ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

神戸の子どもたちが歌う東北へのメッセージソング

2011-10-31 | 東日本大震災 from 仙台

阪神・淡路大震災が起きた1995年に、臼井さんという小学校の先生が神戸の街がよみがえることを願って作った歌だそうです。 

 ♪ 「しあわせ運べるように」    さっき偶然、テレビで知りました。   いい歌ですね。

こちらは神戸の子どもたちが、「神戸」 を 「東北」 に変えて一生懸命 歌ってくれています。

 

昨日ニュースで雪のニューヨークが映されていました。 

その雪のちらつく映像に、あの三月が蘇ってしまいました。

大地震の後、雪まで降ってきて、とても寒かったこと・・・  

雪の中、かじかむ手に息を吹きかけながら、買い出しの列に何時間も並んでいたこと・・・

なんか不思議でしたが、七か月が数日に短縮され逆もどりしたみたいな感覚です。  

今日職場の人も言っていました、「あの時、こんな服着てたよね。」 って。 

いつもなら、「だんだん冬に近づいてきたなぁ・・   」 なんて を思うのに、今年は 「あの時は・・ 」 と遠くのような近くのような 過去 に、ふと引き戻される不思議な年です。

いや、不思議ではなく、それ程の事 が起きた年だったんですね。 

 

 

コメント

エネルギー不足?

2011-10-26 | 東日本大震災 from 仙台

書き込みにはエネルギーが必要だ。

ちょっとエネルギー不足で、中々頭の中を文書化できないでいる。

更にPCも不調ときた・・   

やれやれ。。

 

三月の地震で痛んだ屋根の修理で、職人さんが来てくれていた。

七か月経ってやっとうちの番に。   三日目の今日で終了。

職人さんはなにわナンバーのトラックに乗った大阪の瓦屋さんだ。 

最近こちらに来て年末まで、あちこちの屋根を直してくれるそう。  随分忙しいらしい。

玄関のポーチ柱は、緊急に直してくれるような話だったけど未だ大工さんは来ていない。

家の中のリフォームなんて、この調子じゃたぶん来年だな。

でも、うちより仮設住宅の防寒対策、緊急に何とかしてもらわないとね。

あしたも冷え込み厳しくなりそう。

 

 

 

コメント

只今 京都どす

2011-10-21 | 2010年 2011年

昨日フェリーで仙台を発ち、名古屋、彦根経由で只今京都です。

明日は一日京都をまわり、明後日仙台に帰るという、今回はちょっと強行スケジュールの旅になってます。

さっきまで彦根で、本場中国家庭料理(朝鮮族風)をたらふくいただいてきました。

お腹ぱんぱんです。 

二年前、中国延吉でお世話になったSさんのご両親が日本にいらしゃっています。

あの時は本当にお世話になりました。

もし日本に来ることがあったら、一緒にいろんなところに行きましょうねと、わたしは言いました。

わたしの中の約束を果たす時です。 

今夜はお会いできて、とても嬉しかったです。 

独学で頑張っているお父さんの日本語は、上達していました。 努力家のお父さん。

Sさんはそういうところ、お父さんに似たのでしょう。

さて、明日は案内役十分果たせるでしょうか。  ちょっと心配。。 

昨日今日と、相当どじ踏んでるもんで・・・   

こんなんだっけ わたしって!?    という事件が起きるは起きるは。。  

こんなんだったんだ・・・ わたし、 と捉えなおさないといけないな。 

旅のことは帰ってから書くとして、明日はSさんご一家に楽しんでもらえるよう がんばろ! 

       『延吉の旅』

 

 

コメント

南三陸町志津川へ 3

2011-10-17 | 東日本大震災 from 仙台

70センチくらいの地盤沈下の為、海面が陸地の高さを越してきました。  

朝到着した時はまだ海の方が低かったのですが、昼近くにはもうこんな感じ。 

    

    

海が広がってきたみたいです。

    

 

京都から駆けつけた高校生のボランティア三人組! 

        

今回の企画をお母さんから聞いたひとりの子が自分のブログに 「オレ、行ってくる!」 と書いたら、俺も行きたい、俺も行く! と友だち二人も参加することになったのだそう。

陽気な三人組。 仕事もきっちりがんばってました。

お昼に近くだったので、ちょっと話してみると・・・  「来てみてどうだった?」

「(感想)話したくないです(話せない)・・  めっちゃテンション下がって、何にも話さなくなっただろ オレ。(友だちに向かって)」 来る途中、バスの車窓から被災地の実態を目の当たりにした彼らの素直な言葉。

やはりテレビで見るのとでは、相当違うという感想をもったようです。 

来てくれてありがとう! と、思いました。

今でも、まだたくさんのボランティアさんが被災地に入りいろいろな方面からお手伝いしてくださっています。

ただ、段々人数は減ってきているとのこと。 今まで三ケタだった人数も今月に入り、随分減り100人を切る日が出たとテレビで見ました。

ボランティアも時間の経過に伴い、必要とされる内容に変化もでてきていますが、まだまだたくさんの力が必要なのは実態としてあります。

 

こんなテントがありました。  地震の後早々、中国から届いたものだそうです。

テントの中には寝袋もセットになっていたとのこと。  世界からの支援を実感した思いでした。

     

 

一カ月遅れくらいで例年の8割くらいのわかめが採れそうだと漁協の方が笑顔で話していました。

また、芽を出したわかめを見てから、みんな(漁師さんたち) の目が変ってきたとも。

とうとうまた三陸産のめかぶも食べれそうです。   すごくうれしいです。

 

しんどすぎるくらいしんどかったあの頃・・・   この現実

「今日」 は今日のままではないんだなって。 

「明日」 の繰り返しの中で、前にも進んでいけるってこと。

 

 

 

コメント

南三陸町志津川へ 2

2011-10-14 | 東日本大震災 from 仙台

丁度一週間前のことになりましたが、ボランティアに行ってきたことの続きを。

わたしたちの仕事は、養殖いかだのおもり作りでした。  いかだの下でわかめを育てるそうです。 いかだだけでは波に流される為、砂利を詰めた袋をいくつもぶら下げ、おもりにしなければならないとのこと。

一袋大体60Kくらいになります。 京都からのボラさんとむすめ  それにわたしも加わり、うちのチームは三人でがんばりました。 

    

一日で1200袋完成です!   人数は50人くらいだったと思います。

漁協の方の話では、漁協メンバー総出で機械を使い丸二日かかる仕事量だったそうです。

とても喜んでいただけました。  わたしたちも嬉しかったです。 

    

 出来たおもりを早速船に積み、運んでいきました。

   

   

 こちらは、銀鮭を養殖するいけす。  網を張って海に沈め、この中で鮭を育てるのだそうです。

初めて見るものばかりでした。 

   

 

 

 

コメント

ちょっとした旅感覚?

2011-10-13 | 2010年 2011年

二泊三日で実家に帰ってきました。 いつもは誰かの運転で車で行くのですが、今回初めてバス乗り継ぎで行ってみました。

うちを出て実家に着くまで4時間!   車で行く時の約3倍くらいでしょうか。

高速バスで1時間半、市民バスで40分。 このバスは停留所以外でも停まってくれる長閑なバス。 

車内アナウス 「次は○▲*・・」   一度お客さんを降ろした後も 「次は○▲*・・」   更にもう一回停まった後も 「次は○▲*・・」 

『○▲*』 という停留所に着く前に、降りたい人がいる所で特別に停まってくれたのでした。  

とにかく大周りも大周り、、 ちょっとした田舎の旅でもしているような気分でした。

 

バスを降りてからは、この道をまっすぐにのんびり のんびり。

ヒッチハイクも出来ない程、車はこないし、ましてや歩いている人なんて誰もいないし

30分くらい歩いたかなぁ。    こういうのも意外と好きなんです。

  

横向けば、こうだし。  

秋ならではの、ちょっとかさかさした香りがしてました。  

  

 

全壊した後、新築予定の実家は当初の予定が大幅に遅れているようです。

11月15日くらいの引き渡しだったそうですが、今だに基礎工事もされてませんでした。

そろそろ寒くなってきているし、今年中に完成させてもらえるのか、なんか危ない感じです。

    

今回は父の検査付き添いの用事もあって帰省したのですが、前回の続きで庭の笹を抜いたり草取りをしたりしてきました。 

来年の春、きれいな庭が眺められたらいいナと思って。

 

 

コメント

南三陸町志津川へ 1

2011-10-10 | 東日本大震災 from 仙台

土曜日、南三陸の志津川にボランティアに行ってきました。 

朝7時過ぎに出て、震災後初めて訪れる南三陸。

途中、津山のもくもくハウスでトイレ休憩。 木の香りたっぷりでなんかほっとする建物でした。

     

通路は木くずが敷き詰められていて、ふわふわ!  とても優しい感じのする道です。

                 

 

志津川出身のうちの園長が言ってたとおり、ほんと何もなくなってしまったという志津川の中心街を通り、浜の方に向かいました。 

牡蠣の作業所だったところです。 

     

外側は辛うじて残こっているものの中は空っぽ・・     いづれ壊すそうです。

     

裏の海側から見ると・・  瓦礫も積み上げられていました。 瓦礫の向こうはすぐ海。

     

あの日、あんなに荒れ狂った海と同じ海だなんて、とても思えません。

     

               

浜では重しづくりの真っ最中。  わたちたちの仕事もこれを作ることでした。

     

 

 

コメント

明日は南三陸町でボランティア

2011-10-07 | 東日本大震災 from 仙台

やっと南三陸に行ける日が来ました。  

養殖いかだの重し作りボランティアです。

ずっと行きたいと思っていながら行けずにいた南三陸。

砂利を袋に詰めて重しにする作業らしいのですが、微力ながらお手伝いしてきます。 

今回はむすめも一緒に参加。 

                     

むすめはボランティア初めてだし、津波で大きな被害にあった被災地を訪れるのも初めてです。

運動部で鍛えた体力あるので、がんばってくれるでしょう。  

 

明日は、夜行バスで京都からかけつけてくれるみなさんと御一緒します。

地元のものとして、がんばろうと思います。 

 

 

コメント

待ってました! 新米

2011-10-06 | 2010年 2011年

毎年楽しみにしている新米の季節が来ました。 今日から販売開始です。 

心配だった米の放射性物質汚染問題も大丈夫でした!   

宮城は昔からの米どころ、ホントに美味しいんです。  これ自慢!

今年も普通に新米が食べられること、すごくうれしいし、ほっとしました。  

特に新米の美味しさと言ったらおかず要らずと言ってもいい程だと、わたしは思っています。

毎年店頭に並び始めるとすぐに買ってきて、「今年の出来栄えは?  ちょっと香りが・・  甘みはどうだろ・・   」 などとひとりで品評したり。 

何よりホッとし喜んでいるのは、早春の頃から準備を始め手塩にかけて育ててきた生産者のみなさんだと思います。

もし販売できなくなれば収入源は明らかで、生活を脅かされる事態もあきらかですから。

今日は買っただけでまだ食べてません。 明後日の朝くらいから食べれるかな。 

       

 

 

コメント

「明華園」 の台湾オペラ

2011-10-02 | 東日本大震災 from 仙台

今日は夫と娘と三人で、台湾オペラを観てきました。

台湾オペラと呼ばれる「歌仔戯(ゴアヒ)」の伝統劇団、明華園が東日本大震災の被災地を励まそうとチャリーティ公演に来てくれたもので、仙台と福島で行われました。

「明華園」の陳団長によると、団員さんが1カ月前に会場を探しに仙台を訪れた際、震災の被害で使えるところが見つからなくて苦労したとのこと。

そうなんです、地震で市民会館も旧県民会館もイズミティも使えなくなったので、今は以前に増して電力ホールがよく使われています。 ただ大会場と違いキャパやステージの広さなどの点で公演内容も制約がかかるようです。 今日の公演も、台湾公演の10分の1の規模だと話されてました。  そうとはいえとても楽しかったし素晴らしかったです。  台湾公演のビデオも少し見せてもらいましたが、それはそれはダイナミックで豪華でとにかく凄い!! って感じ。  いつかむこうで観たいものだなって。 

今回の公演に向けて「明華園」は、2年前から予約が入っていた舞台をすべてキャンセルし、航空券を含む交通費は外交部の、その他の費用は劇団の負担で準備を進めてきたそうです。

そして9月28日に福島で公演、その後台湾にとんぼ返りして台湾のスケジュールをこなし、昨日仙台に到着、、 というとても忙しいスケジュールで公演してくれました。

元気だしてね! がんばってね! の本気の応援に心から ありがとう! です。

台湾は震災直後から募金活動を展開してくれ、2300万人の人口なのに日本への義援金は既に200億円を突破しているとのこと。 親日家が多いと聞いたことがあるけれど、台湾のみなさんの誠意に、いつかお邪魔することがあったらお礼を絶対言ってこないと。 

今日の仙台公演は二回です。 わたしたちが行った回は1000人の席が満席でした。 いろんな形で応援頂いていることに感謝です。  夜はEXILEの 『南三陸町復興音楽祭』 のテレビ観ました。 見ていて何回も涙です。 参加していた人たちのすごくいい笑顔が印象的、そして涙も心に残ります。  

 ありがとう! EXILE!

 

ちなみに。。。

仙台市民会館... 2011年9月28
日(水)より全施設の貸出し再開

イズミティ21... 12月10日(土)より大ホールと小ホールの利用再開

東京エレクトロンホール宮城 (旧:宮城県民会館)... 再開の目途たっていない

 

コメント