週からせっかく念願の地に旅できるんだから、おもいっきり うわあぁ~!って気持ち復活させたいものだ。

コメント

心荒らしていられない

2016-02-12 | 2016年

ーおらは生まれたまんまー (まえがきにかえて)

おらは生まれたまんま
九十六になっても生まれたまんま
なんじょに学校しないもの
だから話をするたって、まっすぐに正直に語るの
嘘の語りようも知らないもの

おらは貧乏の生き証人
明治も末の貧乏盛りに生まれて
国も貧乏、村も貧乏
なかでもわが家は貧乏者(びんぼたがり)の一等賞

九つで子守に貸され
十六で製糸工場に売られ
二十一で嫁にくれられ
あとは土方ひとすじ
汗水たらして土を背負い
いくら骨揺(ほねほろ)って稼いでも
いつでも貧乏真っ最中
テレビの「おしん」どころでなかったよ
一番楽だったのは製糸場
テレビの「野麦峠」どころか、なんと別天地だったね

おらは貧乏したから
ひもじい人の気持ちがわかるよ
かないしい人の気持ちもわかるよ
だからどんな人にも親切にしたよ
お母(が)つぁん、教えてくれたもの
「人を助けてわが身助かる」って

おらは人とくらべないもの
おらは欲濃(よくこ)くしないもの
うらやましがったり、うらんだりして
心荒らしていられないもの
昔の人たち、教えてくれたよ
「雪と欲ぁ、積もるほど道(みち)忘れる」って

そうやって百ちかくまで生きてきたから
みんな、おらのこと
「さつよさんはいいなぁ、入り日明るくて」って
おら、もとは地獄、いまは殿様だよ
世の中平(たい)らだね
人は生きてるんでなくて生かされてるんだって

おらは生まれたまんま
嘘の語りようも知らないから
おらの一生語るたって、ありのまんま


『さつよ媼(おばば) おらの一生、貧乏と辛抱』 (草思社)




   おらは人とくらべないもの
   おらは欲濃(よくこ)くしないもの
   うらやましがったり、うらんだりして
   心荒らしていられないもの
   昔の人たち、教えてくれたよ
   「雪と欲ぁ、積もるほど道(みち)忘れる」って

このところ、こころ荒らしてばっかりだ・・・・

コメント

八年前の文に加筆しながら*マイナスのようなプラス

2016-02-11 | 2016年

ある日ふと聴こえてきた 槇原敬之さんの ♪「どんなときも」

どんなときもどんなときも 僕が僕らしくあるために

「好きなものは好き!」 と言えるきもち 抱きしめてたい

「好きなものは好き!」 と言えるきもち・・・ それが大事、自分が自分らしくある為に。


今から六年程前(これは2008年に書いた文章)までのわたしは、少し人生を前のめり気味に生きていた。

あの時(2002年)、病気(うつ病)にならなかったら、そのまま つっぱしり人生を走り続けていたかもしれない。

いや、どこかでやっぱり 破綻しただろう。

病気は、、無理しすぎず 自分の気持(心からの声)に正直に 肩の力を抜いて、もっと楽に生きられる生き方をアドバイスしてくれた。

伸ばしても 縮む余裕があることの大切さ。
引っ張りすぎれば 縮まなくなる。
それをそのまま引っ張り続けたら 終いには切れるだけのゴム紐のよう。

病気はまたわたしに 休息と今までの自分を深く振り返る機会をくれた。

こう思えるのも、あの凄くしんどかった時期が もうすっかり過去のものになったからだろう。

辛い日々をじっと縮こまってやり過ごしていた頃に読んだ本の中の一冊 (『不完全でいいじゃないか!』 伊波真理雄・石村博子共著 講談社)。

その中のこんな言葉が心をとらえた。   わたしもそうじゃないかって。

『 わたしが成長過程で学ばなければいけないのは、次の三つのことだけです。

     (自分の) 好きなもの、嫌いなもの   
     (自分にとって) 意味があるもの、ないもの    
     (自分に) できること、できないこと                    』


“できない” と 認めたり 割り切ったりするのが わたしには結構難しいことだった。

“やればできるかも” と思ったり、やら “ねばならぬ” と 自分を追い込んだり・・

そんな状況でもやってみたら、できた。  できることが結構あるものだった。 

しかしできたと言っても、そうするためには100%以上の力を絶え間なく注いでいないといけなかった気がする。

 

(描いたことも忘れていたこんな絵 が思いがけなく押し入れから出てきた。 当時のわたしの心理状態がよく分る。 絵は上手くないな。

  

複数の団体の責任者的役割、そして様々な運動の牽引的役割・・  ホントに頑張っていたと思う、でもいっぱいいっぱいでもあった。 そんな「わたし」がよく表れている。 うつ病で活動から離れてしばらくした頃、友人がメールをくれた、今でもたまに葉書きを出し合っているレトロな ”文通の友” から。 ーあなたのしてきた結果は、わたしは、本当に凄いと思います。 ただ、自分のことも考えていればとも思いますが。 自分を大切にしながら、生活なり活動なり考えていいと思います。- 13年ぶりにこの文章を見つけ、今のわたしが読んだ。 ありがとう!の気持ちに満ちた、また13年ぶりにあの頑張ったことを認めてもらえた気がして、勇気と自信をもらった気がした。 ・・・・・・    挿入が長くなってしまった、でも留めておきたいと思うから。)

 

通院した時、ドクターにいわれた最初の言葉。 「あなたの病気は、がんばり病です。 もうがんばらなくていいんですよ。」 

すごくほっとして、すごく楽になれた気がした。 

また、「休む事は、サボる事ではないんですよ。サボると言うと、何か後ろめたい気持ちが出てきて、また辛くなるでしょう。」 って。

「あなたは今、エネルギーが切れた状態なのだから、エネルギーがたまるまで、ゆっくり休めばいいんです。 自分を大事にしてくださいね。」 と。


自分を大事にする?    改めて考えた。

そして、「随分がんばってきたよね、わたし!」 と、こころの傷にも手を当てながら自分を純粋に誉めた。

病気がマイナスかプラスかと言えば、マイナスなのかもしれない。 でも、考えようによっては とても大事な気付きをプレゼントしてくれることがある。

どんな病気もそうじゃないだろうか。
病気になると “何気ない普通の生活” がどれ程最高に幸せかということも見えてくる。

たとえば、、朝起きれること。 たとえば、、夜布団に入ったらそのままゆっくり眠れること・・  食べれることも そう。
こんなことが当たり前にできるということが、本当は すごく幸せ なんだってこと。

 

コメント