三週間ぶりの更新になるかな。
ソーシャルワーカーをしている友人が、 “日記のまとめ書き” をしてた。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/note.gif)
その中の一文で、 『 「支援」とは、何だろう? 』 と、人が人を 支援 することについて書いていた。
その彼の意見に、やっぱりわたしは 同感・共感してしまうのだ。
.....................................................................................................................................................
『 こちら側がいくら 「支援できた」 と思ったところで、
実際のところ当事者にとって 「支援になる」 ような営みでなければ、何の意味もないだろう。
「支援する(できた)」 と 「支援になる」。
この差は大きい。
勘違いしてはならない。
「支援」 がきちんとした 「意味ある支援」 となり得るかどうかは、
すべて当事者が判断することなのだ。
思い上がってはならない。
自分たちがしている 「支援(援助)」 という名の行為が、ぼくたちが計り知れないところで
当事者を傷つけていることがあることを きちんと認識していなければならない。 』
こんな内容だった。。
.....................................................................................................................................................
「支援」 をして (したと)、
酔ってるような人、 自己満足してる人、 得意になっている人、 勘違いしてる人・・・
そんな人には なりたくないものだ。
そうならないためにも、まず自分自身が “人間らしく生きたい” 気持ち (何とも抽象的かな) を
いつまでも真摯に新鮮に持ち続けていきたいと思っている。
そして人権意識のハードルが 下がったり 曇ったりしないようにも。
こんな文献があった。
※引用:『エンパワメントと人権』 森田ゆり著(解放出版社)より~~~
人権意識は 『六法全書』 を勉強すれば身につくのだろうか。
大学にいけば学べるのだろうか。 そんなことはない。
長年人権問題を仕事にしてきた私が確信を持って言えることは,人権意識とは,知識ではなく,
理性ではなく,もっともっと単純なこと,心のありかたなのだ。
人権意識とは 「自分を大切にすること」 である。
自分の心とからだを大切にすることだ。
自分の存在は何よりもかけがえなく尊く,その存在の大切さを育み,
生かしていきたいと思う心だ。
人間らしく生きたいと思うことだ。
自分はとてつもなく大切な存在で,この自分が人間らしく生きるために手放せないものを
奪おうとする者に対しては,怒りをもって拒否していいのだという認識だ。
日本では自分を大切にするということは,利己的で悪いことであるかのようにとられがちである。
自己犠牲,みなと協力することが美徳とされ,子どもたちにも奨励される。
しかし,現実には,自分を大切にできない人は,他人を大切にすることもできないのである。
自分を愛せない人は他人を本当の意味で愛することなどできるはずがないのだ。
自分は人間らしく生きたいんだ,との思いのない人間が
他人の人間性を大切にすることなどできないのである。
ソーシャルワーカーをしている友人が、 “日記のまとめ書き” をしてた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/note.gif)
その中の一文で、 『 「支援」とは、何だろう? 』 と、人が人を 支援 することについて書いていた。
その彼の意見に、やっぱりわたしは 同感・共感してしまうのだ。
.....................................................................................................................................................
『 こちら側がいくら 「支援できた」 と思ったところで、
実際のところ当事者にとって 「支援になる」 ような営みでなければ、何の意味もないだろう。
「支援する(できた)」 と 「支援になる」。
この差は大きい。
勘違いしてはならない。
「支援」 がきちんとした 「意味ある支援」 となり得るかどうかは、
すべて当事者が判断することなのだ。
思い上がってはならない。
自分たちがしている 「支援(援助)」 という名の行為が、ぼくたちが計り知れないところで
当事者を傷つけていることがあることを きちんと認識していなければならない。 』
こんな内容だった。。
.....................................................................................................................................................
「支援」 をして (したと)、
酔ってるような人、 自己満足してる人、 得意になっている人、 勘違いしてる人・・・
そんな人には なりたくないものだ。
そうならないためにも、まず自分自身が “人間らしく生きたい” 気持ち (何とも抽象的かな) を
いつまでも真摯に新鮮に持ち続けていきたいと思っている。
そして人権意識のハードルが 下がったり 曇ったりしないようにも。
こんな文献があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book.gif)
人権意識は 『六法全書』 を勉強すれば身につくのだろうか。
大学にいけば学べるのだろうか。 そんなことはない。
長年人権問題を仕事にしてきた私が確信を持って言えることは,人権意識とは,知識ではなく,
理性ではなく,もっともっと単純なこと,心のありかたなのだ。
人権意識とは 「自分を大切にすること」 である。
自分の心とからだを大切にすることだ。
自分の存在は何よりもかけがえなく尊く,その存在の大切さを育み,
生かしていきたいと思う心だ。
人間らしく生きたいと思うことだ。
自分はとてつもなく大切な存在で,この自分が人間らしく生きるために手放せないものを
奪おうとする者に対しては,怒りをもって拒否していいのだという認識だ。
日本では自分を大切にするということは,利己的で悪いことであるかのようにとられがちである。
自己犠牲,みなと協力することが美徳とされ,子どもたちにも奨励される。
しかし,現実には,自分を大切にできない人は,他人を大切にすることもできないのである。
自分を愛せない人は他人を本当の意味で愛することなどできるはずがないのだ。
自分は人間らしく生きたいんだ,との思いのない人間が
他人の人間性を大切にすることなどできないのである。