一昨日気仙沼から届いた石渡商店さんの 『ふかひれスープ』 です。
津波で工場も社屋も全て失ってしまったそうですが、奇跡的に残ったふかひれでこしらえた 『ふかひれスープ』 いつも見ている専務さんのブログで販売していることをしり、即行注文しました。 数に限りがあるようです。 それもそうですね、奇跡的に残ったフカヒレなんですから。
納品書に手書きのこんなメッセージが。 復興に向けた “頑張り” が数行のメッセージに込められている感じがして心に響きました。
心も身体も知恵も、そして色々なネットワークも使いながら、被災地の地元企業のみなさんは、数知れない困難の中、復興めざしホントにホントに頑張っています。
石渡商店の専務さんもそのひとり。 『気仙沼のふかひれ』 を復活させるために新しい事にチャレンジしながら奮闘されています。 その様子は、テレビでも放映されました。
[ニッカンスポーツ] の記事を見つけたので。。
== フカヒレ日本一再び…気仙沼が動き出す ==
宮城・気仙沼にフカヒレが戻ってくる。 東日本大震災から今日11日で3カ月を迎える。 被災した老舗フカヒレ専門店「石渡(いしわた)商店」が、地元の気仙沼市内で仮設の加工工場の建設を開始。 25日からの稼働を予定し、震災以来、3カ月半ぶりに名産品を製造する。津 波で工場や社屋を失ったが、石渡久師専務(30)が「気仙沼でフカヒレを復活させる」と発奮。 市内の加工業者6社で「気仙沼ふかひれブランドを守る会(仮称)」も立ち上げ、壊滅的な被害を受けた港町の復興を後押しする。
中華料理で人気の高級食材フカヒレを、気仙沼から再び出荷したい。 石渡専務の熱意が、実現に向けて動きだした。 1957年(昭32)創業の工場周辺は、がれきの撤去も進まず、腐敗した魚の影響で悪臭が漂い、衛生環境が悪化。 高台で新たに土地を確保し、1日に仮設工場の建設を始めた。 「今は、ボイラーや圧力釜を設置しているところ。 これから室内を仕切って、作業室、冷蔵室、冷凍室を造ります」。気仙沼港のサメの水揚げは、まだ見通しが立たないため、南米産の原料を調達。冷凍やレトルト食品に加工し、問屋へ届けるシステムを再構築する。
気仙沼港は、原料のヨシキリザメの水揚げ量が日本一。 加工業者も15社を数え、日本一のフカヒレ生産量を誇ってきた。 しかし大半の港湾施設が津波にのまれた。 石渡商店の石渡正師社長(61)は「気仙沼の復興は無理だろう」と、一時は廃業を示唆。 しかし長男の石渡専務と次男の康宏さん(28)に説得され、半世紀以上続く家業の復活に向けて走りだした。 石渡専務は「小さいころからフカヒレを見てますから、体の一部みたいなもの。 震災で失いそうになって、思いが深くなった。必ず気仙沼にフカヒレを戻します」と力を込めた。
地元の同業者との連携も始めた。 自身と同じ30歳前後の後継者世代に声をかけ、6社で「守る会」を設立。 ホームページを立ち上げ、インターネットを通じて支援物資の提供を呼び掛ける。 「今までは入札から競争で、同業者の協力は考えられなかった。 震災後は、協力しないと乗り切れない。 復興に意欲的なメンバーを集めました」。 全国のPRイベントにも参加し、気仙沼産フカヒレの高い品質や加工技術などを訴える。 Tシャツなどのオリジナルグッズも考案し、売り上げを活動資金にする。
気仙沼港は今月中旬に一部再開し、カツオの水揚げを行う予定。 しかしサメに関しては、加工業者が被災しているため、水揚げはできない。 「気仙沼に集まるはずのサメは、今は千葉県の銚子港で水揚げされている。 でも白旗を上げるつもりはない」。 石渡専務は、港全体の復興も見据えていた。 【柴田寛人】 [ニッカンスポーツ・コム 2011年6月11日8時31分 紙面から]
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