ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

新しい家が。。

2011-12-30 | 東日本大震災 from 仙台

全壊した実家の新築が予定より二カ月程遅れながらも進んでいます。 予定では新年は新居で迎えられるはずでしたが、現状は中々厳しく年明けて二月頃にでも完成するのでしょうか。 両親はいつ完成か大工さんにはっきり聞いていないのでよく分かりません。 出来上がった時が完成の時という感じです。 

先月、上棟式を行いました。 

 

そういうものはしないのかと思っていたら、ほぼ本格的な建て前で、少しですが餅やお金もまきました。

             

目の前で少しづつ出来てくる家の明るい見通しに、耐えがたい仮設部屋での寒さも我慢できそうです。  

父はわたしが子どもの頃からずっと、あまり家に居ませんでした。 もしかしたら結構居た時期もあったのかもしれませんが、わたしの印象と思い出の中では殆どいないといっていいくらいです。 そんな中、母の苦労は相当で、いつもひとりで耐えて頑張っている姿が思い出されます。

今回家を建てるにあたり、外壁の色は何色にしたらいいだろ? 茶の間の茶箪笥はお金ないからリサイクルショップで探してこよう とか、ふたりで車を走らせたりしているみたいです。 車いす移動の父と緑内障で殆ど視野が狭まっている母なので不自由はありますが、補い合って暮らしているようです。 両親が何かに向かってこんな共同作業(?)をしているのを見るのって(楽しいことで)、初めてかもしれない。

 

軒先に並んだ干し柿。  いつも通りです。

     

畑には母の育てた野菜が霜にあたりながらも、いきいき輝いていて。。  

美しいなぁと思いました。

        

         

       

 

ふる里の朝と・・

    

ふる里の夕と。。

    

 

 ふる里は、朝と夕とを静かに繰り返していました。

  

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今、『生きている』 そのことが、『頑張っている』 という証

2011-12-29 | 東日本大震災 from 仙台

今日から休みです。  頭の中の考えを文字にするのも、心の中を文字にするのも何か億劫でしばらく書き込みできずにいました。

このところ、大震災の振り返り番組のような特番が毎日のようにテレビで放映されています。 こちら(東北)で見られるのは、もしかしたら全国版より多いのかな。

既に何回も見ている津波の映像だったりするのに、当時の映像が流れてくるとつい見いってしまって、今日も掃除しようと思っていたところさっぱりはかどらない感じです。  始めのうちは何かやりながら見ていても、いつしか座り込んでテレビの前にという有様。

昨日職場で、「どうもお世話様でした、来年もよろしく!」 という挨拶がかわされていました。 なんか変な感じと言うか、実感がないというか・・・   わたしは前の日と同じ挨拶をしただけで帰ってきてしまいました。

 

地震後十日くらいに行われた気仙沼の階上中学校の卒業式風景がテレビから流れてきた時は、思わずまた涙でした。  その時語られた送辞 .....

自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました。 天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。 辛くて、悔しくてたまりません。 時計の針は、十四時四十六分を指したままです。 でも、時は確実に流れています。 生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。 命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。 しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です。

天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が使命・・・

 

下の写真は先週(23日)女川に行ってきた時のものです。 前方の建物は病院。 

大きな瓦礫はもうなくなったものの殺伐とした風景が広がっていて、吹き付ける冷たい風さえ灰色に色づいているような感じが。   

        

 

昼頃付いた時は少し海が迫ってきているなと思ったら、帰る頃には風景が違っていて、初めて目にする光景に少し恐さを感じました。

       

震災後色々な写真集や本が出ています。 わたしも地元新聞社が発行した写真集を買いました。

それと本二冊。  本屋さんで見た時は、読みたいと思って買ったはずなの中々開けずにいた本・・・

こちらはもう少しで読み終えます。  ちょっとショッキングなタイトルですが、読んでよかったと思っています。

        

これはしばらく前に買ったまま、まだ読んでない一冊。  自分の心にききながら、ゆったりページを開こうと思っています。

                     

今年もあと二日。  あの震災からもうすぐ一年経ちそうなんて、不思議な感じです。  

みんな頑張りました。 物凄く頑張りました。  頑張らないと今日生きることも出来ない訳で。 

逆に言えば、今日生きているということ事態、頑張っているなんて自覚がなくても、ホントは相当頑張っていることなんだと思うのです。 

それぞれの頑張りを続けながら生きているんだと思います。

 

 

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サンタさんはお仕事してるんだよ

2011-12-19 | ● 出逢い・しごと

サンタさんは今、とっても忙しいのだそう。  

みんなにあげるおもちゃを、いっぱい いっぱい集めてこないといけないから。

だから今すぐはこれないんだ。  って、3才のたっくん、今日言ってました。

 

 

 

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年賀状

2011-12-04 | 2010年 2011年

知人に頼んでいた年賀状が届きました。 

一応今年も100枚ほど買ったのですが、最近毎日のようにポストに入っている喪中葉書。 

なんか今年は多いです。

 

昨日だったかテレビを見ていたら、「年賀状がいつもと違う」 という話題でした。

確かに家もいつもと違う事を考えていたところで、やはり震災の影響は大きいです。

今まで買った事がなかった絵入りハガキにしました、今年の東北版は南天と福寿草。 

「難を転じて 福となす」 こんな願いが込められているんでしょうね。

 

                

 さて、我が家は、、

「明けましておめでとう!」 などの新年のご挨拶というより、

みなさんへの感謝やこちらの近況、また思うことなど数行にまとめたお便り風年賀状になるかもしれません。      只今、考え中。。 

 

 

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もう 金曜日にごはん作らなくてもよくなったし...

2011-12-02 | 東日本大震災 from 仙台

もう彼此二週間程前のこと。  懐かしい友人から電話がきました。

彼女の実家は、あの大震災の大津波で大変な被害にみまわれた女川です。 ご両親二人暮らしの実家だったはず・・・  

気になっていたものの、なんか恐くて連絡出来ずにいてそのまま八か月以上が過ぎていました。

「石〇です。」 と受話器からの声を聞いた途端、「久しぶりだね!」 などと言う月並みな挨拶はどこかへ飛び、「どうだった!? おとうさんとおかあさん。」 

彼女は淡々と報告してくれました。 実家は流されご両親とも亡くなってしまったこと。 おかあさんは見つかったけれど、おとうさんは未だに行方不明のままだそうです。 「海のどこかに流されていったのかもしれないね。いつか採れた魚からおとうさんのDNA出てきたりしてね、なんてみんなで話してるの。」 と実に淡々と話す彼女でした。

あんなに大被害の女川だったので、もしかして・・・ と思ってみたり、いやM子は大丈夫だったんだからご無事かもしれないと思ってみたり、でも現実は惨いものでした。 見つからないおとうさんのお葬式も済ませたそうです。 

そしてもうひとつ・・・    その知らせには、あまりに思いもよらない事だったので、言葉を失うってしましました。

旦那さんも津波で亡くなっていたのです。 後二年で定年という昨年春に、毎日窓から海が見える職場に転勤したのだそうです。 そして新しい職場もそろそろ一年が過ぎようとしていた、あの3月11日、帰らぬ人となりました。 

後一年で定年だったのに・・・   友人夫妻は旦那さんが単身赴任のため一緒に過ごせるのは週末くらいだったので、定年後は家に戻りいろいろやりたい事など考えていたかもしれません。

旦那さんは読書好きで、ノートにこんな言葉を残していたそうです。

『今日の落花は来年咲く種とやら』 (会津藩士 秋月悌次郎の言葉) ... 一度枝を離れた落花は二度と咲くことはできないが、来年咲く花の種になることはできる。

彼女はこの言葉を胸に刻み、今自分にできることを日々考えながら過ごしていると電話口で気丈に語っていました。

中々泣けないそうです。

淡々とした語り口と気丈さが、わたしには逆に気になってしかたありません。

電話を切ってから、あっ・・ と気づいた言葉でした。  

「もう 金曜日にごはん作らなくてもよくなったし...」

そういえば、会議で一緒だった金曜日によく言っていたっけと。 家に帰ってくる旦那さんの夕飯を用意するのが、毎週金曜日、彼女に一つ増える特別なことでした。

いつも決まり事のように行われていたことが、突然やらなくてよくなってしまった。

「もう 金曜日にごはん作らなくてもよくなったし...」

彼女の悲しみや悔しさはわたしの想像以上はいうまでもありませんが、わたしもなんだか心の中がいつまでも痛いです。

 

これを書くのに二週間以上・・・ 

 

 

 

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