ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

「大頭貼」 (プリクラ)

2006-07-30 | ★大連留学日記(2005年~06年)
この前、中国人の若いお友だちに誘われて 「大頭貼」 に初挑戦。
わたしが帰国する前に 一緒に遊びましょうということで。 


この 「大頭貼」 なる中国のプリクラ・・
バックの柄を選び始めてから撮り終えるまで なんと! 3時間 

でも、あっと言う間でした。 
そして、出来栄えが すんごくよかった と 自画自賛中 

“ 王力宏 ” とツーショット・・  とか、
雑誌の表紙を飾ってます!!  というのとか。  
もう 最高です。  ホント

あんまり気に入ったので 三枚コピーしてもらいました。





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イタリアン・ジェラート

2006-07-29 | 屋根裏部屋のおもちゃ箱
ある年の誕生日を パリの空の上でむかえた。
妹と出かけた 一月のイタリア・・・

ミラノの街を 二人で彷徨いながら、トラムと地下鉄をどうにか乗り継いで
辿りついた フリーマーケット。

地下鉄では、恰幅のいいマンマにお世話になった。
「お目当ての降りる駅をちゃんと教えてあげるから、さあ 乗りなさい!」
って感じで 親切に そしてまた少し強引に連れて行ってくれた。


誕生日祝いに妹がプレゼントしてくれたのは、フリマで買った “Made in Greece” のトップス。
日本円で500円の古着とはいえ、わたしはとても気に入った。
ギリシャ製をイタリアで買った日本人と言うことになるのかな。

ぶらぶら買い物した後は、
本場のジェラートを!

どれもおいしそうだった中から、パフェのようにグラスに色々入っていて
上まで盛り上がっている ゴージャスなのを頼んでみた。


美味しかったぁ!!  
3分の1くらいまでは・・・

それ以上は、何度も溜息つきながら・・・
だんだん、美味しさも、、、   苦痛に変わり・・・   


「美味しい!?」 ってわざわざ聞きに来たお店の人に 
思いっきり 「Buono~」 っていちゃった手前・・・
..... 残すなんて事はできない!  って・・
この辺、変に律儀な日本人。


途中、トイレで大きく息吸い込み直して
大体は食べた。   けど、、 
しばらく ムカムカ とお付き合いすることになった 因果な日本人!?  


                    


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なんにもないけど いっぱいあった おはなし

2006-07-28 | 屋根裏部屋のおもちゃ箱

外国の中に 内モンゴルというところがあります

ずい分前のことだけど 

飛行機に 何時間も乗って行ってきました

 

前を見ても 後を見ても 右も 左も 

短い草が生えた大きな野原だけが広がる

大草原でした

そこにいると 

まるで地球の真ん中に立っているような感じがしました

 

そこには日本にあるような便利なものは 

ほとんど見かけません

電気は 風の力で作り出していたし 

チーズも自分で作って 長持ちするよう

カチンカチンに 固く干していました

馬のウンチも無駄にしません

 ひとつひとつ拾ってきます

パサパサになるまで乾かすと 全然臭くないのです

それを冬にストーブで燃やし みんなで暖まります

 

な~んにもなかったけれど

考える知恵が たくさんありました

 

それから 

どんなことも力をあわせて助け合っている

家族や友だちがいました

 

わたしは とってもすごいなーと思いました

 

 

 

 

 これが みなさん(卒園するこどもたち) に贈る  

“わたしのおはなし”  です

(卒園文集に寄せた言葉) 

 

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友人から

2006-07-28 | ★大連留学日記(2005年~06年)
わたしは 本当にいい友人がいてくれて 幸せだと思う。
今日 自分のHPにこんな事を書いてくれていた。

   ................................................

   『 自分の態度を選ぶ自由 』

7月20日付けの 「○小○日記」 の内容に寄せて、リリーさんが寺○○のHPの中の掲示板に書き込みをしてくれた。
彼女も ヴィクトール・E・フランクル から触発されているようだ。
その書き込みの中で、フランクルの次のような文章を紹介してくれた。

「自由」に関するものである。

                ■

   あらゆるものを奪われた人間に許されるたった一つのもの
   それは与えられた運命に対して 自分の態度を選ぶ自由
   自分のあり方を決める自由である
  
   強制収容所での生活を送った私たちには、忘れられない仲間がいる
   誰もが飢えて重労働に苦しむ中で、みんなにやさしい言葉をかけて歩き
   ただでさえ少ないパンの一切れを身体の弱った仲間に分け与えていた人たちだ
   そうした人たちは、ほんの少数だったにせよ
   人間として最後まで持ちうる自由が何であるかを十分 私たちに示してくれた

   あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの
   それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由
   自分のあり方を決める自由である

                ■

素敵な言葉であり、視座である。
また、リリーさんらしい引用であるとも思った。

彼女はこの言葉を、遠い中国の地より送ってきてくれた。
1年前から彼女は、単身留学しているのだ。 あと1か月ほどで帰国する予定である。

ぼくたちが20代の頃、児童○○○で共に働き、生活したかけがえのない仲間である。
妻の同期でもあり、親友でもある。

彼女の、常に 「等身大の自分」 の生き方を模索し続けている姿勢が、とても好きだ。
決して、荒々しく、声高々に主張することもなく、爽やかな新緑の風のように漂いながら、それでいて確固とした 「意志」 を有しながら、着実に自らの人生を歩んできている。

哀しみや苦悩といったものが何であるのかを知り尽くしているにも関わらず、それらを 希望へと変えていく力を有している人であるのかも知れない。
そばにいると、ホッとできる人だ。

ぼくなんかは、いつも不合理な社会への憤りに身を囚われてしまっているので、彼女のスタンスに触れると、反省することばかりだ。

先の言葉の中でも、

   “あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの
    それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由
    自分のあり方を決める自由である”

の部分が、心にジ~ンと染みてくる。

「あらゆるものを奪われた人間」・・・か。
そういう境遇に追い込まれた人たちと、ぼくは日々、向き合っていることになるのか。

あらゆるものを奪われてしまって、「それまでの自分」 が破壊されてしまった人間の絶望感は、深い。
“ 自分が自分でなくなる ” ということは、かくも過酷な、悲惨な苦しみを伴うものであるのか、といつも感じる。

「 破壊される前の 自分に戻る 」 ことが、「 回復 」 ではないのだから
(ぼくはそのように考えている)、「 以前の 自分 」 にしがみ続ける必要などないのだが、当の本人はそうはいかない。

過去に起きた 「出来事」 を消すことなどできない。
また、その忌まわしい 「出来事」 によって「 変えさせられてしまった 自分 」 を前の状態に戻すこともできない。

でも、ただ一つだけ、変えることができるものがある。
それは、その 「過去の出来事」 の有する 意味付けである。
自らの人生における 「過去の 出来事」 の有する 「意味」 は、変えることができる。

その作業をしていくことこそ、「サバイヴァー」 から 「スライヴァー」 への
「回復」 の過程なのだと、ぼくは思っている。

それゆえ、先述したフランクルの言葉である

   “それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由
    自分のあり方を決める自由である”

が無性に、心の奥に響いてくるのだ。
まさに その通りなのだ!
 
たとえ 忌まわしい 「出来事」 によって、自分の生活や生き方が変えさせられてしまったとしても、しかし、だからといって自分自身の 「価値」 まで変えさせられたわけではない。

“その後” の生き方を選ぶ 「自由」 は、自分自身の手の中にあるのだ。

「与えられた運命」 に対して、いかなる方向性を見出していくのか、その 「態度を選ぶ 自由」 も 「あり方を決める 自由」 も自分自身の手に 委ねられているのだ。

その 「自由」 だけは、何者によっても奪われることはないのだ!

パワーレス状態に陥っている人と 出会うことが多い ぼくたち 「援助専門職」 がすべきことがあるとしたら、それはその当事者の歩みを決して邪魔しないように留意すること。
そして、その人が孤立無縁感の暗闇に沈んでいってしまわないように、

   “あなたは一人ぼっちではないよ”

といったメッセージを 有形無形に伝えるべく、ただ “そばにいる” こと。
それくらいであろうか!?

人間にとっての 「自由」 のもつ意味は、深い。
改めて 考えさせられてしまった。

リリーさん。   あと1か月の留学生活。
どうぞ思う存分、エンジョイして下さいね。
帰国後に、また お土産話を聴かせて頂けるのを楽しみにしています。

すてきな「言葉」の贈り物、ありがとうございました。 




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そうです、テンパッテ ます!

2006-07-26 | ★大連留学日記(2005年~06年)
夫からメールの返信が来た。


ところで 随分テンパッテいるんじゃないの?
帰ってくるまで ちょうど一ヶ月だけど あまり考えすぎないで
物見遊山をしながら 心を豊かにしてくださいね。
考えすぎると シワがよるよ。
明日はむすめ誘って 山形に温泉+うま~~~いそば食いに行く予定
本当は 仕事いっぱいあり。
他の人は仕事漬けだけど 俺はやらないんだ。
面白い話を 待ってるよ



根詰めてたところに 水差された。
もちろん いい意味でね。




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映画 「めぐりあう時間たち」

2006-07-26 | ★大連留学日記(2005年~06年)
なんともはや 単調な日々・・・  
毎日自分のペースで少しづつでもと語学学習はしているものの 
大した進歩も 自覚できないまま・・・

   ふう~・・・  

なにより退屈なんです。  特に夜

とうとう買いました!  DVD机!!

   救われてます。

そして どんどん増えていく DVD。
その中の一作で 「めぐりあう時間たち」 という映画。
二年くらい前だったか一度観ているのですがまた観たくなって買ってきました。
今のところ まだ観てないけど・・

以前観た時の感想は、今までに観た事ないタイプの作品。
というか、構成、脚本がとてもうまい! そんな印象でした。
それと、三人の女優が三様にうまかった!

わたしは前からメリル・ストリープが好きなのだけど、
この時は、ローラ役のジュリアン・ムーアが最高 (他の二人も もちろんいいが)
とにかく、映画が終わってもすぐには立ち上げれなかった覚えがあります。
「ただ深い、すごく。」   そんな感じがしたものでした。

そして、こんなことがパンフレットに書いてあるような映画なのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

誰のために 人生を送るのか?
自分のため?
愛する大事な人のため?
家族のため?

自分の居場所を見つけ、自分らしく生きていく人生を送ることは、
決して簡単な事ではないこと。

そして、人は皆、多かれ少なかれ、自分の生きている時間と空間に
縛られて生きている。
その中で、どういう決意をし行動を決定するか、
この作品は 観る者に強く訴えかけてきます。 





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風景

2006-07-22 | ★大連留学日記(2005年~06年)
学校の表側に 綺麗なカンナの花が咲いています。
この夏の暑さに似合うような。

   


そして 噴水の脇には 菊の苗木がたくさん。
秋を 彩ってくれる準備でしょう。


花のなくなったライラックの周りでは
たくさんのトンボが群れていました。
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青空が覗いた日

2006-07-20 | ★大連留学日記(2005年~06年)

あれは そう・・ 

去年から半年一緒に過ごした ルームメイトのナタリーが
ロシアに帰る日の 朝。

大連の空が青くなることは 結構 珍しいことなのです 。

そう 

あの日の空は 驚くほど爽やかな青い空でした。
彼女のアパートに お見送りに行った日の 朝の空。

それから数日して 同じ道で見た
もうひとつの 綺麗だったもの。

ネムノキに それは満開に咲いた薄紅色したネムの花 。
ちょうど 学校正門の向かい側にあるのです。

夕方だったから 小さな葉が 
まるで手を合わせたように 閉じて垂れ下がっていて・・・
懸命に咲いている ふわりとした花たちがよく見えました。

もしかしたら あの葉っぱたちも
“なんて綺麗なのだろう” と 手を組みながら
見惚れているのかしらなどと 思ったりして。


今朝 わたしの部屋に三人目のルームメイトがやってきました。
韓国人の 女の子です。

そして ついこの前まで一緒だった 
可愛い同屋(ルームメイト)のナヨンは  四日後に帰国とのこと。

みんな
また新しい生活が始まるのですね。



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七夕の日にこんなメールが

2006-07-12 | ★大連留学日記(2005年~06年)
数日後に夫と長春で落ち合って 五日間の旅行をすることになってる。

今あるのは夫の中国往復の航空券と わたしの長春から大連へ帰る航空券だけ。 

列車で移動しようと思っていたところ
どの切符も 「メイヨウ!」 で 買えずじまい・・・
もう 参ってしまった。 

クラスメートの女性や 中国人の先生からは
お互い知らないところで待ち合わせして旅が始まるなんて
なんて ロマンチックなのでしょう  と言われたけれど
そんな甘いものではありません  状態。


そんな時に夫から こんなメールが届いた。


今 何が一番重要か。
ふたりが 出会うことだ。 (例えばバスを使うとか 予定を大変更するとか 
出会うための作戦を考えよ! というもの)

他はどうでも良い 。
どんなことが起きようが そんなことは出たとこ勝負でやろう。
あとは どうでもなるから。
○○に行きたいなどのオレの要望は一旦無視してください。
ふたりで会えさえすれば何とでもなります。

ちなみに今日は 日本では <七夕> です。
中国にも同じ風習はありますか?
織姫と彦星は 一年に一度しか会わないんだって
オレたちは一年に二度目だな。



わたしが中国に来てから まだ一度も帰国していない。
今年のお正月に夫が一度来ただけ。

夫のメールの お仕舞いの方を読んだ時
たしかにロマンチックな気がしてきた。




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東北地方の旅

2006-07-11 | ★大連留学日記(2005年~06年)
7月11日~13日 瀋陽
  13日~17日 長春・ハルピン     (6泊7日)


 
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