ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

こうきましたか!

2008-12-30 | ● “ わたし ”

そうじやらお正月を迎える準備やらに一段落つけ、夕方美容院に行ってきた。
今日は時間もなかったので、カットだけ。
伸びて煩くなっていた前髪を短くしてもらい、全体を少し揃えてもらった。
カットしだしてまもなく、美容師さんが言いにくそうに・・・ 

左後ろ辺りに、円形脱毛した所が二か所!
主に精神的な原因によるケースが多いみたいですよ、と美容師さん。
「なにか悩みがあるとか、ストレスとか・・ 」

そう言われて、考えてみたけれど髪が抜けるほどの悩みや過度のストレスは「今」ない・・・
でもさかのぼれば、思い当たることはある。
たぶん秋の頃から、抜け始めたのだろう。    このあたりだと思う。 カラータイマー

我ながら、苦笑いだ。 こんな形で現れたとは。

こうきましたか今回はと。 


      


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てのひら

2008-09-23 | ● “ わたし ”
四か月ぶりに、友人のHPに書き込みがされた。
ソーシャルワーカーの彼は、相談を受けてきたある青年の「自死」に衝撃を受け、
果たして自分には「ソーシャルワーカー」として仕事をしていく資格などあるのだろうか!? と、この数か月自分に問い続けてきたようだ。
そして、その打ちのめされるような衝撃から何とか立ち直れそうな気がしていた矢先、新たなショックが襲った。

この夏、29歳になる女性が病気で亡くなった。
彼女は彼が3年前から色々と相談を受け、心に寄り添ってきた人。
今日の彼の日記は、大量の文字で埋められていた。

~ この間、ぼくはいろいろなことを考えてきた。

彼は3年前に彼女と初めて会った時に、ある 宿題 を投げかけられたそう。
というか、彼は勝手にそう受けとめた。
よくぞ今まで生き残ってこれたと思うほどの彼女の人生。
「殺人以外の他のことは全部やってきたから」 と彼女は笑って語ったという。

そんな道程を抱えていた彼女に、彼は純粋にこう尋ねたくなった。
「教えて欲しいんだけど、あなたやあなたのもとに集まってくる女の子たちが、そのような哀しみと苦悩に満ちた人生の中で生き残っていく上で必要なものって、何なのかな?」
すると彼女は優しく微笑んで、彼に右手を伸ばし 「それは “これ” だよ。」って。
そのしぐさの意味がわからなかった彼は、もう一度尋ねたそうだ。
「だから、これだよ、 『手のひら』 だよ。」
そう言いながら彼女は笑い、次のようなことを話してくれたという。

「昼の世界から排除され、はじかれた私たちは夜の世界で生きるしかないんだよ。
そんな時に明らかに危険と思われる男たちが私たちに寄ってくるんだよ。
『そうか、そうか辛かったんだね』 って言って 『手のひら』 を差し出して、頭をヨシヨシしてくれるんだよ。
わかっているんだよ、そいつらが何を求めているのかは。
でもね、心の奥にどうしようもない淋しさや哀しみを抱えている者にしたら、その危ない 『手にひら』 にすがってしまうんだよ。
私たちが生き残るためにはその 『手のひら』 が、その時には必要なんだよ。」

そう話した後に、彼女は彼の眼をまっすぐに見つめて真剣な眼差しで、
「Kさん、 Kさんは私たちのような人間を支えることが出来る、そんな偽りではない本当の 『手のひら』 を私に差し出すことができるの?」
こう言って、悪戯っぽく笑ったそうだ。

彼は彼女の生前の写真を眺めながら、今も彼女から問われている。
 “Kさん、あの時の 『手のひら』 の意味、わかった?”
 “Kさん、私が欲しかった 『手のひら』 を差し出すことができるようになった?” ・・・って。


わたしは今日、久しぶりに本を読んでいた。   浅田次郎の 「昭和侠盗伝」。
その中に出てくる寅弥という男が我が子のように可愛がっていた勲。
その子が召集されることになった。
絶対帰って来いと言いながら、出征の日 寅弥は思っていた。

「読み書き算術も教えることはできなかった。
そればかりか人並みの説教すらできず、肩車に乗せ、頭を撫でて十五年を寄り添った。
ほかにはなにひとつできはしなかった。   寅弥は俯いて掌を見た。
何もしてやれなかったけれど、この掌が勲の肌の温もりを覚えていた。」


 手のひら・・・   掌 ・・・
 今日は ふたつの “てのひら” のこと  わたしも考えた。




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カラータイマー 黄点滅?・・・

2008-09-20 | ● “ わたし ”
    

     「なにもしたくない 誰にも会いたくない しゃべりたくもない 
      野に咲く花のように 静かに一人でいたい 
      しかし腹がへった 残念だが 腹がへってしまった」

・・・ 星野富弘さんの詩。

なんとなくわたしもそんな気分だ。
少し違うのは、腹はへらない。


カラータイマーが黄点滅してる。
ウルトラマンは危なくなると、胸のタイマーが赤く点滅してたけど、わたしの場合はその前に黄色点滅がくる。
今頃の季節は、調子崩れやすいのもあるんだけど。
「意志」 で何とかしようとしたり、「気持ち」 で割りきったつもりになっても、
「こころ」 が正直にわたしにサインを出してくる。 (上手く言えないけど)

そんな特徴(?)をハッキリ自覚させられたのが、一昨年中国で。
どうしても受け付けられない授業があった。
我慢して出席していたら、段々身体に影響してきて・・
前の晩、当日の朝、授業終了した後、、、 気重になるどころか、吐き気が襲ってきた。
授業終わってからが一番ひどくて、道歩きながら おえっ・・ って感じ。
「まったくもう、こどもじゃあるまいし。」 と、もう一人のわたしは思うのだけれど、何ともいたしかたない。
結局その授業は、受けるのを止めた。  「口語」という会話の授業だった。

こんな感じで、不調になると確実と言っていいほど身体に色々なサインが出てくる。
喉の異物感だったこともある。
この時は、まだこんな自分ということを分からなかったので、病院に行って喉の検査をしてもらった。  
二回あった。 でも、二回とも喉に異常は見られないって。
眼の下のチックというかたちで出る時もある。

パターンが分かった今は、どこにどんな形で症状が出ても実際の問題はそこにはないことが分かるので、
心にかかるストレスだったり、精神面を見つめてみるようになった。
でもそうしても、わからない時もあるけど。

昨日出かける時、三回玄関の鍵をかけなおしてた。
一回閉めてから、「あれ!? 火の元大丈夫だっけか?」 とか、「スイッチちゃんと切ったよね!?」 とか
確かめに行くのはいいとしても・・ 
二回目閉めてからまた なんだか気になって、もう一度鍵開けて中はいって・・・
完全に大丈夫なのは、ちょっと前に確認済だからわかっているのにだ。
こころが落ち着かないとでも言うのかな。
結局玄関とリビング行ったり来たりして、三回鍵をかけ直した感じ。
これは一例・・
これも明らかに、カラータイマー黄点滅!

原因は一つじゃないにしても、 たぶん・・ 
来月の10連休前にはなんとかしたいものだ。
とりあえず明日、気分転換に出かけてこようと思ってる。
  せんだい地球フェスタ2008
                            
  


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生きてれば

2008-03-09 | ● “ わたし ”
知り合いが三月いっぱいで仕事をやめることになった。
病気が、思うように良くならなかったらしい。
こころの病は、厄介だ。 
ゆっくり たっぷり 時間が必要。
良くなったみたいだからと、中途半端にまた無理すればぶり返しがくる。

エネルギーが切れたのなら、エネルギーがたまるまでゆっくり休めばいいよ。
自分を大事に。
充電できたら、また新しい生活だって、やりたいことだって、できるんだもの。
わたし自身、自分も通ってきた道だから これはちょっと自信を持って言えること。


ある日ふと聴こえてきた 槇原敬之の 「どんなときも。」
    どんなときもどんなときも 僕が僕らしくあるために
    「好きなものは好き!」 と言えるきもち 抱きしめてたい
    どんなときもどんなときも 迷い探し続ける日々が
    答えになること 僕は知ってるから

「好きなものは好き!」 と言えるきもち・・・     大事なんだね。


今から六年程前までのわたしは、少し人生を前のめり気味に生きていた。
あの時、病気(うつ病)にならなかったら、
そのまま つっぱしり人生を走り続けていたかもしれない。
いや、どこかでやっぱり 破綻しただろう。

病気は、、無理しすぎず 自分の気持(心からの声)に正直に 肩の力を抜いて、
もっと楽に生きられる生き方をアドバイスしてくれた。

伸ばしても 縮む余裕があることの大切さ。
引っ張りすぎれば 縮まなくなる。
それをそのまま引っ張り続けたら 終いには切れるだけのゴム紐のよう。

病気はまたわたしに 休息と今までの自分を深く振り返る機会をくれた。
こう思えるのも、あの凄くしんどかった時期が もうすっかり過去のものになったからだろう。


辛い日々を じっと縮こまってやり過ごしていた頃に読んだ本の中の 一冊に
(『不完全でいいじゃないか!』 伊波真理雄・石村博子共著 講談社)。
その中のこんな言葉が心をとらえた。   わたしもそうじゃないかって。

 「 わたしが成長過程で学ばなければいけないのは、次の三つのことだけです。
    (自分が) 好きなもの、嫌いなもの   
    (自分にとって) 意味があるもの、ないもの    
    (自分に) できること、できないこと                  」

“できない” と 認めたり 割り切ったりすることが わたしには結構難しいことだった。
“やればできるかも” と思ったり、やら “ねばならぬ” と 自分を追い込んだり・・
そんな状況でやってみたら、できることも結構あるものだった。
しかしできたと言っても、そうするためには100%以上の力を絶え間なく
注いでいないといけなかった気がする。

通院した時、ドクターにいわれた最初の言葉。 
「あなたの病気は、がんばり病です。 もうがんばらなくていいんですよ。」 
すごくほっとして、すごく楽になれた気がした。
また、「休む事は、サボる事ではないんですよ。
サボると言うと、何か後ろめたい気持ちが出てきて、また辛くなるでしょう。」 って。

そしてわたしも言われた。 
「あなたは今、エネルギーが切れた状態なのだから、エネルギーがたまるまで、
ゆっくり休めばいいんです。 自分を大事にしてくださいね。」 と。

自分を大事にする?    改めて考えた。  
そして、「随分がんばってきたよね、わたし!」 と、こころの傷にも手を当てながら
自分を純粋に誉めた。

病気がマイナスかプラスかと言えば、マイナスなのかもしれない。 
でも、考えようによっては とても大事な気付きをプレゼントしてくれることがある。
どんな病気もそうじゃないだろうか。
病気になると “何気ない普通の生活” がどれ程最高に幸せかということも見えてくる。

 たとえば、、朝起きれること・・
 たとえば、、夜布団に入ったらそのままゆっくり眠れること・・
 食べれることも そう。
こんなことが当たり前にできるということが、本当は すごく幸せ なんだってこと。

    自分の人生 大事にね。
    新しいスタートは、いつからだって始められるよ。 

ひとつの決断をした彼女に、こんな言葉をおくりたいと思っている。

そして、留学時代の同学がよく口にしていた言葉を思い出す。
  人それぞれ。。  
これは 「忘れましょ」(2007/10/15) 同様、わたしにとって とても大事な Keywod
このことについては またいつか 書くことがあるかもしれない。   


    



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B型のN体質で 「白い犬」

2008-03-02 | ● “ わたし ”
職場で最近 マヤ歴 なるものに凝りだした人がいる。
マヤ歴というのは13の月からなる暦だそうで、その暦に照らし合わせると
生まれたときの力の流れからその人の特徴や役割が垣間見えるというものらしい。

先日、生年月日を聞かれたので答えたら、マヤ歴的にはわたしは 「白い犬」 だそう。
更に1から13までの・・・ ??? (なんだったかな? )   
まあ、とにかく わたしは白い犬の中でも  なんだそうだ。
ただ今勉強中なので、もっと深めたらまたいろいろ教えてくれると言われた。
いろんなことに興味を持つ人がいるんだなぁ。

また、別の人からは今1冊の本を借りている。
簡単にいえば、 B型 についての本。
貸してくれた彼女も わたしと同じB型さん。

    



わたしは、信じて疑わない血液型信者ではない。
でも、案外当たってるような気になったのが 
この雑誌情報の中身。 (かなり前の号。) 
                             

これによれば、わたしは B型のN体質(B型の中にも何タイプかあるそうで) だそう。
「自らの特性をコントロールする “自分力” を知る。」 と、色々いいと書いてあった。


さて、それでは そこに書いてあった わたしの自分力は?


他人に対する依存心、支配欲求とも希薄なあなたは、B型の中でもとりわけマイペースな個人主義者。
人は人、自分は自分、といういい意味で割り切っていて、
周囲の影響を受けることも、誰かに干渉することもまれ。 (言えてそう)

自分の世界をしっかりともっていて、どんな環境にあっても、
信じた道を独自のスタイルとマイペースで、まっすぐ進んでいく人です。 
周りに調子を合わせて妥協したり、お世辞や愛想を振りまいたりは苦手。
(これは完全に合ってる。

そのせいで、初めは付き合いが悪い、ぶっきらぼう、と敬遠されるものの、
行動や発言に裏表がなく正直なので、不思議と憎まれず、孤立する心配はありません。 (かな。)
時間の経過とともに、“あの人はそういう人” という暗黙の了解を得て、
特別な存在として位置づけられそう。 (そうなんだ・・)

加えて、誰に対しても偏見なく自然体で接するため、性別や世代、国籍、文化を超えた
ボーダーレスな人脈を築けるのは強み。 (ほう!  )

感性や発想は、独自のピュアな輝きにあふれ、誰にも真似のできない
オリジナルな個性の持ち主です。 (オリジナルねェ。)

狙ったわけでもないのに、何気に口にした言葉や行動が周囲の注目を集め、
そんな反響にあなたの方がビックリかも。 (あぁ、ある そんなこと。)
ユニークな天然のキャラ、独特の世界観など人気を呼び、
バラドル系やアーティストとして活躍する人も少なくないでしょう。 

集中力の優れている点も、大きな武器。
物事に集中し始めると、寝食を忘れてのめりこみそう。
努力や競争といった意識はなく、純粋に “好きこそものの上手なれ” を
地でいくタイプ。  (そうだね、競争しようとはあまり思わないかな。)

一芸に秀でたスペシャリスト、マスターと呼ばれる職人も多く見られるのがこの組み合わせです。
金銭に関しては、もともと物質に対する執着心が低いほう。
あるに越したことはないけれど、なくてもそれなりにやっていけます。
(そうそう、あるに越したことはないけど、なくてもそれなりにやっちゃう。)



   こうやってみると、案外面白いものだ。  



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そわそわ

2008-02-09 | ● “ わたし ”

ぽかぽかして

空が青いと

 

どっか 

いきたくなる

 

リュックしょって

空飛んでね

 

 

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おまえって、「わらしべ長者」 みたいだな。

2008-01-08 | ● “ わたし ”
今日からとうとう 四捨五入しなくても50代に突入! 
こんなこと書きながら、やっぱり実感なし。  誰かさんのことみたい。
「これからの(わたしの)夢を発表します。」 と言って、この前考えた夢を家族に発表した。 
夫、「いい夢じゃないか。  」     むすめ、本気で取り合っていない様子。 
・・・・ ま、いいか。
今はどうあれ、実現すればいいわけで。 
この先なにか起きて方向転換もしくは断念しなくちゃいけなくなっても、その時はその時。
しょうがない。

要は漫然と生きるだけじゃなくて、向かうものを持っていたいってことかな。
普段はぼんやりダラダラしてることも多いけど、挑戦する気持ちっていうか・・
忘れないでいたいなって思ってる。

去年観た「西遊記」の中で三蔵法師が言ってたっけ。 「生きるとは、闘うことです。」 と。

そしてさらに続き・・・
「闘うとは、日照りに田畑を耕す父母のように・・」 「赤子を産み出 母のように・・ 」 ・・・
(大体こんなせりふだったと思う。) 

闘うなんていうと、何か激しそうで物騒な印象も受けるけど、みんな普段の日常の中でも
それぞれに何かと闘っているんだなって。
そしてそれは、生きてるって事なんだなって すごく心にしみた三蔵の言葉だった。 

生きるとは・・・   死ぬまで考え続けるだろう わたしの命題。
それに、哲学的なヒントと一定の答えをもらった気がした。
言葉でうまく説明できないけど、こころの深い所に落ちてきたって感じ。

あれ、、、 横にそれたような、それないような・・  
まあ何を言いたいかというと、 死ぬまで「生きていたい」 ってことかな。 


今回の誕生日は、思いがけないプレゼントが届いた。 
思いがけなかった分だけ余計に 凄くうれしかった。 
それも、わたしがまだ飲んだことのない中々のお酒 

   

プレゼント主は、中国留学時代に一緒だったY同学。    ありがとう!
「四捨五入すれば、50じゃないですか。」 なんて言われてたけど、
ホントに50になっちゃいました。  だね。

 
突然だけど、 「おまえって 『わらしべ長者』 みたいだな。」 (夫)
お酒を見た途端、この言葉。
このY同学は、自身の研鑽のため現在アメリカで暮らしている。
孤高 という言葉がよく似合う 素敵な同学だとわたしは思っている。

先月、ばんちゃん(同学)がアメリカに行った際にお土産を頼んだ。
(軽いけどかなりかさ張るものだったよね、、、 ばんちゃん、ホントお世話様。) 

なにかと言うと、Y同学がこどもの頃から 大好き だったもの。 (のはず。。)
これ 
   


こんな経緯から 夫のこの言葉、 
「おまえって 『わらしべ長者』 みたいだな。」 
おにぎりせんべいが、いいものに変わったな。  という まぁ、冗談。 

ちなみにこのせんべい、仙台では販売されていない。
なんとか手に入れて わたしも味見! とばかりに食べてみたら、、  普通じゃん!! 
と、思ったのも束の間、やめられなくなるじゃないですか! 
魔力溢れる 「おにぎりせんべい」  
なるほど、関西のこどもたちの  を鷲掴みにしただけのことはあるせんべいだと実感。 

話し戻して。。
家族からもプレゼントを貰った。 
むすめが買ってきてくれた ケーキ。   上品な甘さで とても美味しかった。 
  
  


こちらは夫。
特に欲しいものはないと言っていたら、普段買えないワインをプレゼントしてくれた。
(左に見える花は、むすめから。)

    


そして更なる
とっておきは、これだ! 
                     



     幸せな 誕生日だった。 



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わたしの夢 ....  決めた。

2008-01-06 | ● “ わたし ”
明後日は、誕生日。 
 50歳。
この数字の字面的印象・・・    なんか人事みたい。
まぁ、実感はないものの、事実。

わたしは、これからの  を決めた。

「人生の節目に際して」 とか、 そんなんじゃないけれど・・
わたしは何がしたいのかな? ....   このうっすらとした疑問。
深刻に悩むまでではなかったものの、でも、いつも頭のどこかにあった。
やれ旅行に行きたい とか そういう日常で抱く願望・欲望とは ちょっと違う質のもの。

55歳まで仕事をして、その後 ある資格を取るために1年くらい学校に通おうと思う。
その資格が取れたら、海外でも日本でも仕事ができる可能性が開かれる。
もし仕事として生かすことができなくても、ボランティア活動はできるはず。

だれかの “可能性を開くための入り口作り” のお手伝いが出来たら・・
また、日本の文化や色々な日本のことを伝えていけたらとも思う。

恐らくそれはわたしにとっても、楽しさと生きがいをプレゼントしてくれるだろうと想像する。
そして、死ぬまで驚いていれそうな気がする。 
なにはともあれ...  それを やってみたい。 

              


 
    どんなときも どんなときも 
      僕が僕らしくあるために
      「好きなものは好き!」 と
      言えるきもち 抱きしめてたい

      どんなときも どんなときも 
      迷い探し続ける日々が
      答えになること 
      僕は知ってるから

                    どんなときも。


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「忘れましょ!」

2007-10-15 | ● “ わたし ”
おととしの今頃、寮友の田○さんと北京に行った。
あれは頤和園に向かう途中のこと・・・    
「頤和園行き」 のバスに乗ったはずが、下ろされたところはずっと手前。
なんで? ...  と思ったけれど、ここまでしか乗せられないよとばかり、とにかく降りるしかなく・・

「おかしいね。  “頤和園行き” のはずなのに。  なんだろ・・  」 と、わたしが言うと
すかさず 田○さん、 「忘れましょ!」  って。
わたしは、新鮮な衝撃 を受けた。        忘れましょ!? ...  



心に残る言葉というものがある。
それは、時に ジ~ンときたり、またしみじみ深く染み入ってきたり、
そしてあの時のように ドカン!と衝撃的に訪れたり・・


わたしは、あの時からこの言葉にとても救われてきたと思っている。
わたしなりに解釈を加えながら。    『 忘れましょ! 』

それは、切り替え 、 保留、そして本当に 忘れてしまう (考えることをやめる) こと。
これをケースバイケースで、当てはめていく。
その切り替えスイッチのようなものが、  「忘れましょ!」 。


北京での「忘れましょ事件」の後、一番はじめに スイッチON されたのが、去年の春、
成都に旅立とうとした日。(ツアー日程表)

大連空港までタクシーを走らせ、いつものようにお金を払った。
空港の扉を開け、何歩あるいただろう・・
あれ? 財布?・・・    ないかも。
      
そんなに考えなくても、すぐ分かった。
お金を払ってから 財布をつい膝の上においたんだと思う。
そしてそのまま、「谢谢! 」 なんて言いながら、車を降りてしまったものだから、
たぶん後部座席のどこかに落ちてしまったのだと思う。
中身は、500元。
お金もさることながら、財布の方が残念だったというか・・
日本を離れる時に、夫が 「これ使え」 と持たせてくれた夫の財布だったから。

若干、落胆モードに入りそうなところで、スイッチON  「忘れましょ!」 
いつまでもくよくよしていたところで財布が出てくる訳もないし、探そうにも探しようもない。
何より、わたしがいつまでもそんな気持ちを引きづっていては、これから一緒に旅しようという友人に悪い。

そうだ 「忘れましょ!」 だと、切り替えた。

あれから今まで、何度も心に スイッチオン! することがあった。
「こういう時だよ! スイッチオ~ン!」  ってね。 
その度に田○さんを思い出す。
そして、感謝してる。 


    

                      ハルピンで買った、高麗人参の蕾のお茶


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「死ぬまで驚いていたい」

2007-09-17 | ● “ わたし ”
昨日の新日曜日術館は、日本画家・堀文子さんだった。
89歳と聞いて驚いた。
作品の透明感あふれるみずみずしさ。
また緻密な筆致、さらには可愛く楽しい作品も描かれている。

思い立ってイタリアに移住されたことや海外を放浪して周るなど、とてもアクティブだ。
驚いたのは、幻の花ブルーポピーを訪ねてヒマラヤの5000メートルの高地に登ったのが
82歳の時という。
日々の平穏が続いてくると、何か違うことをやりたい衝動に駆られ
新しい驚きに会いに出かけていくようだった。

こどもの頃のような ハラハラ・どきどき する気持ちを持ち続けたい。
死ぬまで、驚いていたい と語っていた。
なるほど、そんな堀さんだから あんな作品が描けるんだろうと頷けた。

テレビを見ながら、とても共感を覚えている自分がいた。
そうなんだ、わたしも 驚きたい のだと思った。
旅するのもそうだし、絵を観たり音楽を聴くのもそう、花を見たり他にも色々・・
だから驚くことが少なくなると、詰まらなくなって何かしたくなる・・

驚くこと とは、感動や発見と言い換えてもいいだろう。
そして、ハラハラ と どきどき と わくわく 。


堀さんは、「小さい頃から そうだった」 とおっしゃっていた。
そういえば、わたしもそうかもしれないと思った。
こどもだから大してでっかいことはできなかったけれど、学校帰りのみちくさは小さな冒険だった。
未知の世界へ足を踏み入れる わくわく感・・
そして、いつもの道でさえ驚きの世界に出逢うこともできた。

道端に咲いている野ばらは、うっとりするほど いい匂いがしたし・・
中くらいの川には、たくさんのめだかが泳いでいて、橋の上から腹ばいになって
群れて泳ぐさまをしばらく眺めていたり。
ある時 田圃の脇に、水を引く水車が置かれたことがあった。
一度でいいから回してみたいと思いながら、そのそばを毎日通っていた。
シャッ シャッ シャッ        ..... やってしまった。
何回か廻したところで 足をとめた。
汲み上げられた水の勢いは止まり、流れがしずくに形を変えた。

あの時見た一滴のしずくの美しさは、忘れられない思い出。
午後の日を浴びて ぴかぴか 光ってた。
小学校の何年生の時だったかなぁ .....       
  
「小さい頃から そうだった。」     堀さんの言葉が思い出される。 




感動は、命の洗濯だといった人がいた。   精神科医の斉藤茂太氏。

  感動することを忘れては、人の心は輝きをなくしてしまうのではないだろか。
   見知らぬ土地への旅も、芸術に触れることも、親しい友人のなにげないひとことも、
   恋人の優しさも、すべてに感動がある。
   感動は、頭で考えるものではなく、ハートで感じるものである。
   感動できる感性を失っては、人生は無味乾燥なものになるだろう。
   自分の人生を豊かにするためにも、子どものように感動できる心を持っていたいものだ。
   誰の心のなかにも、子どものころと同じような、みずみずしい感性が眠っている。
   ときにはその感性を開放し、感動を味わってみてほしい。




死ぬまで、驚いていたい とは、、、
死ぬまで色々なもの(こと) に感動できる心を持ち続けていたい ということじゃないかと思った。
みずみずしくも しなやかな・・・ 




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