ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

昼ご飯

2020-04-30 | 2020年

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何日で何曜日なのか… わからなくなる

2020-04-29 | 2020年

今日は過ごしやすく穏やかな日だった。

食事作りが面倒でしょうがない。

でもちょっと発想変えてみたら、案外楽しかったりするものだなぁって。

アートと思えば楽しい気がしてくる。

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東京へ送った

2020-04-29 | 2020年

東京の病院で検査技師をしている義妹。

医療現場は本当に大変なそう。

「今日は大丈夫だった。でも明日どうなるかわからない。」その連続だと電話で話していた。

先日マスクを送った。仕事では使えないと思うけれど、通勤やプライベートタイムには使うはずと。

病院では検査技師は3日に一枚のマスク、事務職などは1週間に一枚のマスクとのこと。

洗って使うのは NG。内側にガーゼをはさみそれを毎日変えて使う。

 

なんか出来るかなぁ… と考えていた。 そして蒲鉾を送った。

食事の用意するの嫌なほど疲れた日でも、一枚摘めばなんとかなるだろうと。

蒲鉾屋さんの支援にもつながる。多少なりとも。

今大事なのは、勿論、必要な物資やそれぞれ専門の人手。

そしてそれと同じくらい大切なのが、誰かが自分を気にかけてくれている、応援してくれているという気持ちではないかと思う。

わたしならそうだ。 その支えや励ましを感じられた時、もう少し頑張ってみよう!と思う。

中々未来は見えない。 

でも必ずなんとかなる日はくる。

 

 

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はて? 持病 基礎疾患

2020-04-26 | 【 乳がん 】

基本的なことになるけれど、はて?

わたしの持病はがん?

わたしの基礎疾患はがん?

どっちの言い方も当たってない?

よく分からない……

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人の一生には

2020-04-22 | 2020年

色々なんだよ。

色々あるんだよ。

そんなこと思ってなくたって、そうなってしまったり

こうしたいのに、全然ダメだ!とか

仕方ないんだよ。

そういうもんなんだよ。

受け止め切ったその後で どうするかで決まるんだ。

さて、どうする わたし?って

言ってみたらどうでもいい話し。

どうにでもなる 自由なんだから。

フランクルが言っている

「あらゆるものを奪われた人間に許されるたった一つのもの。

それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、

自分のあり方を決める自由である。」って。

 

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たっぷり時間はある

2020-04-21 | 2020年

レモンバームが綺麗な緑色をしていた。

ハーブティー🌿でも飲んでみるか、明日あたり。

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声が段々小さくなって、出にくくなって、、 Stay home.

2020-04-21 | 2020年

増やしたいなぁと思って、小さな株?を小分けに植えてみたらイキイキとしてきた。

人間の世界がどうであれ、植物はマイペース。

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colorful

2020-04-20 | 2020年

カラフルな考え方 

できていないのかもしれない

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cute

2020-04-20 | 2020年

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今にいきているあの時の想い

2020-04-20 | ひきだし

12年前に書いたことが見つかった。。 「生きてれば」

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知り合いが三月いっぱいで仕事をやめることになった。
病気が、思うように良くならなかったらしい。
こころの病は、厄介だ。 
ゆっくり たっぷり 時間が必要。
良くなったみたいだからと、中途半端にまた無理すればぶり返しがくる。

エネルギーが切れたのなら、エネルギーがたまるまでゆっくり休めばいいよ。
自分を大事に。
充電できたら、また新しい生活だって、やりたいことだって、できるんだもの。
わたし自身、自分も通ってきた道だから これはちょっと自信を持って言えること。


ある日ふと聴こえてきた 槇原敬之の 「どんなときも。」
    どんなときもどんなときも 僕が僕らしくあるために
    「好きなものは好き!」 と言えるきもち 抱きしめてたい
    どんなときもどんなときも 迷い探し続ける日々が
    答えになること 僕は知ってるから

「好きなものは好き!」 と言えるきもち・・・     大事なんだね。


今から六年程前までのわたしは、少し人生を前のめり気味に生きていた。
あの時、病気(うつ病)にならなかったら、
そのまま つっぱしり人生を走り続けていたかもしれない。
いや、どこかでやっぱり 破綻しただろう。

病気は、、無理しすぎず 自分の気持(心からの声)に正直に 肩の力を抜いて、
もっと楽に生きられる生き方をアドバイスしてくれた。

伸ばしても 縮む余裕があることの大切さ。
引っ張りすぎれば 縮まなくなる。
それをそのまま引っ張り続けたら 終いには切れるだけのゴム紐のよう。

病気はまたわたしに 休息と今までの自分を深く振り返る機会をくれた。
こう思えるのも、あの凄くしんどかった時期が もうすっかり過去のものになったからだろう。


辛い日々を じっと縮こまってやり過ごしていた頃に読んだ本の中の 一冊に
(『不完全でいいじゃないか!』 伊波真理雄・石村博子共著 講談社)。
その中のこんな言葉が心をとらえた。   わたしもそうじゃないかって。

 「 わたしが成長過程で学ばなければいけないのは、次の三つのことだけです。
    (自分が) 好きなもの、嫌いなもの   
    (自分にとって) 意味があるもの、ないもの    
    (自分に) できること、できないこと                  」

“できない” と 認めたり 割り切ったりすることが わたしには結構難しいことだった。
“やればできるかも” と思ったり、やら “ねばならぬ” と 自分を追い込んだり・・
そんな状況でやってみたら、できることも結構あるものだった。
しかしできたと言っても、そうするためには100%以上の力を絶え間なく
注いでいないといけなかった気がする。

通院した時、ドクターにいわれた最初の言葉。 
「あなたの病気は、がんばり病です。 もうがんばらなくていいんですよ。」 
すごくほっとして、すごく楽になれた気がした。
また、「休む事は、サボる事ではないんですよ。
サボると言うと、何か後ろめたい気持ちが出てきて、また辛くなるでしょう。」 って。

そしてわたしも言われた。 
「あなたは今、エネルギーが切れた状態なのだから、エネルギーがたまるまで、
ゆっくり休めばいいんです。 自分を大事にしてくださいね。」 と。

自分を大事にする?    改めて考えた。  
そして、「随分がんばってきたよね、わたし!」 と、こころの傷にも手を当てながら
自分を純粋に誉めた。

病気がマイナスかプラスかと言えば、マイナスなのかもしれない。 
でも、考えようによっては とても大事な気付きをプレゼントしてくれることがある。
どんな病気もそうじゃないだろうか。
病気になると “何気ない普通の生活” がどれ程最高に幸せかということも見えてくる。

 たとえば、、朝起きれること・・
 たとえば、、夜布団に入ったらそのままゆっくり眠れること・・
 食べれることも そう。
こんなことが当たり前にできるということが、本当は すごく幸せ なんだってこと。

    自分の人生 大事にね。
    新しいスタートは、いつからだって始められるよ。 

ひとつの決断をした彼女に、こんな言葉をおくりたいと思っている。

 

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