4,703 ・・・ この数字。
このブログを開設してから今日で、4,703日 なのだそう。
4,703日 というより、4,703円 にみえる。
実感持ちにくい数字だ、年に直せば13年程。
自己満足でいいのだと思いながら、これからもかな・・。
4,703 ・・・ この数字。
このブログを開設してから今日で、4,703日 なのだそう。
4,703日 というより、4,703円 にみえる。
実感持ちにくい数字だ、年に直せば13年程。
自己満足でいいのだと思いながら、これからもかな・・。
「真面目だから~!」
わたしが言ったちょっとしたことに対してこう言われた。
正直あんまりいい気がしなかった。
真面目は悪いことではないし、
言った人も特に深い意味はなかったのだろうとも思うけど・・
でも、なにか一線引かれたような、
少し違う世界にいる? ような、
妙に心にひっかかった。
こんなこと感じて考えている時点で、既に「真面目?」。
申し込んでいたPC教室から抽選の結果、当選!とはがきが来た!
基礎とワード、エクセルと三種類の講座になる。
先月三日間講習受けて、随分いろんな事が出来るようになって嬉しかった。
更にもう少し深めたいのと、全然分からないエクセルをなんとかものにしたなと思ってまた申し込んだ。
今度は有料の講習会になる。 4月から始まる予定。
学ぶことは楽しいことだ。
先日、がん関連の「市民講座」に参加してきた。
先生たちの話を伺いながら、医学は日々進歩しているんだなと思った。
様々なタイプに合う治療法や薬が開発されてくることを期待したい。
時間はかかるのかもしれないけれど。
どんなときでもさいごまで
じぶんだけは じぶんのみかたを
やめちゃ だめだよ
(二年生の女の子)
人生八年にして
なんと深い言葉を
言ってのけちゃうものだろう
わたしには同じ病気、すなわち乳がんの友だちはいない。
手術入院と放射線入院。
同室の方たちはいい方に恵まれて、楽しいと言ってはなんだけど色々としんどいこと尽くめの入院生活も笑いありほっこりありだった。
普段でもあまり携帯番号の交換はしないわたし。
二度の入院で二人の方と交換しあった。 教えてと言われ断るのもなぁとの気持ちもあり。
でも結局電話もメールもせずじまいになっている。
数回連絡もらったのにも関わらずだ。
すごく申し訳なくごめんなさい、、と心が痛みながらも迷いながらも、結局スルー。
この前携帯電話落として、もう番号は完全に分からなくなってしまった。
元々電話は苦手。
相手の好き嫌い関係なく電話は苦手。 少し距離置けるメールだとまだましだけど。
入院中にお知り合いになったあの方たちは、単に「わたし電話苦手なんで」とは違う。
連絡できなかったのは、、、、 怖かったからだと思う。
その怖さは、わたしにはずっしりと重たい怖さに感じられて
勇気が出なかった。
3・11が過ぎていくと、個人的には3・13がやってくる。
乳がんの手術をした日だ。
丸三年が経過したことになる。
毎年三月という月は記念日というのも変だけれど、一年の節のよう。
一般的に、一年の始まりは元旦、仕事や学校の四月、個人としての誕生日・・・
そういう感じの。
わたしのとって元旦だったり四月だったり、誕生日だったりする、、三月。
放射線科半年ぶりの診察を受けてきた。
Drにお話しする程の不調(咳とか)もない最近。
放射した部分の様子を見てもらって「順調です。」と。
放射線を当てたところは汗をかけなくなるし、どうしても乾燥するので保湿に気をつけてるといいですよとアドバイスをいただいた。
確かにその部分だけツルツルしていて年中湿った感じにはならない。
気にする程でもなかったからこれまでは何もつけずにいた。
また半年後の予約を入れて終了。
次回はレントゲンを撮るそう。
乳腺外科の方も次回は骨密度の検査が入っている。
ホルモン療法の副作用が骨に影響していないか様子を調べることになる。
丸7年が経過した。
全壊した実家 二階の屋根が目の前に
納屋の一角に造った仮設部屋 父と母はここで丸一年過ごした 寒い真冬も暑い真夏も
「あの時一緒に潰されてしまった方がよかった」 震災後実家に行った時、いつもお世話になっている近所の方から間接的に聞いた母の言葉。
家は潰れる、父は具合を悪くし救急車で運ばれる・・。
心身共に疲労の限界だったのだと思う。 先の生活も暗闇のまま。「あの時一緒に潰されてしまった方がよかった」 この母の言葉・・・ 重く突き刺さった。
震災後すぐから被災者の心のケアにあたられていた神神科の先生の話だ。
とても参考になるアドバイスだと思った。 「過去を振り返らないこと。 先の未来を考えないこと。」 過去を振り返っても未来を見てもどちらも辛くなるから、一日を短く区切って生きてみようというもの。
午前これをして午後はこれをしてみよう、などと短い時間帯で生きる。 そのようにしながら一日一日を重ねていく。
当時は確かに被災した当時を振り返れば辛くなるばかりだし、漠然と今後を考えれば問題が大きすぎて苦しくなるばかりだ。
今日はまず「今日を」考えて一日を締めくくりながら、段々に少し先の明日明後日くらいまで広げていけるといいのだろう。
「あの時 家と一緒に潰されなくて、ホントよかった。 」いつか母が心からこんな言葉を語れる日がきてくれたらとあの時は思った。
最近はどう思っているのかな。
たぶん「あの時 家と一緒に潰されなくて、ホントよかった。」と少し?は思っているんじゃないかな。 たぶん。
周りのみんなはすごく思ってるよ。
9LDKが2LDKに縮んでしまったけれど、一人暮らしの母には丁度いい気がする。
この家で暮らして丸6年だ。
2012年11月台湾を訪れた。
その時、台北市内でこれを見つけた。
お店の入口にきっぱり!と掲げられたこの旗。
反核' NO NUKES
NO more Fukushima
不要再有下一個福島
しんどい。
日に日に増えていく東日本大震災の話題。 見ていると、すごくしんどくなる。
この時期、毎年繰り返されてきたことだけど
今年はいつもよりしんどく思われる。
何でかな。
もう7年
まだ7年
やっと7年
あっという間の7年
7年にくっつく色々な言葉
わたしはどう感じているか・・・ ?
7年経ったけれど
けれど だ
けれど・・・
この「・・・」
言うに言えない「・・・」
全壊の実家から取り出した建具