ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

結婚式

2006-10-24 | ● 出逢い・しごと
先週の土曜日 結婚式に参列しました。
わたしは、新郎側です。

   


新郎とわたしは、彼が小学校3年生から三年間、施設で共に生活をした間柄。
その後、わたしはその施設を退職しましたが、 もうすぐ33歳(彼)になる今までずっと 
いいお付き合いをさせてもらっています。

彼の両親は亡くなっていたので中学を卒業後、働きながら夜間高校に通いました。
それから今に至るまで 自分の道を確実に着実に歩いてきています。

泊りがけで遊びに来てくれる日は、お酒を飲みながらいろんな話をしたものです。
わたしはその度に いつもなにか大事なものを学ばせてもらっている気がしていました。

彼の明るさポジティブさ、ユーモア・・
人生に対して受け止めるものはきちんと受け止めながらも、決して悲観することない 前向きな生き方・・
そして “人” をすてない優しさ。
わたしは、そんな彼が大好きです。

先月我が家に遊びに来てくれた時も、いつものように楽しい飲み会になりました。
確か寝たのは三時近かったかと・・・   (完璧二日酔い)

その時、こんな話を。
「中学卒業した後の あの一年が一番つらかったなぁ。」
彼が住み込みしながら働いたそのお宅には 彼と同じ年の息子さんがいました。
高校生活を自由に楽しんでいる同年代の子を見ながら、感じながら過ごした一年は
やっぱり辛かったと思います。

自分は早朝起きて仕事、そして夜は夜で学校に行く・・・
お休みといったら月二回くらいしかなかったし。
そのお休みを利用し 家に遊びにきていました。

「休みの日にここに来るのがすごく楽しみだったんだ。  支えだったなぁ。」
こんな事を言ってくれました。
何したというわけではなかったのにと思いながら、わたしは胸がいっぱいになりました。
そして当時、職場に帰って行く彼の “15の後姿” を見送りながら 
なんだか切なくなって 涙が流れてきたことを思い出していました。

彼との付き合いが今まで続いてこれたのは、みんな彼のおかげだと思っています。
なにせ無精者のわたしは自分から連絡取るなんて滅多にしないから。

そしてまたこんなことも。
「あの一年があったから今の自分があると思っている。」・・  って。

彼のパートナーは とても気さくないい人。
しっかり者という感じだったので、これからは多分リードされ続け?・・・  かな。
彼にもお父さんお母さんと呼べる方たちが出来ました。

      



仲間や友だちはたくさんいても “家族” という存在は いなかった彼。
(でも彼にとっては一緒に育った仲間たちが家族そのものでした)
これからは、本当の意味での自分の家族、大事に育てていくことでしょう。

結婚式の最後、、、 「親族挨拶」 は彼女のお父さんがしてくださいました。
そしてその時わたしも 彼の親族側に立たせてもらいました。

黄色い薔薇の花を渡してくれた時には、もう涙が出てしまって。
彼の姿がずっと向こうから近づいて来るほどに いっぱい いっぱい・・  溢れてきた。

   


これからは二人で遊びに来てくれるとのこと。
「今度○○ちゃんも来るって言ってから 家きれいにしとけよ。」
これは 夫の言葉・・


いい結婚式でした。



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