ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

永遠の価値

2012-03-31 | 言の葉BoX

 順番のつくような

 どんな価値を持っていても

その順番は もっとすごいやつに追い抜かれるし 

その価値は 年齢や動機の喪失やなんかとともに

  だんだん減っていってしまうだろうけれど

 「 いまここに、あいつがいたらなぁ 」 って 

思われることの 価値は 

永遠なんだよ 

(糸井重里 さん)

 

 

 

 

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これ なんか ぐっとくるんです  ゜+.゜(´▽`人)゜+.゜ィィ!!

2012-03-30 | 2012年 2013年

  加山雄三とザ・ヤンチャーズ「座・ロンリーハーツ親父バンド」   

                 

それにしても、すごいメンバーだなぁ。

みんな楽しそう。。 

 

 

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新しいパソコン

2012-03-23 | 東日本大震災 from 仙台

電気屋さんを四件廻り、色々説明してもらってどれにしようかと迷っていたのですが、これに決めて今日買ってきました。

       

ミニサイズのノートパソコンです。  ボランティア先での情報源として、それと向こうの様子などブログにアップしたいと思ってました。

ただ電波(?)の状態がよくなくて、南三陸町の場合だとネットはドコモとauだけしか使えず、それも微弱とのこと。

わたしは、[wimax+au] タイプの電波拾う(?)ものにしました。 ルーターって言ってたかな・・       数日前に入荷したそうですが、その日のうちに全部売れちゃったとのことで今日は買えず仕舞い。  一週間以内には入るみたいだけど。

どんなに人気なんだ!それ。。   と思って、何個入ったのが全部売れたんですか? と聞いたら、「三個です。」      三個か・・・

初期設定、自分でやってみました。  説明書見れば、誰にでもできるようになってるんですね。 当たり前か。

まだいつから行くかの具体的な日程は決まっていないのですが、お手伝い日記のようなブログを準備してみてました。  

                 

 

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微力だけど、無力ではない

2012-03-18 | 東日本大震災 from 仙台

あの日から一年。  そしてその日から今日で一週間が過ぎていき・・  

明るくなって暗くなっての繰り返しの中で、特に意味を持たせなくても歴史って進んで行くんだなと思う。 だからこそ、きっちりもの考えてしっかり一日を刻む時ってのも大事にしていかないといけないとも思う。 

あの日から一年経ってどうかとか、なんか何も書けないでいるけど、そうこうしているうちに日一日と過ぎていく。 

3月で仕事、辞めることにした。  長期ボランティアに行く事にしたから。 

一周年までは被災地に関することなど随分取り上げられていた。 でも、その後ってどうなるんだろ、徐々に減るんだろうな、たぶん。

わたしはこの一年、 「どうするの?・なにするの?」 という自分に対しての問いかけを心の中にずっと置いてきた気がしている。 今回仕事辞めることも思いつきじゃなくて結構考えた。

息子に 「実はさぁ・・」 と仕事辞めることを話した時、「辞めて何すると思う?」 と聞いてみた。 するとすかさず 「ボランティア三昧でしょ。 それしかないさぁ。」 と即行でかえってきた。 読まれやすい母なのだろうか・・  

とにかく、なにができるか分からないけど、お手伝いさせてもらおうと思っている。 問題は宿泊先だが、長期ボラに限りキャンピングカーやコンテナを貸してくれるみたいなので、うまく借りられたら数か月単位で何回か行くつもり。 

  「微力だけど、無力ではない」 

たぶん、わたしのやれることなんて微力。 あんまり力だってないし  でも微力だけど無力ではないのだから、何かはできるはず。  来月早々一泊でボランティアに参加しながら、向こうのボラセンの方に宿泊の件なんかを相談してくる予定。 

 

        あの街に生まれて 西田敏行 [歌詞字幕付き]

 

 

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こんな感じに

2012-03-15 | 東日本大震災 from 仙台

実家がこんな感じに出来上がりました。 (玄関の方から撮影)

      

 

 

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降りましたねえ、雪!

2012-03-05 | 2012年 2013年

朝起きて外を見たら、がぁ~~~ん! って感じ。  何年ぶりかな、こんな雪。

たとえ白銀の世界であろうと、出勤は自転車です。 

あったかい部屋から眺める分には、とってもきれいな雪でした。 ふわっと白い大きなかたまりが舞うように落ちてくる雪でしたから。   

雪降ると大変なのが、雪かき。 うちの団地では一応自分の家の前の道路は雪かきするのが定着しています。 だから、そうそう困ったことにはなっていません。 まれにやらないお宅があっても、少し面積拡大して隣接する家がやる場合もあるし。 でも雪かきひとつからも各家の特徴がうかがえる気がします。 

今朝出勤途中で困った雪かきを目にしました。 自分の家の前はすっきり綺麗になっているけれど、かいた雪は車道にボンボン投げ飛ばしてました。   日差しがあるもう少し温かい時間だったら溶かしてるんだなとも思えますが、降ってる真っ最中の朝時間では迷惑極まりない。  

さて、今日は三月五日。  

あれ、そういえば去年の今日は大連だったなって。 地震の三日前に帰国した、あの中国旅行・・・    

 

いつもなら旅紀行みたいなものをここに書き込むところですが、それどころではなく行ったことさえ飛んでしまってた一年でした。    仙台発の中国便CAは運航が火曜と金曜だったので、帰国を次の便にしていたら丁度大地震の日。  金曜の3・11にしなかったのは、卒園式の前日だったから。  

             只今大連 

 

 

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あるボランティア事情

2012-03-05 | 東日本大震災 from 仙台

震災以降、全国からたくさんのボランティアさんが東北に来てくださり、多くの励ましと大きな力をいただきました。 それは一年が経とうとしている現在も続いていることです。 本当にありがとうございます。

先日長期ボランティアの問題をテレビで取り上げていました。 ずっと被災地で活動を続けてくれていたボラさんが撤退するというもの。 

長期ボランティアにとって経済的問題は深刻のようです。 そうだと思います。  

ある人の例が紹介されていました。 彼は震災後すぐに駆けつけてくれ三ヶ月活動するつもりで来たそうです。 それが三か月を過ぎてもそのまま継続することを選び、ほぼ一年になる最近まで活動してくれていました。 しかし、撤退を決めたそうです。

彼は貯めていた開業資金を使いながら活動し、これまでにかかったお金は600万円程とのこと。 ガソリン代が多い時で月5~6万円だったそうです。  個人ボランティアには何の補助金もないため、全部自分で何とかしながらの活動になる訳です。 

長期になると宿泊代も大変。 車中泊やテントということに。 実際彼も3カ月は車で寝泊まりし、その後は被災した家の二階だったかを借りられてそこで過ごしていたみたいです。 

ボランティアの活動は時間が経ってくるに従ってニーズも変化してくる中、まだまだ必要とされています。 しかし、徐々に減ってきているのは事実。

昨年4月は92,600人、9月は22,000人、そして今年1月が5,100人と報告されています。(宮城)

 

 

 

 

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こんな声。。

2012-03-04 | 東日本大震災 from 仙台

「先を見ようとしても、何も見えず、前へ歩こうとしても、こうして背中を押してもらうことでやっと立っているという状況です。」

『ふれあい喫茶』

「住む場所も、食べる物も、物質的な援助は文句のないほど頂いて感謝しています。

でも、夜一人になった時、どうしようもない絶望に襲われます。

こうやって、ときどきお話を聞いていただけるのが、大きな支えになっているんです。」 

被災者のおばあちゃん

 

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『3.11 その日、石巻で何が起きたのか~6枚の壁新聞』

2012-03-03 | 東日本大震災 from 仙台

全国のみなさん! ぜひ見てください、このドラマ。

リアルな映像が何回も出てくるので、被災地では辛過ぎて見ていられない人もいるかもしれませんね。

今日テレビで事前番組を見ました。 ちょっとしんどかったですけど、わたしは見たいです、このドラマ。 

   みなさんも ぜひぜひ見てください!

     ー特別ドキュメンタリードラマー 

   『3.11 その日、石巻で何が起きたのか~6枚の壁新聞~』 

                  3月6日(火) 21:00~放送 (日本テレビ)

 

          「3.11 その日、石巻で何が起きたのか~6枚の壁新聞~」

 

 

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三月になってしまった

2012-03-02 | 東日本大震災 from 仙台

三月になってしまいました。 あと何日?(去年のあの日まで)・・・   と、心の中で数えている時があります。  3月11日になるのが、ちょっと恐い感じもしています。 

実家から連絡がきました、いよいよ(やっと) 新しい家に住めるようになったらしいです。 予定より三か月遅れ。 それで震災後お世話になった親戚など招いて、ちょっとしたお披露目会をするからって。

3月11日です。

ぺっちゃんこに潰れてしまった昨年3月11日だったけれど、

        

今度は笑顔の3月11日になれそうです。  (実家のことでは)

あの震災から一年。 まだまだ不自由な生活を強いられ、先の見通しも中々見いだせないまま不安な毎日を送られている方たちはたくさんおられます。 

そして大切な人を奪われてしまった方々の心の痛みは、一年経っても癒やされることはないでしょう。 もうすぐ訪れる 『3・11』 をどんな気持ちで迎えるのかと思うと心が痛いです。

そんな感じで、100%喜んでばかりもいられない3・11なのですが、実家の新しい家の完成は嬉しいです。 津波のように全部流されるという被害ではありませんが、全壊はやっぱり相当大変な被害でしたから。 

昨年のあの暑い日も、この冬のマイナス気温の寒い日も、不自由な仮設部屋で

                

一年間頑張り通した両親は色々と苦労も多かったと思います。 心労もあってか救急車で何度も病院に搬送された父。(遠い時で石巻まで)

それに付き添う年老いた母も大変でした。(夜中のこともしばしば)

台所もお風呂も離れた場所だったし、トイレは外なので夜中数回起きる母は難儀なことです。

『鎮魂の3・11』 一周年ということで、気持ち的には色々複雑なものもありますが、この日は両親にご苦労さまと、あったかくて明るい家ができて良かったねと一緒に喜んできたいと思っています。

 

 

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