ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

俺 結婚することにした

2006-08-31 | ● 出逢い・しごと
今日届いた一通のご招待状。
わたしの最初の仕事は、児童施設でした。
彼とはその時からのお付き合いだから、かれこれ20年以上にもなります。
初めての出会いは、わたしが24歳、彼が小学校3年生でした。
それがどうでしょう、もう32歳にもなっていたなんて・・・
とても不思議な感じです。

彼は、とっても小さい頃から施設で暮らしてきました。
両親ともいないので、中学卒業と共に自立。
働きながら夜間高校に通い、自分の生活は自分で築いてきたがんばりやさんです。

彼とはわたしが担当保母だった3年だけのお付き合いでしたが、わたしが仕事をやめてからも遊びに来てくれたり連絡をくれたりして 今に至っています。

泊まりながら遊びに来てくれた時は、決まってお酒を飲みながら何やかやと話をしたものです。
わたしはいつも彼からいろんなことを教えてもらいました。

一所懸命生きている姿、明るさ、人を大事にするところ。
同年代の人たちが分からないような苦労もたくさんあったはずなのに 実にポジティブに生きている。

彼と会った後、うまくは言えませんが、何かの(どこかの)振り出しに戻されたような感じがしたことよくありました。
忘れていたことを また新鮮に自分に問えるというか。

わたしの帰国を待って、明後日またうちに来てくれます。
結婚の報告を聞きながら 久しぶりに飲み会になるでしょう。
親や親戚のいない彼から、結婚式から出席してほしいとご招待されました。
そんな存在に思ってくれていること、ありがたいほどにうれしです。

人と人の関係は “血”のつながりも大事なのかもしれませんが、そういうことはたいした問題ではないのではと彼らとお付き合いをして思うことです。
来月はそんな昔からのメンバーと同窓会のような会がもたれます。
本当は去年だったのをわたしの帰国に合わせてくれたようです。

さてと、結婚式。
娘に言われました。
「おかあさん! 結婚式に行って○ちゃんに恥じかかせないでよ!」
そうですね、きちんとして行かないと・・・
お相手側のご親戚は結構参列されるらしく。

何着ていこうかな・・・
チャイナドレス買ってくればよかったかしら、と思ってみたり。
でも、そんなの着て出席などしたものなら、目立ちすぎて・・・

どんなもんでしょう。


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ダヂヅデデドックス

2006-08-30 | 2006年 2007年
「だからぁ~! 
 ダ!ヂ!ヅ!デ! デドックス!!  だってばッ!!」

解毒・・・ で ゲドックス?
とばっかり思っていた 岩盤浴。  デドックスだったとは。

今日初体験してきました。
そのせいか(成果?)、今日は半日だるくて仕方ありませんでした。
効き過ぎたのかな?

サウナのようにモヤモヤと暑い中で、
石の上に寝転びながら 焼き魚を焼くみたいに表になったり裏になったり・・・

うつ伏せ5分仰向け10分そして休憩10分、
これを三回繰り返すらしく。
でもわたしは二回でお手上げでした。
温泉に行っても湯あたりするほうで、
一日一回入ればいいわたしは、耐えられません あのモヤモヤ。
具合悪くなりそうだからと サウナだっていったことありません。

「スッキリしに行ったのに、なにゲッソリしてんの!?」
行き慣れている娘の わたしを見た感想。
とにかく一回目は疲れるのが一般的だそうなのです。

今日は二度と行かないと思ったけれど、
週一くらいで通ってみてもいい気がしてきた、
今ころです。



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「主婦?日記」 餃子の巻

2006-08-29 | 2006年 2007年
今夜は家族のリクエストにお応えして 餃子を作りました!

      

われながら美味しかったと思うんですよ。 
味はね。

ただ焼き方に問題あったらしく・・・

焼く音を聞いていたダンナ、「その音、焦げてないかぁ~?」。
「ほらな、やっぱり焦げてるだろ」 って言いながら、
こうやって焼くんだよ餃子は・・・ と 講習始まりました。

食べ比べたら、確かに同じものでも
ジューシー感が残っていて ダンナの方が美味しいというか。
左側夫作、右側わたし作。

       

「俺は作ったことないけど店で焼く時の音聞いてりゃ大体わかるだろ、
 “火加減” ってもんが。」

ほう。 

「でも、形は芸術的だよなぁ。  俺にはできないよ。」
ほめられたような・・・  慰められたような・・・



こちらの写真は、ご飯をころっとのせてある うちの庭の餌台です。

    

すずめが来る前に さっき降った大雨でご飯ふくらんで 増えちゃいました!!
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帰国物語 超過料金900元!

2006-08-28 | ★大連留学日記(2005年~06年)
帰国当日は、朝から驚くほど順調に進んでいきました。

何が起きるかわからないしと、余裕を持って空港に向かったら
何も起きず余裕ありすぎって感じ。
チェックインするにも早過ぎて、1時間以上待つほどでしたから。

チェックイン開始の時は、当然わたしが一番でした♪
だがしかしです。
何事もなかったのは、ここまで・・・
預け荷物を量った瞬間、最大のピンチ到来  

 「15㎏オーバーです。 5kはサービスします。
  10㎏の超過料金は900元になります。  」 (きっぱり口調)

   「 ・・・・・・ 」  

手持ちのお金 全部で430元ちょっと。

「 900元なんて 持ってません わたし・・・・ 」
「 900元です 」 (頑としてきっぱり!)

「 ・・・・・・ 」
「荷物降ろしてください 」 (次の人が並んでいるので)

「 ・・・・・・ 」

いよいよ、ホントに “泣きを入れる” 瞬間が来てしまったのです。
前から田○さんと冗談では言ってたけれど・・・
若い子なら 「そんなお金ないですう・・・   どうしょう・・・」 なんて
泣き入れても しょうがないなぁ~ ってこともありそうだけれど、
わたしたちが泣いてもねえ~、と笑って話してたけど・・・  

わたしの身の上に ホントに降りかかってしまったのです、その一大事が


財布はおろかATMで下ろそうにも もう全然おろせないようになっているし。
... 「怎 me ban  」


しかし、あれこれ考えても仕方ない。  ないものは ないのだから。
とにかく強行突破! するくらいの覚悟で再度並びました、またまた同じ列

超過料金を請求されそうだとは思っていたものの、
900元とは恐れ入りました。
1㎏のオーバー代が 90元だそうです。
10㎏オーバーだから900元、間違いのない計算だけど・・
高すぎる


また行っても同じでした。
「10㎏オーバーで900元です 」 って あのキッパリお姉さん・・

いよいよ 泣きの瞬間が・・!?
「実は去年から留学してて これから帰国するところなんですけど・・ 云々カンヌン・・」

すると、「留学?」 って、そこに 反応あり! 
そして何か証明するものありますかと言うので、Xビザじゃ証明になりませんか?
と言ってみました。
でも だめでした。

       そうだ 学生証


もう学生証 様様
見事、一元も払わないで荷物を預けることができました!

留学生は30㎏まで無料とのこと。
学生用のチケットじゃないとそれが適用されないと聞いていたので、
わたしの場合そうではないから 普通に20キロと思っていましたが、大丈夫でした。
ただし、証明できるものがないと ダメ。

わたしの学生証は 26日まで有効になっていました。
その最後の26日に 大活躍してくれたというわけです。
もしお金を持っていたら そんなことも知らないで
たぶん900元払っていたことでしょう。

やったあ~ の気持ちいっぱいになり、
空港のバカ高いお店で 自分のものひとつ買っちゃいました♪


そんな冷や汗ものの体験を済ませ、窓の外に目をやると
いつの間にか 雨・・・
結局 天候不順ということで、飛行機の中に1時間半足止め。

ほとんど日本人ばかりの機内で なんか妙な圧迫感を感じながら
飛び上がるを待っていました。



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帰国物語 出発の朝

2006-08-27 | ★大連留学日記(2005年~06年)
ただ今一年ぶりに日本の自宅パソコンで書き込んでいます。  
わたしがいないうちにすっかりリニューアルされ、以前より速くて軽い!

さて、昨日の帰国物語をば。

昨日は朝5時に起きて、まずはコーヒーをいれ少し体を慣らしてから
最後の片付けを済ませました。

飛ぶ鳥跡を濁さず・・・  
一年間お世話になったわたしの部屋だから綺麗にして去りたいと思いました。

一段落したところで、バナナとぶどうを・・ 
これは一昨日、わたしの隣の部屋だった韓国人のヨンジュウが 差し入れしてくれたもの。
「 あした出発早いから 朝ごはん食べれないでしょ。 これ食べていってね。 」 って。
とっても うれしかった♪  


そしてそれから・・・

トイレ行って出ようとドアを開けたら 目の前にでっかいナスジャ(ロシア人)がいるではないですか!
お別れに来てくれたのでした。  朝6時です。

彼女はすでに寮を出て 外のアパートで一人暮らしをしています。
「うわあ~! ナスジャ~!」 と、言った先から もうウルウルの開始。
寝起き顔の彼女のお見送り、うれしかったです♪ 

またまたそして・・・
二人で少し話しているところに 田○さんが来てくれました。

でっかいスーツケースをナスジャが。
小さいスーツケースを田○さんが下まで運んでくれて二人とお別れ。

田○さんとは少し時間が競っていたので、「帰ったらメールするね!」 と
ちょっとバタバタのお別れになってしまいました。
でも、これまで一年の間に いろいろお話したもんね。
最後の日が心残りだった・・・    そんな思いは全然ありません。  

  
     

こうして6時半過ぎに 大外の門を後にしました。
手を振ってくれているみんなが 少しづつ小さくなっていった・・・

   ホントにみんなありがとう   でした。





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ただいま!

2006-08-26 | 2006年 2007年
         


玄関を開けたとたん びっくり!
我が家は、、、  カビカビランドと化していた・・・



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本日

2006-08-26 | ★大連留学日記(2005年~06年)
    帰国 

    雨の大連空港 .....

   

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Dalian, the last day ~

2006-08-25 | ★大連留学日記(2005年~06年)
 

    


今夜は、「戯曲民俗音楽会」 に参加してきました。
最後の晩を飾るに相応しい とても素敵な音楽会でした。

中でも素晴らしかった一曲に わたしは涙が溢れてしまいました。
こころが揺さぶられる程の感動があったのです。
こんな終の晩を過ごせたこと、本当によかった。

出演者の中に 小学生が一人混じっていました。
京劇の演目をご披露してくれたのですが、 小さいはずの彼の身体・存在が
歌い上げるほどに どんどん大きく見えてくるのです。
とても素晴らしかったです。
自分の名前を “高倉健” と紹介したりして、 ちょっとお茶目なところもある彼でした。
たぶん 映画 「単騎、千里を走る。」 観てるんじゃないかな。


日中は用事を済ませた後、青泥広場を少し散歩してみました。
今日の大連、いい風が吹いていてさわやかな感じさえする 秋の日。
そしてアカシアの木の下には この夏で一生を終えた蝉が落ちていました。


さてと、これから田○さんと約束が・・・
大連からの書き込みは、これが最後です。
あとは日本に帰ってからゆっくりと。  




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残すところ あと1日

2006-08-24 | ★大連留学日記(2005年~06年)
大連での生活も 残すところ明日のみとなりました。
明後日早く 宿舎を発ちます。

ちょうど今、田○さん、そして寮でご近所の韓国人のヨンジュウと
最後の晩餐してきたばかりです。

何でしょうね、この感覚。
前までは多分帰国寸前の日々は、もう涙、涙かもねと田○さんと話していたのに、二人してさばさばしているというか。
とにかくここ数日 二人とも帰国準備に追われそんな気分を味わっている場合でないという感じなのだと思います。

考えてみると、6月から何人もの友人をお見送りし 
そのたびに グッ!ときたり しみじみ.... きたりしてたのに、
自分の番が来たら こんな感じなのですね。
わかりました。

一応予定通り準備も進み、最後の明日はそう慌てないですみそうです。
こんなことは わたしにしてはとても珍しいこと。
間際までバタバタしているのが 常でしたから。

今晩はもう少し荷物の整理をし、明日 残りの荷物をもう一度送りに行き
部屋の掃除をしたら 大体OK ・・・ の予定。


最後の晩は 音楽会に行くことにしました。
中山広場近くの劇場で開かれる音楽会です。
どっぷり生の中国音楽に浸ってきます。

今日チケット買ってきました。
一番いい席が50元でした。
最後の最後まで使ちゃいました♪  学生証
そのおかげで半額になり25元。

帰りは 中山広場あたりを少しふらふらしながら帰ってこようかな。
大連ラストの日は そんな感じになる予定です。



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チョウさんラヨウさん お別れに来てくれました。

2006-08-24 | ★大連留学日記(2005年~06年)



のり巻き

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