ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

日本語が頭の中に出てこなくなったら

2008-02-27 | 2008年
今日は、中国語教室の日。
最近はテキスト中心というより会話中心の授業になっている。
相変わらず聞くのはまあまあ聞けても、話すのが・・ 

今日の先生の話。。
中国語で話そうとする時、頭の中に日本語が出てこなくなるようにしましょう。
そこが一つの壁というか、そこを乗り越えるたらあとはどんどん話せるようになっていく。
そんなお話をされた。

確かにそう。 
中国語で話そうとする時、まず日本語で言いたいことを考えてから中国語に直す感じの現状。
ここからなかなか抜け出せない。

極々簡単な会話や挨拶は、そういえば日本語は浮かんでない。
「いくら?」 だから  ええとぉ、 「多少餞? だ!」・・  
というより、「多少餞?」 は 「多少餞?」 みたいな。
これは簡単すぎるにしても、要はこういうことなんでしょうね。
この感覚。
いつ乗り越えられるかなぁ。  とりあえず、
 

早いものでまた更新手続きの時期がきた。
来期も続けるつもり。
最近思ったこと。
2,3年に一回くらいのペースでいいから、また短期留学できたらなって。
諸事情もあるし、短期と言っても長くて2週間とか、そんな感じで。
前に留学した学校でも、夏冬 「短期班」といって短期留学生を受け入れていた。

もし実現出来たら「短期班」のお楽しみメニューはいらないから、
空いている午後のフリータイムには、別の語学学校で授業を受けてみたいし。

この構想は、今週から考え出したことだけどね。 



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スキージャンプ 船木選手

2008-02-24 | 2008年
土曜の朝、出勤前の慌ただしい時間・・・
何となくつけていたテレビに、ちょっと足を止められらた。

長野オリンピック(1998年)スキージャンプ金メダリスト船木和喜選手の言葉に、
そうか・・・  と思えたことがあったから。
キーワードは、 “課題”

船木選手と言えば、長野オリンピック当時、「世界一美しい」 ジャンプフォームと賞されていた。
日本チームが金メダルに輝いた日、丁度わたしは検診で SS30 にいた。
待ち時間に固唾をのんで テレビに向かっていたのを思い出す。
あれから10年も経ったなんてね・・・
わたしの中からは消えていた船木選手だったが、スランプ抱えながらもジャンプ一筋
ずっと頑張ってきてたんだ。

ここしばらく振るわない原因の中に、競技ルールが度々変更される影響もあるそうだ。
例えば身長によってスキー板の長さの制限がかけられたり、ウエアーの基準が変えられる等など・・
その変更に着いて行くのも大変だったみたい。
そういう中でも、ずっと現役で飛び続けて 今尚復活への道を模索中とのこと。

わたしが心を止められた言葉、 「課題」
いい成績が出ないからやめてしまおうかなとは思わなかったらしく、
見えてる 課題 に向かって努力するだけ・・  こんなことを言っていた。

別のインタビューでは、こんな話・・
「スランプをどう克服したか?」 の質問に、「気にしないこと」
 なるほど。。  
「失敗を引きずると次に影響する。 毎試合毎試合でどれだけ自分を調整できるかが大事。」


前日、久しぶりに中々寝付けないほど ぼこっ! と凹んでいたわたしだったけれど、
凹みムードに浸かっていても いいことなし。
凹みの原因も分かっているし、ちょっと時間をおいて考えてみたら凹む必要なんてないんだって。
腑に落ちないことはあったにせよ、でも課題は見えた。

 そう、課題
うだうだしてるくらいなら、見えた課題に向かえばいい。
船木選手の言葉は、実にタイムリーに わたしの中に風を吹かせてくれた。
そしてまたもう一つの言葉、 田○さんの 「忘れましょ!」 が、ここで効力を発揮する。
  「忘れましょ!」
 


懐かしの映像: 98長野五輪スキージャンプ団体 感動の金メダル
船木選手のジャンプは勿論美しかったけれど、ここでは原田選手の
「ふなきぃ~ .... 」 が記憶から消えない。 


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総括

2008-02-22 | ● 出逢い・しごと
今年度も残すところ、あと一か月ちょっと。
今夜は総括会議で、さっき帰ったばかり。 23時近かったかな。

 まいった・・・   現在進行形で、かなりへこんでる。  

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おひなさま

2008-02-21 | 2008年
何となく気ぜわしい、ここ最近。
お正月が終わったと思ったら もう二月も後半だ。
そしてそうこうしているうちに、ひなまつり。

保育園は今週からだったかな? 綺麗にお雛様が飾られたのは。
今日は雪降ったけど、ここだけ春めいたような華やかな雰囲気が満ちていた。

         


さてと、うちのお雛様はいつ出そうかな・・・
それともこのまま、そっとしておいてあげようかな・・・
とりあえず、写真だけででも日の目を。    うちのはこんなの。

堤人形のおひなさま

    

娘が生まれてすぐ注文し、二年後に出来上がってきたお雛様。
堤人形(仙台市)は、伏見人形(京都市) 古賀人形(長崎)とともに
日本の三大土人形と呼ばれている とても伝統あるお人形。
せっかくだから、ありふれていない味のあるお雛様を、と思ってこれにしたのだった。


そして、こちら。
わたしが娘に作ってあげた、木目込みのお雛様
小さいけれど、かわいい

    

 

そして、最後。
これはついこの前、海を渡っていった陶器のお雛様。

  

とっても可愛くて、すごく気にいったお人形。 
中国に住む友人夫妻にプレゼント。
彼らにしたら、箱開けたら突然  おひなさまぁ!?     だったかも。
数年日本を離れている友人と中国人の奥さんに、春の訪れも もうそろそろだね、と
日本からの春メッセージ をちょっとお届してみようかななんて思ったりして。 

以前、彼らへの結婚祝いは大連で購入した、大きくて重いタイル。
それもまたとっても気にいって、初めはわたしが欲しかったタイル絵。
でも、帰国するのに荷物重すぎてどうしよう!! と思っていた時だったしで、あきらめた。

同時期くらいに、結婚プレゼント 何がいいかな・・・ 
プレゼントって相手に似合うものって考えがちじゃないかな。
というか、それが一般的なのかもね。
そこで、わたしは考えた! 
自分がとっても好きなもの、凄く気に入っているものもいいかもしれない! って。

プレゼントを受け取ってくれた友人も、そういう考えに共感持ってくれる人だったから
とても喜んでもらえた。
「その人(贈り主)らしいプレゼント、その人らしさが溢れたプレゼント もいいもの。」 ってね。

まあ今回も唐突だけど、わたしのやらかすことに 「今度は、こうきましたか!」 なんて
大きな心(懐)で 楽しんでくれるといいのですが。 



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西紅柿炒鶏蛋

2008-02-18 | 2008年
西红柿炒鸡蛋 が食べたくなって夕食の時に作ってみた。
所謂、「トマトと卵の炒め物」 だ。
このお料理は中国の家庭料理って感じで、どこででも食べられる。
味は塩味系からちょっと甘さをきかせたものなど、いろいろ。
わたしは塩味系が好きだった。
寮の食堂で食べていた 「西红柿炒鸡蛋」 が一番好きかな。

たかが 「トマトと卵の炒め物」、されど 「トマトと卵の炒め物」!!
簡単に作れると思っていたら、それがどうして!
難しかった。 
こんなんじゃないのに・・・   と思いながらも、何が悪かったのかわからない。 

わたし作

   


本場中国の中国人作

   


見た目はだいたい同じでしょ。
卵をかき混ぜすぎて、入り卵風になったのは失敗だけど・・


   ん・・・  でも味は、こんなんじゃないんだよね。 




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一個と言わず・・・

2008-02-16 | 2008年
夕方用事で出かけた息子が、「おみやげ!」 とドーナツを買ってきてくれた。 

くっさいダジャレなんか言いながら売っているオジサンが なんか気に入ったとか。

手作り おからドーナッツ 

  


しばらくして近くに来た息子が・・    「一個でいいから残しててね。」

「ええっ、、 おかあさんは 三つも四つも食べないよ。」
「食べそうだから、いってんの!」 
     
確かに過去には、人の分まで食べちゃったこと何回かあったかなぁ、、、
・・・   あった。 
家族全員、何らかの被害者だったりする・・・  



これからは、息子ネタも時々登場しそう。

さっきまで、仕事関係の本をメモ取りながら読んでいた。
わたしの近く通りながら、またまたクールな一言はいて 去って行った息子。

「なにしてるの? あっ、勉強!?   なんだ、写してるだけか。」 

      
確かに写してるけど、これも一応勉強のつもりなんです・・  



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わたしの生活って堕落ですか?

2008-02-16 | 2008年
うちに戻ってきた息子が、さっき・・・
お昼作るの面倒だから、なんか買ってくるか って言ったわたしに。

「おかあって、堕落した生活してるよねぇ。
 夜だって 遅くまで起きてパソコンなんかしてるしさぁ・・・   」

     堕落 .....  


「堕落なんて人に言われたの 初めてなんだけど・・・ 」 
「家族しか言わないでしょ。  そんなことは。」

ああ! そんなことを  “はっきり言ってくれる”  のは(家族愛として) って意味  かな。
 ・・・  と思ったら。

「家族以外の人には、見えないんだから。」


そういう意味ね。
あくまでも、率直に観察したクールな感想なんですね。  


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映画はいいねぇ!

2008-02-16 | ● 芸術 文化 映画 音楽 本
第31回日本アカデミー賞授賞式が昨夜行われてたね。
最優秀作品賞は 「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」 (松岡錠司監督)。
わたしは映画はまだ観てなかった。
同名のテレビドラマの方は、欠かさず観てたけど。

昨年一昨年と劇場で観て よかった! と思った作品が ふたつ 優秀作品賞 に
輝いたのは、嬉しいことだ。

  「ALWAYS 続・三丁目の夕日」 (山崎貴監督) ALWAYS 続・三丁目の夕日
  「それでもボクはやってない」 (周防正行監督) 「置換冤罪」事件

ちなみに、「それでもボクはやってない」 は、キネマ旬報ベスト・テンで
<日本映画部門> の第1位にも輝いている。



さて、今楽しみなのがベルリン国際映画祭に出品している 「母べえ」 母べえ
三大映画祭の一つベルリン国際映画祭は、
他の映画祭と比べると 社会派の作品が集まる傾向があるそうだ。 [(Wikipedia)参照]
受賞結果は、日本時間で明日の未明にわかるみたい。

映画祭のメーン会場で公式上映された後、山田監督はこんな挨拶をしたとのこと。
「 歴史に学ばない人は 再び同じ歴史を繰り返してしまう。
  その言葉をいつも胸に刻みながら この映画を作った。
  ドイツのみなさんなら その意味をわかってくださるはず。 」


過去の戦争貴任に対する考え方や戦後補償として実際に行ってきたことで、日本はドイツと比較されもする。
その辺をも突いた監督挨拶に思われた。



ドイツ大統領だった ヴァイツゼッカー の演説(ドイツ降伏40周年の日) を読んだ。

「 (抜粋) ・・・ ドイツ人であるというだけの理由で、
  彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、
  感情をもった人間にできることではありません。
  しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。

  罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。
  全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
  心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、
  老幼たがいに助け合わねばなりません。 また助け合えるのであります。

  問題は過去を克服することではありません。
  さようなことができるわけはありません。
  後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。

  しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。  
  非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、
  またそうした危険に陥りやすいのです。


  われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。
  われわれの義務は率直さであります。

  心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、
  このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。
  ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、
  歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、
  若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。                    」

最後は、「今日五月八日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。」 と
締められている。


さて、この 「母べえ」 ドイツの人たちには、どう受け止めらるだろうか。
感想が楽しみだ。

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バレンタインデー

2008-02-14 | 2008年
今日は、バレンタインデー。
あんまり関係ない わたし。
今朝まで忘れていたし。

ということは、、、、
バレンタインデーと同じ日の結婚記念日も忘れていたということ。 

毎年いつも、 「バレンタインデー」 で  「結婚記念日だなぁ~」  って思い出していたから。 
(先週あたりまでは 気にしてたんだよ。)


ところで、
何年目になるんだろ・・・ 



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中立?

2008-02-13 | 2008年
留学中のこと、寮の部屋で過ごしていたら電話がかかってきた。
「餃子さんは中立だから、話聞いてもらおうかと思って。 」 で始まった電話。

中立!?  わたし?      思ってもみない言葉に、思わず苦笑。
要は、人間関係のもつれというか・・・  まあ、そういう話。
どちら側にも関わっていなかったわたしは、見ようによっては中立?

双方を観ながら、態度保留の中立というよりむしろ、 
そんなことが起きているとは 知らなかった!   状態。


元々誰と誰がどうしたとか、あの人はこうで・・・  とか、
そういうこと(ごたごた) にはあまり関心がなかった。
意見聞かれたり相談されたら、その時はちゃんと自分なりの誠意で答えようとは思うけど。

ましてや、そんな話題でお茶飲んだり食事したりは、どちらかといえば遠慮したい。
だいたいにして、楽しくない。
それに、いない人の話題で盛り上がるのは いい気がしない。  (いい話なら別だけど)

言いたいことがあれば、陰で言わないでその人に言えばいいんだから。
でもそれって、言うほど簡単じゃない時もあるってこともわからないではないけど・・

なんていうか、
心がどんどん貧しくなる感じがしてくるというか、 
人のこと(いい話じゃないこと) 言えば言うほど 自分も落ちていってるというか。 
だから言ってすっきりというよりは、言った分だけの自己嫌悪があとで自分を襲ったりする。

気の置けない人たちと集まっておしゃべりしたり、美味しいもの食べたりは楽しいことだし、
リフレッシュにもなるよね。
そんな中でのたまの愚痴り合いもあり! だと思う。

でも、あの人がああだこうだばかりで盛り上がるのはどうかな。
何かをなめ合って一時の仲間意識で結びつく安心感?
なんか生産的じゃないと思うし、そういうのって疲れるなぁ。

あの時の同学の “中立” の意味は、“我道を行ってる” ってことだったかもしれない。
そういう点では、今もそう。

お酒は美味しく飲みたいし、おいしいものは楽しく食べたいものだ。 
そして、プライド を大事にね。 


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