ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

石渡商店さんのふかひれスープ!

2011-06-30 | 東日本大震災 from 仙台

一昨日気仙沼から届いた石渡商店さんの 『ふかひれスープ』 です。         

津波で工場も社屋も全て失ってしまったそうですが、奇跡的に残ったふかひれでこしらえた 『ふかひれスープ』    いつも見ている専務さんのブログで販売していることをしり、即行注文しました。    数に限りがあるようです。 それもそうですね、奇跡的に残ったフカヒレなんですから。

              

納品書に手書きのこんなメッセージが。  復興に向けた “頑張り” が数行のメッセージに込められている感じがして心に響きました。

                   

心も身体も知恵も、そして色々なネットワークも使いながら、被災地の地元企業のみなさんは、数知れない困難の中、復興めざしホントにホントに頑張っています。

石渡商店の専務さんもそのひとり。  『気仙沼のふかひれ』 を復活させるために新しい事にチャレンジしながら奮闘されています。  その様子は、テレビでも放映されました。 

  

[ニッカンスポーツ] の記事を見つけたので。。

   == フカヒレ日本一再び…気仙沼が動き出す ==

宮城・気仙沼にフカヒレが戻ってくる。 東日本大震災から今日11日で3カ月を迎える。 被災した老舗フカヒレ専門店「石渡(いしわた)商店」が、地元の気仙沼市内で仮設の加工工場の建設を開始。 25日からの稼働を予定し、震災以来、3カ月半ぶりに名産品を製造する。津 波で工場や社屋を失ったが、石渡久師専務(30)が「気仙沼でフカヒレを復活させる」と発奮。 市内の加工業者6社で「気仙沼ふかひれブランドを守る会(仮称)」も立ち上げ、壊滅的な被害を受けた港町の復興を後押しする。

 中華料理で人気の高級食材フカヒレを、気仙沼から再び出荷したい。 石渡専務の熱意が、実現に向けて動きだした。 1957年(昭32)創業の工場周辺は、がれきの撤去も進まず、腐敗した魚の影響で悪臭が漂い、衛生環境が悪化。 高台で新たに土地を確保し、1日に仮設工場の建設を始めた。 「今は、ボイラーや圧力釜を設置しているところ。 これから室内を仕切って、作業室、冷蔵室、冷凍室を造ります」。気仙沼港のサメの水揚げは、まだ見通しが立たないため、南米産の原料を調達。冷凍やレトルト食品に加工し、問屋へ届けるシステムを再構築する。

 気仙沼港は、原料のヨシキリザメの水揚げ量が日本一。 加工業者も15社を数え、日本一のフカヒレ生産量を誇ってきた。 しかし大半の港湾施設が津波にのまれた。 石渡商店の石渡正師社長(61)は「気仙沼の復興は無理だろう」と、一時は廃業を示唆。 しかし長男の石渡専務と次男の康宏さん(28)に説得され、半世紀以上続く家業の復活に向けて走りだした。 石渡専務は「小さいころからフカヒレを見てますから、体の一部みたいなもの。  震災で失いそうになって、思いが深くなった。必ず気仙沼にフカヒレを戻します」と力を込めた。

 地元の同業者との連携も始めた。 自身と同じ30歳前後の後継者世代に声をかけ、6社で「守る会」を設立。 ホームページを立ち上げ、インターネットを通じて支援物資の提供を呼び掛ける。 「今までは入札から競争で、同業者の協力は考えられなかった。 震災後は、協力しないと乗り切れない。 復興に意欲的なメンバーを集めました」。 全国のPRイベントにも参加し、気仙沼産フカヒレの高い品質や加工技術などを訴える。 Tシャツなどのオリジナルグッズも考案し、売り上げを活動資金にする。

 気仙沼港は今月中旬に一部再開し、カツオの水揚げを行う予定。 しかしサメに関しては、加工業者が被災しているため、水揚げはできない。 「気仙沼に集まるはずのサメは、今は千葉県の銚子港で水揚げされている。 でも白旗を上げるつもりはない」。 石渡専務は、港全体の復興も見据えていた。 【柴田寛人】  [ニッカンスポーツ・コム 2011年6月11日8時31分 紙面から]

 

こちら、ブログです。   ふかひれの石渡商店 ~がんばろう!気仙沼~  

 

 

 

 

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気仙沼、震災後の初水揚げ!!

2011-06-29 | 東日本大震災 from 仙台

昨日、震災後の気仙沼にかつおが初水揚げされました。  ホントにうれしいです。

絶望的ともいえるくらい大きな被害を受けた気仙沼。  ここまで復旧したんだって、胸が熱くなるほどうれしいです。  各方面のみなさんがどんなにか頑張ってきたことか。 

この日水揚げされたのは35トンだったそうです。 前日まで太平洋の沖合で漁をしていた静岡県沼津市船籍の巻き網船が漁獲したものとのこと。

まっすぐ気仙沼を目指した船の持ち主さんがインタビューに答えてました。 「ここ(気仙沼)しか考えてなかったから。」  この気持ちもうれしいです。

今日魚屋さんの店先で、「気仙沼のかつおはないの?」 と聞いているお客さんがいました。 残念ながらそのお店には入っていなかったのですが、やっぱりみんな待ってます。  気仙沼の魚!  わたしも早く食べたいです。 

復興の初ガツオ、気仙沼の港で水揚げ

 

 

 

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家に 「ごくろうさん。」 

2011-06-27 | 東日本大震災 from 仙台

テレビで被災者の方に一言メッセージを書いてもらうというのがよく行われています。  昨日も。

『一歩一歩、ゆっくりでも前に進んでいきます。』  岩手のおじいちゃんのメッセージ。

(聞かれても) 「これしか浮かばなかったから。」 と言っていました。

でもその後、よく話を聞いてみたら、先のことを考えるとどうしたらいいかわからなくて暗くなるし辛くなる。 だから考えないようにしているというおじいちゃん。

中古でもいいから家を探したいけど、お金もないし年齢的にローンもくめない・・

これが現実でもあり。 

被災者の本当の思いは、一言メッセージになんて中々表せるものではない気がします。

聞く側のわたしたちに必要なのはなんだろう、、 想像力、心の耳、、

 

昨日は岩手の久慈の様子が特集されていました。

流されて跡かたもなくなった我家の跡地を訪ねてきた、年配の女性。

「家に ごくろうさん って言いに来たんです。」 って。 「身代りになってくれたからね。」

「家にごくろうさん」 って聞きながら、心の中ではっとしていたわたしです。

3・11ですっかり全壊し、今は跡形もなくなった実家が思い出されました。 

断片的ですが色々思い出され、ホント、「ごくろうさまだったな」 って思ったり。

家というものは,単なる物体、ただの建物って訳じゃないですね。

      

 

『津波に負けないで、きれいにしたい。』 と書いたおばあちゃんも出てきました。

意味を聞かれると、「そりゃあ津波が来たら負けるよ。 でも、そのまま(瓦礫などのこと)汚くしておくわけにはいかないでしょ。 きれいにしてたいの。 また津波来たって、何回もきれいにするから。」 って。

東北のお年寄りだなって思いました。 

どうしてって、、 うまく説明できませんが、話している時のあったかい感じ、打ちのめされても打ちのめされても 決して拳を振りかざして勇ましくではないのだけれど 

 

今日昼休みに釜石が実家の若い人と話す機会がありました。

彼女の実家は全部流され、ご両親はお母さんの実家でお世話になっています。

逃げ遅れたおばちゃんはまだ見つかっていません。 一緒に逃げた人が振り返った時、足の悪いおばあちゃんは津波に追いつかれて丁度のみ込まれる瞬間だったそうです。

今月帰省した時の釜石は、瓦礫もまだまだ残っていたりで震災後とあまり変わっていない印象だったと話していました。 あの瓦礫の下におばあちゃんいるかもしれません って。

瓦礫撤去がスピーディーに進まないのは、行方不明の方たちがその下に居るかもしれないので乱暴には作業出来ないのですね。

 

 

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梅雨らしく・・

2011-06-26 | 2010年 2011年

梅雨らしく今日も雨の仙台です。

洗濯物が溜まっているのに、どうせ洗っても乾かないしと洗ってないので、またどんどん溜りそう。 

困りますね。

庭の植物たちも、少々あっぷあっぷ状態になってきているみたい。

ちょっとした梅雨の晴れ間に、、、、

    

今年はじめて仲間入りした この白い花。   この雰囲気?すきですねぇ。 

            

こちらも今年初めて。

ゴーヤです。

ツルがでてきたのにまだ支柱もネットも用意してあげてなくて・・   ツルがあちらこちらと迷ってます。

               

 

 

 

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がんばって! は難しい言葉

2011-06-25 | 東日本大震災 from 仙台

「がんばって!」  この言葉の使い方って、ちょっと難しい気がします。

心から言いたくて言う場合、、 なんか言えないって場合、、、 そして、言っちゃいけない場合。

この三つの場合かなと思ったりします。

身体も心もへとへとになりながら既にがんばっているのに、無神経にも(わたしはそう思うのです) 更にがんばって! とはとても言えないし。

 

この前震災関係のテレビをみていたらある人が 『思いを行動に!』 と言っていたのが印象的でした。

先日二回程ボランティアでお邪魔した石巻。  そこでお知り合いになったAさんとGさん。

Aさんはビニールハウスの持ち主、ハウスはもちろんのこと自宅一階は水浸しで二階暮らしの方。 Gさんも津波の被害は大きく一時は避難所暮らしをされ、今は奥さんの実家で生活されている方。

どちらも、今も明日も明後日の未来も決してたやすい未来ではない方たちです。 そして、あの日から色々な意味でずっと頑張り続けている方たち。

でもお二人には何の躊躇もなく 「がんばって!」 と言いたい気持ちになっています。 そして今なら言ってもいい気がするのです。  あくまでわたしの主観なのですが。

二回目のボランティアの休憩の時、Aさんがハウス脇の庭を見ながら話していました。

「わたしカシワバアジサイが好きでここに植えてたんですけど、津波ですっかり枯れてしまったんです。 藤の花みたいに垂れ下がって咲く、きれいな花なんですよ・・」  

わたしも毎日庭に出ては花々の様子をみたりお世話したりが楽しみになっているので、さぞかし残念だったろうなと思いました。

帰ってから探してみました。   でも、花屋さん何件か廻りましたが どこにもなくて・・・ 

やっと見つけた これ  カシワバアジサイ(スノーフレーク) の苗木 

大きめの鉢に植え替え肥料をやり、二週間うちでお世話をして、、、  

         

今日Aさんにお届けすることが出来ました!      (余談ですが写真左の植え木。 これもすっぽり海水に浸かってしまった植え木たち。 Aさん、この前は様子をみるといってましたが、手前は枯れたようにも見えるけど・・  梅雨の雨で塩分洗い流してもらって何とか復活するといいのだけれど。)

             

 

こんな花が咲くはずです。  来年は咲くかな。    この花は未来です。

        

生花もきれいだけど、ドライフラワーにしてもステキです。

                

 

それからGさんには。。

泥だし作業をした時、Gさんがあまりに手際よく早く作業をしていたので、結構腰が痛くなっていたわたしはGさんに聞きました。

           

「Gさんは腰痛くなりませんか?」 って。 するとGさんは元々腰痛持ちだったそうで、震災前はいつも病院通いをしていたとのことでした。

それが震災後は中々行けなくなったって言ってました。 Gさんは被災者なので今のところ病院代は無料ですが、何かで(針だったかな?) 1500円を現金で支払わなければならないのだそうです。 その1500円を払うのが今はもったいない気がして・・  って。

この前薬局に行ってお店の人に 「一番よく効くシップはどれですか!?」 と聞いて紹介された、これ。

一時しのぎの気休めくらいかもしれないけれど、しんどい時に少しくらいは楽になるかな。

なんじゃこれ、、 と笑って受け取ってもらえるとうれしいのですが。 

             

  

もうがんばってるのは分かるけど、言っちゃいます。

  がんばってくださいね! Aさん Gさん!

 

 

 

 

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明日はまた病院

2011-06-23 | 2010年 2011年

やっぱり手術することになりました。

でもガングリオンではなく腱鞘炎、それもちょっと面倒な腱鞘炎というか。

先日病院に行った時にガングリオンか調べるため親指の根元から注射針を刺されて、吸引?

「ちょっと、痛いですよ~」   ちょっとどころか凄く痛かったです。 

内側を探る感じに針を移動させながら吸引しているようでしたが何も出てこなくて。

もしガングリオンならゼリーのようなものがでてくるそうです。

去年の12月半ばから始まった痛みと腫れ、原因に思い当たることはあるので元は使い過ぎだったのかなって今思ってます。      

           

明日は手術のための血液検査と手術の説明を受けに行ってきます。

この前、「また来るの大変でしょうから、採血今日でもいいですよ。」 と言われたのですが、また刺されるの嫌で・・   「いや、後日また来ます・・  」  日を改めました。  4日の採血でついた青あざも消えたばっかりだし・・

わたしは血を採られるのが、ホント苦手。  検査は仕方ないと諦めますが、生まれてこの方、献血したことないんです。

これからも余程の事情、家族友人知人が必要となれば覚悟しますが、それ以外は今のところ貢献できる心の準備にないというか、ごめんなさいです。  

さて、手術は8日になりました。 一週間は水仕事はもちろん、動かすことも出来ないので、仕事はその間お休みさせてもらうことにしました。

「手術したら動くようになりますか?」 に、Dr 「やってみないと分かりませんね。」  

まぁ、それはそうでしょうけど。   なんか・・・

切る場所が神経の傍なので、それをよけながら手術しないといけないそうです。

今より良くなることを祈るばかり。

 

Dr.A の喘息誤診に続き、、、  Dr.H・・ はっきり言って 誤診です・・  

 

 

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仙台梅雨入り

2011-06-21 | 2010年 2011年

それはそれは凄い土砂降りでした。   丁度、帰宅途中が一番ひどい時。

ポンチョ(中国雨合羽)を着て自転車こいでたら、スニーカーの中は水浸し・・ 

ジーパンは脱水かけない洗濯直後みたいにびしゃびしゃで。  こんな事何年ぶりでしょ。

明日は明日で予想気温33度(最高)だそうだし・・

どうなってるんだろ? って感じですね。

 

 

 

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お金が足りない!

2011-06-20 | 東日本大震災 from 仙台

実家の新しい小さい家・・   このくらいの家でいいかなという候補が見つかりました。

「このくらいの家でいい」 というより、現実は、建てるとしたら これしかない 。 

2LDKの平屋。  寝室が狭い感じはするけれど、老夫婦二人暮らしだからまぁなんとか。

         

狭さは何とかなっても、簡単に何とかならないのが資金!

保険と支援金をたしても、足りない。     さて、足りない分をどうするか!?

両親またはわたしたち姉妹家族の将来的負担になるような借金はせず、あくまで現金で建てようと思っているもので。

まだ鑑定団に応募してなかったけど、例の掛け軸。  

潰れた実家から出てきた 一応 「玉堂」 の掛け軸! 

もし、もし! 本物だったら資金の足しになるかも。  元々は実家の物だし・・・・

いやいや、もし 本物だったとしても! たとえお金足りなくても! わたしは売らない。

        

 

来月早々、妹と実家に行って相談会開くことにしました。  

 

 

 

 

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仙台市ボランティアセンターに行ってきた。

2011-06-19 | 東日本大震災 from 仙台

土曜日病院の帰り、仙台市ボランティアセンターに行ってきました。

宮城野体育館内にあります。

     

仙台市の避難所にもなっていて、プライベートスペースを確保するための段ボールの仕切りが体育館の入口から見えました。

避難所の数が段々縮小されてきたため、市内各地から来られているとのことです。

      

訪れた目的は、どうやったらボランティア活動に参加できるのか情報を知りたくて。

この日の活動は終了していましたが、センターの方に色々お話を伺うことができました。

参加希望者は当日直接センターに行けばいいそうです。 (事前予約はいらない)

9時集合になっているものの、みなさん早めに集まってくるらしく、遅いとせっかく行っても人数が足りたということで参加できなくなることもあるそうです。

昨日は土曜だったのでボランティア希望者が多かったのに対し、百か日法要などあり要請数が少なく残念ながら仕事がない人も出たとのことでした。   集まったのは300人以上。

活動時間は、9時から15時まで。 (午前中の場合は、~11時半まで)

入口に活動の流れが貼ってありました。  クリックすると大きくなります。

             

活動場所へは、まとまって自転車や車で移動。 車がなくてもマイクロバスなどで移動するので大丈夫。

活動内容はその日にあった要請が紹介された後、希望を募られるので自分の出来そうなことややりたいことに手をあげて割り振りされていくそうです。

遠い被災地だとわたしのような交通手段がないものは中々行き難いのですが、仙台市内なら参加できるなって。

センターの壁には、ボランティアに手伝ってもらった方たちからのお礼状がたくさん貼られていました。

その中にうちの地域やお隣の地域名が何枚もあって、それにはちょっとびっくりでした。

わたしが知らないだけで、近くにも被害が大きくて今でも大変なお宅があるんですね。

 

一日でも半日でも、なにかお手伝いしたいという方はセンターへ。  要請はまだ色々あるようです。

それから、ボランティアに来て欲しい方もセンターに直接連絡していいそうです。

もし身近に大変そうな方やすぐにでも必要な方がいらしたら、この情報伝えてください。

「あくまでも今回の震災で被害にあわれた方対象ですから」 と、センターの方。

たまに地震に関係ないお手伝い要請の電話がかかってくることがあるらしく。

連絡先は、こちらです。

      

 

 

 

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助かった後の無理心中

2011-06-17 | 東日本大震災 from 仙台

東日本大震災:津波で自宅損壊の80代夫婦が無理心中か

 東日本大震災の津波で自宅が損壊した宮城県気仙沼市の80代の夫婦が避難先の親類宅で死亡していたことが17日、分かった。

妻は室内で倒れ、夫は首をつった状態で見つかった。室内には夫が親類に宛てたとみられる遺書が残っていた。 宮城県警気仙沼署は無理心中の可能性もあるとみて調べている。

 県警によると、夫婦の自宅は津波で損壊して住めなくなり、市内の親類宅に身を寄せていた。 妻は震災前から寝たきりで、夫が介護していたという。

 4月中旬、夫婦が使っていた部屋で妻が倒れ、夫は電気コードで首をつって亡くなっているのを親類が見つけた。 夫は窒息死、妻の死因は特定できておらず、2人とも外傷はなかった。 妻には布団が掛けられていた。 部屋に残されていた遺書には「今までお世話になった」との内容が書かれていたという。

 県警は夫が妻の首を絞めたか、口や鼻をふさいで殺害した後自殺した可能性もあるとみている。

                                         毎日新聞 2011年6月17日 

 

 

 

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