ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

インカのめざめ?

2008-09-29 | 2008年
今日は久しぶりに鉢花を買ってきた。
ラベンダーセージ。

   

あと、スプレーバラ。
そしたら、デンファレ1本おまけしてくれた。 
「入れときましたから!」 とか、 「おまけしときますね♪」 なんて一言も言わないで、バラと一緒に包んでくれていた。
その心づかいが 何気なくて、さり気なくて、、 うれしかった。 

      


それからスーパーで、珍しいじゃがいもを見つけたので買ってみた。
インカのめざめ  というらしい。
夫に “教えてあげよう” としたら、とっくに知っていた。 

      

6個298円で、普通のジャガイモより高め。
「栗のようなサツマイモのような味です。」 なんてお店の説明書きに書いてあったけど、
さて、どうやって食べたらいいんだろ? 
とりあえず、粉ふきいもにしてみた。
ら、大体崩れちゃって、潰れいもになってしまった。 
この写真は、唯一形が残っていたイモ。

     
見た瞬間 「もったいない!」 と、夫。    もっと適した調理法があるそうで・・・  
確かに味は、何となくサツマイモっぽいというか・・・  
でも、また買おうとはちょっと思わなかったけど。 
新ジャガのころの普通のジャガイモの方が、わたしは好きだな。 
二個残ってるから、今度はお勧め調理法でもう一回試してみよう。
  インカのめざめ


芋のこともそうだけど、
昨日は、メラミン について講義(?)してもらった。  夫に。
こんな図書きながら。
でも残念なことに、、、  あの時はわかったと思ったんだけど・・・・     あれ!? 

          


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無駄と効率

2008-09-27 | 2008年
再開されたHPに快調に書きすすめられている、友人の日記。
わたしより遥かに話題に富んでいる彼の日記は、読んでいて面白い。

数日前は、鴨居羊子さんという人のことが書かれていた。
生きていれば83歳くらい(?) で、日本の女性の下着に革命を起こし、女性自身が楽しむファッションとしての下着文化を創造した女性だそうだ。

その鴨居さんが 『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたいから』(ちくま文庫)という著書の中で、こんなことを語っているそう。

  「 “何々らしい人生” と同じく “何々のための人生” も私は否定した」
  「感情や友情や、勉強もおけいこごとも、すべて “のための人生” に結びつける人の多いのをみると、
   人間が合理主義という機械の部品になっている感じがしてならない」

ここに頷きながら、彼も持論を展開。

『どうしてもぼくたちは何かをする時に “自らの人生のため” になることを求めようとする傾向があるといえよう。
 つまり、無駄なものを排除し、どれだけ効率よく生活し生きていくかばかりに眼を奪われてしまってはいないか、ということである。
 でも、果たして人生において 「無駄なもの(体験・出来事)」 といったものがあるのだろうか?
 また、すべての営みを合理的なものとすることで、必ず充実した人生や幸せな生活といったものを手に入れることができ得るのであろうか?
 人生においては、もっと 「寄り道」 や 「佇むこと」 や 「つまづく」 ことも必要なのではないだろうか。     』

って具合に。
どちらかと言えば、わたしも似たような価値観を持っているから彼に異を唱えるつもりはない。
効率の良さや合理化もある時には必要で、大事なポイントになることも頑なに否定したいと思っている訳ではないのも分かるし。

中国に中国語を学びに行っていた時、結構聞かれたものだ。
どうして中国語を勉強しているんですか?  どうして中国に来ようと思ったんですか?  等など、動機みたいなこと・・・
「意義づけ」した答えを絞り出そうとしている自分がいた。
「(将来)○○○するために、中国語を学びに来たんです!」 。 
道理にかなわないといけないみたいな、妙な観念に縛られていたように思えてきた。
そして、余計なものを取り除いて 改めて 「なぜ?」 と考えてみた。
「ただ勉強したかった。  中国語を話せるようになりたかった。
 それには、100%本場の現地に飛び込むのが一番だ! 」   ・・・ これだ。
“来たかった” から来た。  “やりたい” からやる。    いいんじゃない、これで。  そう思った。
もちろん、はっきりした目標目的・夢を抱いて勉強に向かうことも素晴らしいと思うよ。

彼流にいえば、「寄り道」 にあたるのかな。
わたしの人生においてという意味では、結果、随分と有意義な 「寄り道」 になった。
車のハンドルも適度な遊びがないと、大変なことにもなりかねない。

「佇むこと」。
うん、これも時として必要。 


しかし、
しかしだ、、、  今日に限っては、この佇み。
佇み過ぎて一日無駄に過ごしてしまったような・・ 
佇みの意味ちがうって!?




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わたしの布ぞうり完成!!

2008-09-26 | 2008年
今日は前から楽しみにしてた、「布ぞうり講習会」 に行ってきた。
最近もしかしたら、ちょっとしたブーム?
春に申し込むつもりが忘れてて・・・ 
今日先生がおっしゃっていたけど、10人定員のところ120人の申し込みで急遽講習会を増やしたそう。

これが初めて作った、第一号作品!
上手にできましたねと、先生にお誉めをいただいた。

       


履くとこんな感じ。

           

捨てられそうな布もかわいく、そして実用的なものに生まれ変われそう。
家族から、「作って!」 のリクエストがあった。 
息子を除いた家族から・・

出来あがったら、とてもうれしかった。
草履のかたちをキープしながら布を渡していくのが少し難しいかな。
あと、鼻緒のひもを綯うのに四苦八苦していた人も結構いたっけ。
わたしは子どものころ遊びながら経験あったから、その点では苦労はなかった。

こんなことしながら、思った。
遊びの中で学んだことやいろいろな経験は、ちゃんと自分の中に蓄えられているもんだなって。



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『B型自分の説明書』

2008-09-26 | 2008年
朝の番組である本のシリーズが話題になっていた。
血液型の本。
一番はじめにB型の本がでて、それがその後結構なブームになりO型、A型、AB型・・・ と、次々に全型出版されたようだ。
火付け役は、これ。  『B型自分の説明書』
B型の人が自分で自分(B型) の説明ってことで作ったみたいだね。

この本が出てまもない頃、「おもしろいですよ!」 と、B型の人がB型のわたしに貸してくれた。
  
    

どうなんだろね?  血液型。
遊びとして読むには、面白かったけど。
随分前のさださんの歌に、こんなのがあった。

    さだまさし - 恋愛症候群 -その発病及び傾向と対策に関する一考察-.mp3
   

    さだまさし もーひとつの恋愛症候群
   



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中国土産

2008-09-25 | 2008年
シルバーバックパッカーで、ひと月程中国を旅していた方が一昨日帰ってきた。
いただいたお土産が、これ 

     

キクラゲ、ザーサイ、雪菜の漬物(みたいなもの)、ナツメのお菓子。
「らしい」 お土産だ。 

なにより驚いたのが、お土産が入っていた袋。
引っ張ってもびくともしないような丈夫な材質になっていた。
日本の袋と大差ないくらい。
以前ならペラペラで、少し重い物でも入れたらすぐ壊れてたのに。
だから買い物する時は、My手提げ袋を持参したものだったけど。 
これもオリンピック効果?

主に中国の東北地方などを巡ってきたみたい。
昨日、中国語教室でお会いしたら、こんがりいい色に日焼けしていた。 
大連に降りたった初日、泊まるところ探しでだいぶ苦労したらしい。
仙台から大連に向かう飛行機は、到着が夕方になるので、宿がなかなか決まらないとなると相当焦ったことだろう。
数百元のホテルなら苦労しないで探せたかもしれないが、彼が捜したのは1泊50元以内で泊まれるところ。
結局、得体のしれない中国人が自分が泊まることにしてウイークリィーマンション(その人が言うには)みたいな部屋を借り、
そこに替え玉宿泊(?)で手を打ったらしい。
200元なり! 

「旅の話聞かせてください。 」 なんていったら、たぶん洪水のように 「驚くべき事実!!」 が溢れ出してくるかもしれない。

さてお土産、何から食べようかな。 



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てのひら

2008-09-23 | ● “ わたし ”
四か月ぶりに、友人のHPに書き込みがされた。
ソーシャルワーカーの彼は、相談を受けてきたある青年の「自死」に衝撃を受け、
果たして自分には「ソーシャルワーカー」として仕事をしていく資格などあるのだろうか!? と、この数か月自分に問い続けてきたようだ。
そして、その打ちのめされるような衝撃から何とか立ち直れそうな気がしていた矢先、新たなショックが襲った。

この夏、29歳になる女性が病気で亡くなった。
彼女は彼が3年前から色々と相談を受け、心に寄り添ってきた人。
今日の彼の日記は、大量の文字で埋められていた。

~ この間、ぼくはいろいろなことを考えてきた。

彼は3年前に彼女と初めて会った時に、ある 宿題 を投げかけられたそう。
というか、彼は勝手にそう受けとめた。
よくぞ今まで生き残ってこれたと思うほどの彼女の人生。
「殺人以外の他のことは全部やってきたから」 と彼女は笑って語ったという。

そんな道程を抱えていた彼女に、彼は純粋にこう尋ねたくなった。
「教えて欲しいんだけど、あなたやあなたのもとに集まってくる女の子たちが、そのような哀しみと苦悩に満ちた人生の中で生き残っていく上で必要なものって、何なのかな?」
すると彼女は優しく微笑んで、彼に右手を伸ばし 「それは “これ” だよ。」って。
そのしぐさの意味がわからなかった彼は、もう一度尋ねたそうだ。
「だから、これだよ、 『手のひら』 だよ。」
そう言いながら彼女は笑い、次のようなことを話してくれたという。

「昼の世界から排除され、はじかれた私たちは夜の世界で生きるしかないんだよ。
そんな時に明らかに危険と思われる男たちが私たちに寄ってくるんだよ。
『そうか、そうか辛かったんだね』 って言って 『手のひら』 を差し出して、頭をヨシヨシしてくれるんだよ。
わかっているんだよ、そいつらが何を求めているのかは。
でもね、心の奥にどうしようもない淋しさや哀しみを抱えている者にしたら、その危ない 『手にひら』 にすがってしまうんだよ。
私たちが生き残るためにはその 『手のひら』 が、その時には必要なんだよ。」

そう話した後に、彼女は彼の眼をまっすぐに見つめて真剣な眼差しで、
「Kさん、 Kさんは私たちのような人間を支えることが出来る、そんな偽りではない本当の 『手のひら』 を私に差し出すことができるの?」
こう言って、悪戯っぽく笑ったそうだ。

彼は彼女の生前の写真を眺めながら、今も彼女から問われている。
 “Kさん、あの時の 『手のひら』 の意味、わかった?”
 “Kさん、私が欲しかった 『手のひら』 を差し出すことができるようになった?” ・・・って。


わたしは今日、久しぶりに本を読んでいた。   浅田次郎の 「昭和侠盗伝」。
その中に出てくる寅弥という男が我が子のように可愛がっていた勲。
その子が召集されることになった。
絶対帰って来いと言いながら、出征の日 寅弥は思っていた。

「読み書き算術も教えることはできなかった。
そればかりか人並みの説教すらできず、肩車に乗せ、頭を撫でて十五年を寄り添った。
ほかにはなにひとつできはしなかった。   寅弥は俯いて掌を見た。
何もしてやれなかったけれど、この掌が勲の肌の温もりを覚えていた。」


 手のひら・・・   掌 ・・・
 今日は ふたつの “てのひら” のこと  わたしも考えた。




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手紙

2008-09-21 | 2008年
結局、国際センターには行かずじまい。
でも少しは外に出た方がいいかなと、午後から街に出かけてみた。
これと言った用事はないし、行きたい所も特になかったけど。

便箋が欲しかったこと思い出した。
手紙書いてみようかな。
ロフトでしばらく便箋選びをした。
ちょっと落ち着いた秋の雰囲気が感じられるこれにした。

     

今、萩の花が満開。
ちなみに、宮城県の県花はミヤギノハギ。 
                          


滅多に書かなくなった、手紙。
この前郵便局に行った時、素敵な記念切手があったので買ってきたからそれ使おうかな。
あの 「時候の挨拶」 って、日本独特なんだろうか?
短い中に季節を凝縮したような風情を感じる言葉、四角い小さな世界に彩りを与えられるようでもある。

さて、誰に書こうかな。 
こんなこと考えだすと、ちょっと楽しくなるかもしれない。
少し前から書きたいと思っている方が二人ほどいるんだけど、ペンを中々握れないでいるうちにタイミングがずれていきそう。 
わたしは文章を書く時、すごく時間がかかってしまう。
さら、さら、さら~ なんてわけにはいかなくて・・・ 

わたしの好きなインクは、ブルーブラック。
くっきり! と主張しすぎないところが、書いていて一番落ち着けるしピタッとくる。
そして、万年筆がいい。
この万年筆は、大連でかったもの。  
わたしはいい万年筆持ってなくて、だいたいこれで書くことが多い。
大橋堂さんの手作り万年筆、ほしいなぁ・・・。 
手に入ったら、宝物になりそう。

        


昨夜、懐かしい懐かしい友人からメールが届いた。
秋頃帰国すると聞いていたから、そろそろかなと思っていたらもう先月戻ってきたとのことだった。
また、新しい生活が始まるんだね。

チェブラーシカも観たって。
さすが東京、早いです!
仙台は来週の土曜から始まるから、初日に観にいく予定にしている。

彼女は、なかなかの映画通。
それも普通にブームになってるような作品じゃなくて、あまりみんなに知られていないような作品についても詳しい。
超メジャーなハリウッド物みたい作品より、どちらかといえばちょっとマイナー系の物もよく観ているみたい。
味があったり、こだわりがあったりの個性的ないい作品だった気がする。
例えば、、、(違ったかな・・)  ベトナム映画の 『青いパパイヤの香り』 とか、イラン映画の 『運動靴と赤い金魚』 とか・・・
以前一緒に北京やハルピンを旅した時、夜中までベットに横になりながら映画談議に花咲かせたものだ。

思いもかけない便りは、ホント嬉しい。(形はメールであれ、手紙やハガキであれ)
凹みムード漂うわたしに気遣ってくれたのだと思う。
しかも、とてもさり気なく。
「ありがとう」 の気持ちで、手紙が書きたくなった。


      チェブラーシカ



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カラータイマー 黄点滅?・・・

2008-09-20 | ● “ わたし ”
    

     「なにもしたくない 誰にも会いたくない しゃべりたくもない 
      野に咲く花のように 静かに一人でいたい 
      しかし腹がへった 残念だが 腹がへってしまった」

・・・ 星野富弘さんの詩。

なんとなくわたしもそんな気分だ。
少し違うのは、腹はへらない。


カラータイマーが黄点滅してる。
ウルトラマンは危なくなると、胸のタイマーが赤く点滅してたけど、わたしの場合はその前に黄色点滅がくる。
今頃の季節は、調子崩れやすいのもあるんだけど。
「意志」 で何とかしようとしたり、「気持ち」 で割りきったつもりになっても、
「こころ」 が正直にわたしにサインを出してくる。 (上手く言えないけど)

そんな特徴(?)をハッキリ自覚させられたのが、一昨年中国で。
どうしても受け付けられない授業があった。
我慢して出席していたら、段々身体に影響してきて・・
前の晩、当日の朝、授業終了した後、、、 気重になるどころか、吐き気が襲ってきた。
授業終わってからが一番ひどくて、道歩きながら おえっ・・ って感じ。
「まったくもう、こどもじゃあるまいし。」 と、もう一人のわたしは思うのだけれど、何ともいたしかたない。
結局その授業は、受けるのを止めた。  「口語」という会話の授業だった。

こんな感じで、不調になると確実と言っていいほど身体に色々なサインが出てくる。
喉の異物感だったこともある。
この時は、まだこんな自分ということを分からなかったので、病院に行って喉の検査をしてもらった。  
二回あった。 でも、二回とも喉に異常は見られないって。
眼の下のチックというかたちで出る時もある。

パターンが分かった今は、どこにどんな形で症状が出ても実際の問題はそこにはないことが分かるので、
心にかかるストレスだったり、精神面を見つめてみるようになった。
でもそうしても、わからない時もあるけど。

昨日出かける時、三回玄関の鍵をかけなおしてた。
一回閉めてから、「あれ!? 火の元大丈夫だっけか?」 とか、「スイッチちゃんと切ったよね!?」 とか
確かめに行くのはいいとしても・・ 
二回目閉めてからまた なんだか気になって、もう一度鍵開けて中はいって・・・
完全に大丈夫なのは、ちょっと前に確認済だからわかっているのにだ。
こころが落ち着かないとでも言うのかな。
結局玄関とリビング行ったり来たりして、三回鍵をかけ直した感じ。
これは一例・・
これも明らかに、カラータイマー黄点滅!

原因は一つじゃないにしても、 たぶん・・ 
来月の10連休前にはなんとかしたいものだ。
とりあえず明日、気分転換に出かけてこようと思ってる。
  せんだい地球フェスタ2008
                            
  


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曼珠沙華

2008-09-20 | ● 花  自然

実家の 西側の庭に

いつも 咲いていた

曼珠沙華 

花言葉は 

悲しい 思い出 ですってね

 

 

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一期一会 

2008-09-19 | ● 芸術 文化 映画 音楽 本
        一期一会
       

       

           見たこともない空の色 見たこともない海の色
           見たこともない野を越えて 見たこともない人に会う

           見たこともない月の下 見たこともない枝の下
           見たこともない軒の下 見たこともない酒を汲む

           人間好きになりたいために
           旅を続けてゆくのでしょう

           忘れないよ遠く離れても 短い日々も浅い縁も
           忘れないで私のことより あなたの笑顔を 忘れないで

                  ・・・・・
                       
     
 
              
           

        
    




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