ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

今年度終わり

2017-03-31 | 2017年

今日で今年度も終了だ。

と言っても仕事している訳でもないから、

一年の三番目の月が終わったって感じかな。

 

一般的な節目。

その人にとっての大事な節目や何かの節目。

いろんな節目・・・

 

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夫人の・・・?

2017-03-30 | 2017年

娘が。。

「夫人ずき だと思ってたぁ、夫人づき だったんだね。」

このところテレビから聞こえてくる、 「夫人付き」 の言葉。

耳から入ってくるこの言葉を娘はてっきり「夫人好き」と思っていたらしく。

”夫人好き、夫人好きって、どんだけ夫人のこと好きな人なんだろう。

と、つい最近まで思っていたそう。

 と  では大違い。

 

それで思い出した、息子が小さい頃のこと。

あの当時、汚職事件のニュースが毎日流れていた。

「お食事券じゃないの?」

なるほど、おしょくじけん だ、と笑えない事件だけれど大笑いしたことを思い出した。

 

今回もちょっと笑えたけど、全然笑える話じゃない。

まじめにしっかり仕事した方があまりにお気の毒だ。

 

 

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スタンス

2017-03-28 | ● 出逢い・しごと

友人のブログに、こんなことが書いてあった。

ある精神科医に聞いた言葉だそう。 

それは彼自身のソーシャルワーカーとして留意しているスタンスに、

ピッタリ重なるとのことだった。



“目の前の一つひとつのケースを大切にしていくことから、すべて始まる”  

というスタンス。



何よりも、自分の直面する目の前の一人ひとりと真摯に対峙することが大事だし、

そこから始まるというもの。

わたしもそのスタンスにうなずけた。 

 

 

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誰かが言った ”いい言葉” ...

2017-03-28 | 2017年


   人生には三つのものがあればいい  希望 と 勇気 と サムマネー


  「できるか できないか」 ではないんだ  「望むか 望まないか」 なんだ


   人生に失敗がないと  人生を失敗する

 

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2、プラス・マイナス=いくらかでも プラス!

2017-03-27 | わたし&乳がん 1.2.3...

乳がんと確定してから、ある時期、欲しいものがなくなった。

オシャレな服を買おうとか、靴を買おうとか、、  要らない。

それより、持っているものをサクサクと処分にかかった。

入院中、同室の方も同じこと言っていた。 

その方は人に教えるくらい編み物が上手で、セーターやらカーディガンやらたくさん持っていたそう。

でももう着ることもないだろうし、もらってくれる人もないだろうと、随分捨てたって。

時間が経って今思えば、「残しておけばよかったわ。」と言っていたのも思い出す。

心の心境は、このように流れていくのかもしれない。

 

欲望消失!の前、がんとわかってすぐくらいは逆で、色々欲しくなった。

美しいものきれいなもの可愛いもの素敵なもの 気にいったもの 

 

一番近くでいっつも一緒で、一向に離れてくれないわたしの家族?分身? 

別の名を乳がん!

大変化が勃発し、戸惑いと疲弊した精神、その均衡を保つかのよう。

無駄遣いだとか贅沢だとか、ではなく絶対的必需品!だった。

 

 

5年も飲み続ける薬。 小銭いれだと思う、わたしは薬入れにした。

白い薬袋から毎日飲むより、気に入ったものから出して飲みたい。 気分が違う!

5年もなんだから・・ 

 

 

入院の時持って行った小物入れ。 

実物はもっと素敵にエレガント

  

 

 

さて、現在は・・・

物欲は完全にしっかりと戻った。

 

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1.次元が違う恐怖 

2017-03-25 | わたし&乳がん 1.2.3...

一斉に!

一斉にだ! 何事が起きたのか!?

何千匹ものねずみが天井板一枚の上を、右往左往の猛ダッシュで駆け廻っている。

少し近いといえば、そんな感じだろうか。

 

まるで何々のよう、とか、こんな感じだ、とか。

本当は何に例えても当たらない。

例えようがないのだ。

あえて言うなら、なんだろう・・・ ?

 

次元が違う恐怖

 

生まれて初めての体感だった。

だから、どう表せばいいのかわからなかった。

ザワザワザワ!!!!!! と体中に駆け巡ったものの正体は・・。

当たっていようがいまいが、感覚として一番ピタッときたのが、次元 が違う!という言葉だった。

 

術前説明にはなかった事実。  手術して分かったこと。

わたしの乳がんはリンパ節に転移していた。

あれは、Dr:Gにそのことの説明を受けた夜のことだった。

 

わたしの人生には終わりがある・・

死が最も現実的に、あらゆる方向から急激に、または、じりじりと迫ってきた夜だった。

がんがわかって考えたこと、わたしは凛としていたかった。

その思いは一挙に打ち消され、自分が一旦砕けていく気さえした。

そして、なんだかとっても焦った。

何かしないと! なにができる! 世の中に最後の貢献するとしたらどんなこと?

でも、時間がない・・・

 

恐怖、不安、焦り、どうせ・・・、 

この手の感情や思いが影のように付きまとう、そんな時期があった。

病院の消灯後の時間は、待ってましたとばかりにわたしの心を魔物たちが占領しに来る。

 

 

 

乳がんとわかってからこれまで、特に一年目などに感じたこと、思ったことを

いつかちょっとでも書いていきたいと思っていた。

気まぐれなシリーズものとでもしょう。

 

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ポーランドな訳

2017-03-24 | 2017年

うっかりしていた。

まだ先のことだと、旅行社に支払いに行くのをすっかり忘れていた。

支払期日あと数日! 明日行かねばだ。

 

これまでの海外旅行と言えば、九分九厘アジア。(とういうか大半は中国だけど)

今回は、なぜにポーランド・・・ 

 

 「レンガの割れ目一つに至るまで」という「街の復興にかける市民の不屈の熱意」で復興されたワルシャワ旧市街。

当時の市民のみなさんの思いを考えながら、その地に実際に立ってみたいのだ。

また、アウシュビッツ強制収容所を訪れたいと思う。

ナチスによるユダヤ人強制収容所、そこから奇跡的に生還を果たしたヴィクトール・フランクル。

彼が書いた『夜と霧』を出発前にもう一度読んでみようと思っている。

 

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『ポーランドは第二次世界大戦でナチス・ドイツの侵攻を受けます。

1939年には美しい王宮が空襲を受けるなど被害を受けていましたが、壊滅的な悲劇は1944年に起こりました。 

この年、ワルシャワでは暴力と迫害に耐えかねた市民たちが立ち上がり、「ワル シャワ蜂起」 を起こしたのです。

しかし2ヶ月の後、約20万人の犠牲者を出し全滅、ナチス・ドイツの爆撃と火炎放射による破壊活動によってワルシャワの街の80パーセント以上が瓦礫と化してしまいました。 

そして蜂起の最後の砦となっていた旧市街一帯は、最も徹底的に破壊しつくされたのです。

しかし、戦後、ワルシャワ市民たちは旧市街の街並を昔の姿のままに再建すること を決意します。 

実は市民たちは建築科の学生を中心に、戦前や戦時中危険を承知で市街の隅々に至るまで入念なスケッチを残していたのです。

市民たちは亡くなった家族や仲間への想い、愛国心を胸に、スケッチや歴史的絵画などを手がかりに、跡形も無く瓦礫の山となってしまった一つ一つの建物を 「レンガの割れ目一つに至るまで」 忠実に再現したのでした。

再建作業には建築家や修復の専門家だけでなく、ワルシャワの多くの 一般市民が参加し、戦後何年もの時間をかけて驚くほど丹念に進められました。

この努力は見事に成功を収め、戦前と寸分たがわぬワルシャワの旧市街が蘇ったのです。 

ですから、今日我々が見るワルシャワ旧市街はまるで中世の街並そのものですが、実際は戦後わずか数十年の歴史しか持っていません。

1980年、ユネスコは街自体の歴史的価値ではなくこうした 「街の復興にかける市民の不屈の熱意」 を評価し、ワルシャワを世界遺産に登録することを決定したのです。』 

 「ポーランド政府環境局公式サイト」参照

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嘘つきはだれ!?

2017-03-23 | 2017年

NHKは22日、学校法人「森友学園」(大阪市)の籠池泰典氏に対する23日の国会証人喚問を、総合テレビで中継すると発表した。

参院予算委員会での証人喚問を午前9時55分から同11時54分まで、

衆院予算委員会での証人喚問を午後2時半から同5時5分まで予定している。

通常、総合テレビで中継している選抜高校野球は、証人喚問と重なる時間帯をEテレで放送。

大相撲春場所はBS1に移行し、証人喚問が終了後に総合テレビで放送する。

 

待ってました! の証人喚問。

高校野球は<育英>の初戦だけど、、午後も用事を入れたいところだけれど、、

キャンセル!!

何が語られるかリアルタイムでしっかり見ておきたい。

一体誰が嘘つきなんだ!?

 

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折角だから六年越しだけど

2017-03-22 | 言の葉BoX

 

<山田洋次監督と 大連と> 2011年

新年早々の地元紙(河北新報)に掲載された 山田洋次監督の言葉。

その含蓄あるお話に、深くうなずきながら読んだ。

笑い・・・ (真に)文化的な暮らし・・・  想いやり・・・


「家族であれ近所であれ職場であれ、人と仲良くしていくには、

非常に知的な努力が必要だと思うね。  

そこには、笑いが大事。

ストレートに言えば角が立つことも笑い話にして、

その奥に本音をそっと提出するようなことが、文化的な暮らしといえるんじゃないか。

この一工夫が想いやりだ。  

本音を言っちゃうと 身もふたもない。

『男はつらいよ』の寅さんに言わせれば、

『それを言っちゃあ、おしまいよ』 となる。 」


わたしたちが幸福に生きるためのヒントとは?

 

「一つには、

日本人がみんなで考えるテーマを持たなきゃいけないということ。

例えば、解決されていない平和の問題がある。

沖縄の米軍基地のことは、沖縄県民にだけ背負わせていてはいけない気がする。

もう一つは、

『人生では何度か、ああ生まれてきて良かったと思う瞬間がある。 

そのために人間は生きているんじゃねえか。(寅さん) 』 

そういう瞬間は誰にでもあるはずで、

それをたくさん胸に抱いた人が幸せなんだと思う。

でも、どちらかと言えば嫌なことの方が多くて、それをクリアしていくのが人生。 」

 
仕事したての二十代のころ、初めて観た 『男はつらいよ』 を思い出す。

ある子ども(中学生)との関係がうまくいかず、毎日がどん詰まり。

いつ笑ったかさえも思い出せないくらい、ひどく落ち込んでいた時のこと。

休みの日、ただふらっと入った映画館で上映していたのが寅さんだった。

単なる時間つぶしだけのはずが、「あれ、、 わたし笑ってる。」 って いつの間にか笑っていた自分に自分で驚いた。

そして、すごい映画だなって思った。

あんなに固くなっていたわたしの心を自然に溶かし、笑いをプレゼントしてくれるなんてと。 

わたしは今も山田作品が大好きだ。 

   
山田監督は中学生の時に中国大連で終戦を迎えたそうだ。

かつて住んでいた家は通称ロシア街に今も残っていて、現在5~6家族の中国人が住んでいるとのこと。

監督はその家を訪れ、今の住人であるひとりのおばさんに会ったことも記事に書かれていた。

        

わたしもロシア街は以前行ったことがある。 

あそこのどこかなんだねと、何か不思議な感じ。
  
今一番行きたいと思うところ。 というか、ず~っと行きたいと思い続けていたところ。 

大連!

行ったら山田監督の家、探してみようかな。

 

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そして行った! 二か月後、わたしは大連に。

写真の建物は見つけたものの、解体される寸前で空き家になっていた。

こんな状況を山田監督が見たら、悲しいかも・・ と思うほどの酷さで。

そこの地域一帯がどうやら新しく開発されるようだった。

 

帰国したらこんなことを載せながらブログにと思っていたら、あの大地震だ。

帰国は地震の三日前。 

ブログどころではなくなり、尻切れトンボ・・  

せっかくだから六年ぶりに。

 

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それだけで幸せ感じれる

2017-03-15 | 2017年

今年の3・11を過ぎ、また同じように寒い夜だ。

あの時は、寒くて、寒くて、

そして、暗くて、暗くて、

 

あったかい

明るい

 

それだけで、とてもしあわせな気持ちになれる。

人にも言えるかも。

 

あったかい人

明るい人

そんな人の傍にいると、それだけで幸せ気分になれそうだもの。

 

 

こんなことを娘にも話してみた。

そしたら、

 

「みつをも同じこと言ってたよ。」  

みつを・・・  みつを って・・・ 

 

相田みつをさん?

 

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