今日病院の待合室にいたら声をかけられ、「〇〇さん!? (わたし)」
びっくりしました、Oさんでした。 今は年賀状だけのお付き合いになってますが、以前は色々な事をご一緒していた方。
大きな被害が出た東松島の野蒜という地域に住んでいたので、消息がとても気になってました。
ところがある日、写真と一緒に “被災した方のインタビュー” みたいな記事で新聞に載ってたのです。
ほっとしました。 でも内容は、とても大変なものでした。
自宅は海岸沿いだったため土台を残すばかりですべて流され、実家も大きな被害が。
2メートル程冠水し、お母さんと弟さん夫婦を亡くされました。
Oさん家族も、もしあの地震が夜だったら、完全に生きてなかっただろうとも。
今日は病院の待合室で、しばらく地震後の報告会のようでした。
Oさんは前からそうだったけれど、凄いです。 へこたれない強さと楽天性がある人。
「涙なんてでなかったよ。 それより段々腹立ってきてね。 何か家の物、見つけてやるって家があった所に行ってみたんだけど、皿しかなかったの。 」 と、笑ってました。
そんな平気な訳がないから、自分なりの節というか、、なにかを乗り越えたのかもしれません。
Oさんは昔からいつもそう。 自分がいくら大変でも、困っている人がいればどこへでも吹っ飛んで行くような人。
今回もお知り合いの被災した方(とくにお年寄り) を訪ねては、色々な手続きについてお知らせしたりお手伝いしたり動き回っていたようです。
また、Oさんからお知り合いの地方議員さんのお話も聞きました。 Oさんと同じく家をすっかり流され、今は避難所暮らしの町議さん。 自分もかなりの被災者なのに、避難所から被災した方たちの所に通い連日奮闘されていたそうです。
そんな話しを聞くと余計、政府はいったい何をやってるんだろうと、現地とのギャップを感じずにはいられません。
菅さんはまた変なこと言ってましたね。 一昨日ニュースで聞いた時、「脱原発」なんてそんなはっきり宣言していい訳、菅さん。 それって、みんな(政府) の見解なの?(ホントに?) って感じで聞いてました。
やっぱりね! 『私の考え』 なんでしょ。 それにしても一国の首相がこの緊迫した時期に一私の考えを大々的にメディア使って国民に発表していかがなものか。 いい加減そろそろ内閣全体の方針を聞かせてほしいです。
あちらからも、こちらからもブーイング。 混乱こそ巻き起こせても、何にも (政策も人も) まとめられない人ならいないほうがまし! とわたしも思えてきました。 最近は菅さんテレビで見る度、うんざりです。