殆どの人は、健康に不安がなく元気に暮らしている時には、あたかも自分が永遠に生きられるかのように過ごします。 十年先二十年先のことを当然のように考え、予想して生きています。
がんを経験すると、このような考えが幻想に過ぎないことに気づかされます。 がんが進行している場合には、それは切羽つまったものですが、たとえがんを取り除くことが出来た場合でも、再発の確立から逃れることはできません。
自らの命が限られたものだということが現実問題になったとき、人は今を生きていることが当然のことではないことを悟ります。 当たり前のように思っていたことが、実は当たり前のことではないことに気づきます。 今を生きていることは、奇跡とおいえることなのです。
・・・・・ がんを経験して、私はより近く死を意識するようになりました。 あるときには、それは不安や恐怖という姿になりましたし、また別のときには、運命や宿命といった姿をとりました。 死を意識したことの最も大きな収穫は、今を生きることの大切さを実感したことでした。
ジュンコさんはごく平凡な女性でしたが、運命を受け入れ、残された人生を楽しむ強い意志を持った素晴らしい患者さんでした。
『緩和ケア医が見つめた「いのち」の物語』 堀 泰祐 滋賀県成人病センター緩和ケア科長
シコリが見つかって手術や薬の治療を完了し、数か月を過ぎるとがんに対する不安な気持ちからだんだん解放されます。 しかし、今度は、いつまた再発するのか、という可惜な不安が頭をもたげてきます。 これはみなさん、だれでもそういう気持ちになるんです。
でも、現在では医学的に過剰な検査は意味がない、という結論が出ています。 もし近い将来、乳がんが肺に転移して再発する運命だとします。 そこで、こまめな肺の写真を撮影したり、半年ごとにCTの検査をしていれば、数ミリの肺の転移が見つかることになります。
ここで、乳がんの性質を思い出してみてください。 肺の転移は最初の手術の時点で、画像では見えなくてもすでにあったのかもしれないわけです。 でも、早く肺の転移が見つかれば治るのでしょうか? 残念ながら、薬物療法に抵抗して増殖したがんですから、治ることはありません。 いずれ全身に進行していかざるを得ません。 残念ですが、止めようもないことなのです。
最初の治療から死亡までの期間はほぼ同じということ・・・・
こまめに検査をしていれば、最初の乳がんの治療から肺の転移が発見されるまでの期間は短くなり、再発の診断から死亡までの期間は長くなることになります。 しかしながら、咳や息苦しさから検査すれば、最初の乳がんの治療から肺の転移の発見までの時間は遅くなりますが、再発の診断から死亡までの期間が短くなります。
これはつまり、どちらも乳がんの最初の治療(初期治療)から死亡までの期間はほぼ同じということなのです。
ですから、医学的に正しい経過観察というのは、何か症状があれば検査をしてみて、異常があるかないか確認する、という対処の仕方で間にあわないことはない、遅れることは決してないのです。 こまめな検査で安心を買ったつもりでも、実はいつも不安を抱えて生活するより、再発のことを気にせず治ったつもりでいた方が毎日が楽しいのではないでしょうか。 今日を自分らしく生きる方がはるかに充実した人生になるはずです。
浸潤性乳がんは早期であれ、晩期であれ、転移した時点から、完治するということはほとんどありません。 がんを慢性疾患ととらえ、自分自身と向き合うつもりでがんとの共存をはかっていくことが大事でしょう。
がんの告知は、この人生に限りがあるということですが、がんにならなくても、人の生には限りはあるものです。 私たちは健康なうちはそのことに気づこうとしませんが、がんは<自分という持ち時間のかけがえなさ>に気づかせてくれる病気でもあります。
『がん 予防・治療・再発防止がよくわかる本』 井本 滋 著 (土屋書店)