一週間程前、以前働いて施設で ある集まりがあった。
その施設は、もし就職試験に落ちたら また次の年も受けよう... と思ったくらい
入りたかった 職場。
退職して既に二十年くらい経つというのに あの頃考えたことや経験したことなど・・・
学んだこととしてわたしの心の中に 今でも新鮮に息づいている感じがする。
それは恐らく何かの
原点 であったり、または
芯 のようなものだからかもしれない。
ちょっと抽象的な言い方だけど。
何年ぶりかで同期だった友人に会えた。
彼女はわたしが中国から帰ってきた時に、一番会いたいと思った人。
日本に帰ったら何しよう・・ とか、 これから先の人生どう生きようか・・ なんて
ちょっと色々考えながら 混迷してたものだから。
彼女はわたしが中国に行っている間に、新しいチャレンジを始めていた。
精神障害者の方々が働いている作業所(言い方、よかったかな?) の所長の任を
引き受けていたのだ。
何を思って 引き受けたのだろう?・・・
しばらくの間、悶々とした時期を過ごしていたことを知っていたから、
決断した訳や思いを聞いてみたかった。
彼女が言った。
「 この話が来てから、実際にそこ(作業所) に行ってみたの。
そしたら小さな一軒家の狭くて暗い部屋の中で みんなが仕事しててね。
これで(こんなんで) いいの!? って思ってしまったんだよ。
そしたら自然に “こうしたらどうだろう!” とか “こんな風に変えたらみんなもっと
働きやすくなるはず” とか どんどん頭の中に出てきちゃったんだ。
やるかやらないかじゃなくて もう引き受けちゃったみたいな発想でね。(笑)
でもあなたがその場に行っても たぶん同じだったと思う。
引き受けたと思うよ、所長。 」 って。
実際の仕事はかなり大変みたい。 近年、障害者の法律が変わってから尚更。
でもハードな毎日だろうけど、 なんだろ・・・
しゃきっ! としてるって言うか・・・ (前は だらっ!
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)
充実してるんだと思った。
人には 心に傷を持つ人も少なくないだろう。
目に見えない傷は当然ながら、その人その人で 深さと癒え方は違うはず。
癒えるのにどれ程の時間がかかるかなんて 誰にもわからないし決められることでもない。
もう大丈夫かと自分で思っていた矢先でも、何かの拍子(出来事や言葉など) で
振り出しに戻る事だってある。
だから時間が必要なら たっぷりかければいいのだと思う。
彼女は長い間 そんな時間をかけてきたのだろう。
そして充分癒えた頃 この所長の話がタイミングよく舞い込んだ。
もう少し前だったら引き受けなかったと思う と 彼女は言っていた。
ふと こんな詩を思い出した。
はきだめにえんど豆咲き
泥池から蓮の花が育つ
人皆に美しき種子あり
明日何が咲くか
これは 安積得也氏の
「明日」 という 詩。
こどもも そう。
大人だって そう。
いつどんな花を咲かせられるかなんて わからない。
でもみんな、咲かせる可能性を持っている
美しい種 があるんだってこと。
中年になったわたしも まだ楽しみにしている。
わたしはこれから どんな
花 を 咲かせられるかってね。
今日の一枚... お礼状
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デルフィニウム
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これもわたしの 好きな花...