ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

いやいやいや

2013-12-21 | 2012年 2013年

バタバタの三日間になりそう。

今日は近くの病院行っていつもの薬貰って、足りないもの買いに街まで行って。(街とは駅前あたり)

夜中年賀状の原稿作ってる。。

父の病院に行こうかと思っていたけど、行けずじまい。

 

明日は一応大掃除の予定、、、それから年賀状の続きして、、、スピーチ原稿完成させないと! 

 

明後日は荷物の準備と保存食をいくつか作ってと。

 いやいやいや・・

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今年最後のチャレンジは・・!

2013-12-20 | 2012年 2013年

Sさんから電話・・  「結婚式でスピーチお願いしたいんですけど・・。  簡単でいいので、日本語でいいです。」

せっかく行くんだし、仙台でのSさんこと知ってるのわたしだけだし、、 断る理由もないのでお引き受けした。

 

日本語でいいです?。。  どうせやるなら、中国語で頑張っちゃおうかと。

 

とはいえ、勿論、自信満々余裕綽々で言ってる訳ではないよ。 

何言ったらいいんだろ?と日本語で考えることから始まって、中国語に訳し発音気を付けながら話す練習して・・・ 

 

わたしが中国語をこれまで勉強してきたのはこの日の為だったんだ、とさえなんか今思えてる。

今回スピーチを聞いてくれるのは、全員中国人のみなさん。  

今年最後のチャレンジは、中国で中国人相手に中国語でスピーチする(3分くらいなもんだけど)! になる予定。

とにかく、頑張ってみるよ。 

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数日前の長春はー25度。。

2013-12-17 | 2012年 2013年

中国語の先生が長春に電話した日、ー25度だったって。  

いよいよ来週から行くところは、そっち方面。  そうだよ!ズボンの下にきっちりアッタカ下ズボン穿かないと外歩けないの思い出した。

室内は、暖気(ヌアンチー)というパイプにお湯通して暖める暖房設備のお蔭で、大体どこも25度くらいに保たれ快適。

だから問題は外出た時、どこも 凍みる ことなく帰ってきたい。 

 

今日Sさんが電話をくれた。 

お願いしていた中国国内の列車のチケットが無事とれてますとの連絡。

こっちの旅行社では扱ってくれないそう。  んじゃ、Sさんに頼むしかない! とお願いしていた。 

約18時間の寝台列車。 寝台は6年ぶりかな。

今までで一番長かった乗車時間は、38時間ってのがあった。

車内で色んなことが起きたりして中々面白いもんだ、今回はリュックじゃなくスーツケースにしようと思ってるからちょっと厄介な面もあるけど、乗るのはすごく楽しみ。   どんな人たちと乗り合わせるのかななんて。

  38時間乗ってた時のこと。  帰 途

 

さて、今日と明日は仕事フルタイム。  

居眠りしないよう、ちゃんと寝てかないとだめだな。

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仙人から米が!

2013-12-16 | 2012年 2013年

電話が鳴り出てみると、おぅ 仙人! 

仙人とは夫の大学時代の友人、久しぶりに聞く声はとても明るかった気がした。

原発事故で飯館村を追われ一旦は福島市内で避難生活をおくっていたのだが、長野に移住することを決め今年からそちらで新生活を送っていた。

休んでいた田畑を借り、また一からの農作業だったのだと思う。

その地で初めて実らせた米を送ってくれた。 完全無農薬とのこと。 

   

小粒ながら甘味があってとても美味しいご飯が炊けた。 

結構米の味が分る息子も、うん。。(そうだね、甘味があるねって感じんの うん) と。

二度味見しながら 「気持ちをこめてつくる事と、味は違うもんだな。」 この夫の感想にはがっかりきた。 

凄く美味しいと言うほどではなかったという意味なのだろうが。

感じ方には個人差があるから人それぞれ。  でも、そういう事だろうか? 

この米は、簡単に美味い不味いで済ませられる米なんだろうか?と思ってしまう。

わたしは本当に美味しいと思ったから単に感情だけの問題ではなく 「甘くて美味しい味がした」。 

そしてもう一つ、これは完全に感情で味わった感想、、、 

わたしには仙人の 「希望」 の味がした。

       元気そうだった仙人

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選択の時

2013-12-14 | 2012年 2013年

父の状態はよくないらしい。

今現在、父の肺は正常な人の三分の一しか機能していないとのこと。

選択の時ーーー

人工呼吸器を付けて寝たきりになるか、又は、1/3 の肺で酸素ボンベを24時間傍らに起きながら静かに生活するか・・ 二週間くらいの間で決めてくださいと言われた。

人工呼吸器を付ければ話すこともできなくなる。

先生の話を聞いたのは母で、その又聞きだから正確な詳しことはちょっと分かっていないこともあるとは思うけど。

これから先がよく見えない、状態が良くないことだけははっきりしているようだ。

人間の尊厳・・・   生かされるのか 生きるのか そこの選択なのかもしれない。

 

以前とてもお世話になった方が亡くなったという知らせを聞いた。 進行性の胃がんと宣告を受け一年ちょっとで亡くなった。 

生前書かれていたブログに、この一年ちょっとをどう生きたのかが記されていた。 放射線治療など受けながら主に通院で治療されていたみたいだ。 

病気にまつわり事は特に書かないをスタンスに、書き込みはいつも世の中をよくしたい、困っている人たち辛い思いをしている人たちと一緒に歩み、みんなが幸せになれる社会を目指すことを自分の生きる意味として貫かれた軌跡そのものだった。 

最後の最後まで、自分の道を自分らしく信念を貫きながら生き抜いていったGさん、凄いよ。  ありがとうございました。

わたしはまた、生きるってこと考えさせられてる。 

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約束

2013-12-12 | ● 出逢い・しごと

Sさんと知り合って何年になるんだろ・・ 

入籍だけ済ませ単身日本に来たSさん、大変な苦労をしながら大学とバイトを頑張り通した頑張り屋さんだ。 

現在は日本で就職し、奥さんも呼び関東で一緒に生活している。 

そして今年赤ちゃんが生まれた。 

たしか入籍から五年くらい経っていると思う。 

やっと結婚式を挙げられる日が来たのだ。

数年前から中国のおばあちゃんの体の具合がよくないそうで、早く結婚式を見せてあげたいという親戚の意向もあるみたい。

Sさんとは毎週一回会っていろんなおしゃべりをした。 その中で、「結婚式には行くからね♪ 」 って。

だから、約束。

「ホント よかったね   Sさん!」 ってお祝いしてこよう。  

行くよ!って電話したら、喜んでくれた。 

 

Sさんとのお付き合いはこんな感じ。。 

       一期一会のミルフィーユ    もう一つの道

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再来週、急遽 中国へ!

2013-12-11 | 2012年 2013年

突然の連絡。 来年に予定されていたSさん(中国人)の結婚式が、今年年末28日に変更になったって。

父の様態のこともあるし、職場で急に休み貰えるかの問題もあるし、、 二週間程考えていたが今日行くことに決めた。

父も一般病棟に移れる程少しづつよくなっている見通しが見えてきたので一週間くらい家を空けても大丈夫だろうと判断、職場の休みももらえたしってことで。

出来るだけ安く済み、且つ又、せっかく行くのだから楽しみもプラスしたコース取りを数日かけて検討! 我ながら相当ベストな日程が出来上がったと思う。

結婚式が終わったら大連に寄ることにした、大晦日あたりまたあの 狂気じみた? 戦争でも始まった!? って感じの花火と爆竹爆裂するかな。 まあ春節じゃないから規模は小さいだろうけど、それにPM2・5問題も深刻な折り自粛ってこともあるだろうか。 

前回の大連は2011年3月8日に帰ってきている。 予想だにしない三日後の大震災! 12日が卒園式だったので前日帰国ではと思い一つ前のフライトの8日に帰って来たんだった。 11日に帰ってきてたら、仙台着は午後なので空港から出られなかったかもしれない。 あの時撮った写真もここに載せることもなく二年九か月経ってしまった。 山田洋二さんが以前住んでいた家の写真なども撮れた。 あの頃、取り壊し寸前だったから、今はもうないはずだ。 恐らく綺麗な建物が建っていることだろう。

    

 

あっという間・・・    二年九か月。  

26日の出発前までに、それなりの大掃除終えたいもの。

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またICUに・・

2013-12-06 | 2012年 2013年

父の状態が芳しくなく、昨日ICUに戻されてしまった。

今回の手術はうまくいった、元々持っていた病気の方が悪化してきているようだ。

素人目から見ても、一向に良くなってきているとは見えなかったし。

今となれば後の祭りだが、こうも思えてきた。 手術しない方がまだ良かったんじゃと。

癌は初期だし高齢だし進行はたぶんゆっくりなんじゃないかな、だから無理に手術しないで共存しながら無理しないように生きる方が良かったのかもしれなかったなって。

そう言えばと後になって思い出した、昨年別の手術で入院した時、肺が相当ひどい状態だから心臓手術した場合、肺の方がどうなるか・・ 人工呼吸器が離せなくなるとか気管切開になる可能性が大きいからあえての手術はお勧めできないと言われたこと。

リスク高過ぎ。 今は寝たきりになる可能性も言われ出した。

癌なんだと思いながら暮らすのもいい気はしない、それも分る。 ましてや初期なんだから今のうちにとってしまえば今後心配の種も一つ減る、だから本人も手術をお願いしたのだろう。

でも、その代償が結果今大き過ぎという状態になってるわけで。 手術前の説明の日わたしは立ち会わず後で報告受けた。

様態が思わしくない時、医師の説明の中に “人工呼吸器” ”気管切開” の言葉がでて、あっ!! と去年の(別の科の)先生の説明を思い出した、でも遅かった。

手術をするにあたっては関わりある科などと相談しながら進めてもらうのだろうけれど、昨年の先生が言った通りみたいな状況を迎えてしまうと、もう少し術前の説明やリスクについてなど質問したり話を聞きたかったと、今更ながら思う。

折りを見て現状の説明や一体全体父は今どうなってるのか、きちんと説明を受けてきたいと思ってる。

ネットで調べたら、「全くそうなってます、父!」ってこと次々書かれてて、結構酷いよう。 

一週間くらい右腕ぱんぱんに浮腫んるの 「どうしたんだろう?」 と言われてたけど、どうしたんだろじゃなくて右心不全から来てるんじゃないんですか? やっぱり肺悪くなってますよね とか。  術後すぐの酸素マスクは鼻口が隠れるタイプだったのに、今は顔全部覆う酸素マスクになったそう。

診てもらわなければいけない科が、違う気がしてる。

 

明日はわたしの脳のMRI検査、半年様子見していた小さい白い影がどうなってるか調べてもらう日。

前回、ゴ~ンゴンゴン!!とか何種類もの爆音に耐えられず、一回トンネルから出してもらったっけ。 すぐ耳栓くれたからわたしみたいなひと案外いるのかも。  昨日ぴったりフィット!って感じの耳栓買ってきたから準備はOKだ。

MRI だの ICU だの、、、     HIS とHSKは 、、、 今だによく間違う。   

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