今日で今年度も終了だ。
と言っても仕事している訳でもないから、
一年の三番目の月が終わったって感じかな。
一般的な節目。
その人にとっての大事な節目や何かの節目。
いろんな節目・・・
今日で今年度も終了だ。
と言っても仕事している訳でもないから、
一年の三番目の月が終わったって感じかな。
一般的な節目。
その人にとっての大事な節目や何かの節目。
いろんな節目・・・
娘が。。
「夫人ずき だと思ってたぁ、夫人づき だったんだね。」
このところテレビから聞こえてくる、 「夫人付き」 の言葉。
耳から入ってくるこの言葉を娘はてっきり「夫人好き」と思っていたらしく。
”夫人好き、夫人好きって、どんだけ夫人のこと好きな人なんだろう。”
と、つい最近まで思っていたそう。
ず と づ では大違い。
それで思い出した、息子が小さい頃のこと。
あの当時、汚職事件のニュースが毎日流れていた。
「お食事券じゃないの?」
なるほど、おしょくじけん だ、と笑えない事件だけれど大笑いしたことを思い出した。
今回もちょっと笑えたけど、全然笑える話じゃない。
まじめにしっかり仕事した方があまりにお気の毒だ。
友人のブログに、こんなことが書いてあった。
ある精神科医に聞いた言葉だそう。
それは彼自身のソーシャルワーカーとして留意しているスタンスに、
ピッタリ重なるとのことだった。
“目の前の一つひとつのケースを大切にしていくことから、すべて始まる”
というスタンス。
何よりも、自分の直面する目の前の一人ひとりと真摯に対峙することが大事だし、
そこから始まるというもの。
わたしもそのスタンスにうなずけた。
人生には三つのものがあればいい 希望 と 勇気 と サムマネー
「できるか できないか」 ではないんだ 「望むか 望まないか」 なんだ
人生に失敗がないと 人生を失敗する
乳がんと確定してから、ある時期、欲しいものがなくなった。
オシャレな服を買おうとか、靴を買おうとか、、 要らない。
それより、持っているものをサクサクと処分にかかった。
入院中、同室の方も同じこと言っていた。
その方は人に教えるくらい編み物が上手で、セーターやらカーディガンやらたくさん持っていたそう。
でももう着ることもないだろうし、もらってくれる人もないだろうと、随分捨てたって。
時間が経って今思えば、「残しておけばよかったわ。」と言っていたのも思い出す。
心の心境は、このように流れていくのかもしれない。
欲望消失!の前、がんとわかってすぐくらいは逆で、色々欲しくなった。
美しいもの、きれいなもの、可愛いもの、素敵なもの 気にいったもの
一番近くでいっつも一緒で、一向に離れてくれないわたしの家族?分身?
別の名を乳がん!
大変化が勃発し、戸惑いと疲弊した精神、その均衡を保つかのよう。
無駄遣いだとか贅沢だとか、ではなく絶対的必需品!だった。
5年も飲み続ける薬。 小銭いれだと思う、わたしは薬入れにした。
白い薬袋から毎日飲むより、気に入ったものから出して飲みたい。 気分が違う!
5年もなんだから・・
入院の時持って行った小物入れ。
実物はもっと素敵にエレガント
さて、現在は・・・
物欲は完全にしっかりと戻った。
一斉に!
一斉にだ! 何事が起きたのか!?
何千匹ものねずみが天井板一枚の上を、右往左往の猛ダッシュで駆け廻っている。
少し近いといえば、そんな感じだろうか。
まるで何々のよう、とか、こんな感じだ、とか。
本当は何に例えても当たらない。
例えようがないのだ。
あえて言うなら、なんだろう・・・ ?
次元が違う恐怖。
生まれて初めての体感だった。
だから、どう表せばいいのかわからなかった。
ザワザワザワ!!!!!! と体中に駆け巡ったものの正体は・・。
当たっていようがいまいが、感覚として一番ピタッときたのが、次元 が違う!という言葉だった。
術前説明にはなかった事実。 手術して分かったこと。
わたしの乳がんはリンパ節に転移していた。
あれは、Dr:Gにそのことの説明を受けた夜のことだった。
わたしの人生には終わりがある・・
死が最も現実的に、あらゆる方向から急激に、または、じりじりと迫ってきた夜だった。
がんがわかって考えたこと、わたしは凛としていたかった。
その思いは一挙に打ち消され、自分が一旦砕けていく気さえした。
そして、なんだかとっても焦った。
何かしないと! なにができる! 世の中に最後の貢献するとしたらどんなこと?
でも、時間がない・・・
恐怖、不安、焦り、どうせ・・・、
この手の感情や思いが影のように付きまとう、そんな時期があった。
病院の消灯後の時間は、待ってましたとばかりにわたしの心を魔物たちが占領しに来る。
乳がんとわかってからこれまで、特に一年目などに感じたこと、思ったことを
いつかちょっとでも書いていきたいと思っていた。
気まぐれなシリーズものとでもしょう。
うっかりしていた。
まだ先のことだと、旅行社に支払いに行くのをすっかり忘れていた。
支払期日あと数日! 明日行かねばだ。
これまでの海外旅行と言えば、九分九厘アジア。(とういうか大半は中国だけど)
今回は、なぜにポーランド・・・
「レンガの割れ目一つに至るまで」という「街の復興にかける市民の不屈の熱意」で復興されたワルシャワ旧市街。
当時の市民のみなさんの思いを考えながら、その地に実際に立ってみたいのだ。
また、アウシュビッツ強制収容所を訪れたいと思う。
ナチスによるユダヤ人強制収容所、そこから奇跡的に生還を果たしたヴィクトール・フランクル。
彼が書いた『夜と霧』を出発前にもう一度読んでみようと思っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『ポーランドは第二次世界大戦でナチス・ドイツの侵攻を受けます。
1939年には美しい王宮が空襲を受けるなど被害を受けていましたが、壊滅的な悲劇は1944年に起こりました。
この年、ワルシャワでは暴力と迫害に耐えかねた市民たちが立ち上がり、「ワル シャワ蜂起」 を起こしたのです。
しかし2ヶ月の後、約20万人の犠牲者を出し全滅、ナチス・ドイツの爆撃と火炎放射による破壊活動によってワルシャワの街の80パーセント以上が瓦礫と化してしまいました。
そして蜂起の最後の砦となっていた旧市街一帯は、最も徹底的に破壊しつくされたのです。
しかし、戦後、ワルシャワ市民たちは旧市街の街並を昔の姿のままに再建すること を決意します。
実は市民たちは建築科の学生を中心に、戦前や戦時中危険を承知で市街の隅々に至るまで入念なスケッチを残していたのです。
市民たちは亡くなった家族や仲間への想い、愛国心を胸に、スケッチや歴史的絵画などを手がかりに、跡形も無く瓦礫の山となってしまった一つ一つの建物を 「レンガの割れ目一つに至るまで」 忠実に再現したのでした。
再建作業には建築家や修復の専門家だけでなく、ワルシャワの多くの 一般市民が参加し、戦後何年もの時間をかけて驚くほど丹念に進められました。
この努力は見事に成功を収め、戦前と寸分たがわぬワルシャワの旧市街が蘇ったのです。
ですから、今日我々が見るワルシャワ旧市街はまるで中世の街並そのものですが、実際は戦後わずか数十年の歴史しか持っていません。
1980年、ユネスコは街自体の歴史的価値ではなくこうした 「街の復興にかける市民の不屈の熱意」 を評価し、ワルシャワを世界遺産に登録することを決定したのです。』
「ポーランド政府環境局公式サイト」参照
NHKは22日、学校法人「森友学園」(大阪市)の籠池泰典氏に対する23日の国会証人喚問を、総合テレビで中継すると発表した。
参院予算委員会での証人喚問を午前9時55分から同11時54分まで、
衆院予算委員会での証人喚問を午後2時半から同5時5分まで予定している。
通常、総合テレビで中継している選抜高校野球は、証人喚問と重なる時間帯をEテレで放送。
大相撲春場所はBS1に移行し、証人喚問が終了後に総合テレビで放送する。
待ってました! の証人喚問。
高校野球は<育英>の初戦だけど、、午後も用事を入れたいところだけれど、、
キャンセル!!
何が語られるかリアルタイムでしっかり見ておきたい。
一体誰が嘘つきなんだ!?
今年の3・11を過ぎ、また同じように寒い夜だ。
あの時は、寒くて、寒くて、
そして、暗くて、暗くて、
あったかい
明るい
それだけで、とてもしあわせな気持ちになれる。
人にも言えるかも。
あったかい人
明るい人
そんな人の傍にいると、それだけで幸せ気分になれそうだもの。
こんなことを娘にも話してみた。
そしたら、
「みつをも同じこと言ってたよ。」
みつを・・・ みつを って・・・
相田みつをさん?