ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

悲しい現実は、腹立たしい現実

2011-07-29 | 東日本大震災 from 仙台

悲しい現実。  腹立たしい現実。

うちの保育園でも、お弁当持参の子がでてきました。  今のところひとりですが。

放射能を心配したパパママの判断です。  毎日ママが作ったお弁当とお茶を持ってきます。

食材は、関西から送ってもらっているそう。

ママも毎日出勤前にお弁当を作るのは大変じゃないでしょうか、

そして、みんなが食べているものを見ながら食べたくなっても自分は食べれないちょっと悲しい気持ち?・・・    1歳児なのです。

食事中は楽しいムードで食べながらも、わたしの心の中はなんか複雑・・ 

なにが悲しい現実、腹立たしい現実かといえば、、、   何でこんなことになっちゃってるの!! 

パパやママが心配なのは当然のことです。   

これからどうなるのでしょう、宮城、東北、そして日本。  

 

宮城県は、県全域の牛が出荷停止になりました。 

既に福島がそうだし、岩手も出荷停止を指示する方向で検討が始められ、早ければ週明けにも国が指示する見通しとニュースで言ってたし。 

もう “腹立たしい現実” の何者でもありません。

とにかく、 原発反対!! です。

 

 

コメント

おばあちゃんが見つかった

2011-07-28 | 東日本大震災 from 仙台

久しぶりのブログって感じです。 

このところPCは開いていたのですが、なんか書き込む気力?意欲? がなくて。  暑いのもあるかな。

昨日、昼休みをしに行くと嬉しいニュースがありました。   嬉しい・・・  嬉しいと言いきっていいのかと、ちょっと複雑な気持ちもするのですが。  でも、やっぱり良かったんだと思います。

ずっと行方不明のままだった釜石のおばあちゃんが見つかった。   

同じ職場のYさんのおばあちゃんです。            おばあちゃん

お葬式を予定していた日の二日前のことでした。

お話を聞いてみると、発見されたのは4月だそうです。  

でも、おばあちゃんかどうか分からないまま、三か月経過。  

亡くなった方がたくさんいらして身元確認のためのDNA鑑定が、中々スピーディに行うことが難しかったのでしょう。 

Yさんのおばあちゃんは、DNAと人工関節が決め手になり確認されました。

行方不明のままお葬式をあげる決断をされていたご家族は、さぞかし複雑な思いだったと思います。

おばあちゃんと会えて、ほんとよかった。

 

 

 

コメント

結婚式

2011-07-20 | ● 出逢い・しごと

先日の日曜は職場の方の結婚式でした。   いい結婚式でした。

          

     

          

なんかあの地震後に(特に)結婚する人が増えたという事を聞きました。 

彼女たちも地震が取り持った結婚といってもいいようです。    

  『今夜はひとりだけに、おめでとう!

彼女の実家は、今回の大震災で大きな被害にみまわれた岩手の田野畑村です。

色々なものが一瞬のうちに流されていきました。 家もやっと住めるくらいの二階を残すだけ。

でも幸いにもご両親は無事でした。  ホントよかったです。  

お父さんもお母さんも、あの日、数ヵ月後にこんな日が来るなんて思いもしなかったでしょう。

人生は分からないことだらけ・・  

でも、だからこそ、今日が大事で “今” が大事なのかもしれませんね。

披露宴の途中、ご両親がご挨拶に来て下さいました。 その場に居たわたしたちは、おふたりが無事でいてくれてよかった、生きていてくれたよかったと、涙が止まりませんでした。 

また、幼い頃の写真が写しだされた時も、わたしたちは涙涙でした。 だって殆どが津波で流されてしまった中で、ようやっと残った数枚の写真だから。  よく残ったね、と同じ職場の人たちと話しながら、やっぱり涙でした。

お父さんは嫁に出すなら近くに、、、、 が希望だったみたいです。

でも、どこに居たって娘が幸せなら、お父さんも幸せなんじゃないかなってわたしは思いますけど。

ね、おとうさん。  

             

                          

 

 

コメント

野蒜(東松島町)のOさん、元気だった!

2011-07-15 | 東日本大震災 from 仙台

今日病院の待合室にいたら声をかけられ、「〇〇さん!? (わたし)」 

びっくりしました、Oさんでした。 今は年賀状だけのお付き合いになってますが、以前は色々な事をご一緒していた方。

大きな被害が出た東松島の野蒜という地域に住んでいたので、消息がとても気になってました。

ところがある日、写真と一緒に “被災した方のインタビュー” みたいな記事で新聞に載ってたのです。

ほっとしました。     でも内容は、とても大変なものでした。

自宅は海岸沿いだったため土台を残すばかりですべて流され、実家も大きな被害が。

2メートル程冠水し、お母さんと弟さん夫婦を亡くされました。 

Oさん家族も、もしあの地震が夜だったら、完全に生きてなかっただろうとも。

今日は病院の待合室で、しばらく地震後の報告会のようでした。 

Oさんは前からそうだったけれど、凄いです。   へこたれない強さと楽天性がある人。

「涙なんてでなかったよ。 それより段々腹立ってきてね。 何か家の物、見つけてやるって家があった所に行ってみたんだけど、皿しかなかったの。 」  と、笑ってました。

そんな平気な訳がないから、自分なりの節というか、、なにかを乗り越えたのかもしれません。

Oさんは昔からいつもそう。  自分がいくら大変でも、困っている人がいればどこへでも吹っ飛んで行くような人。

今回もお知り合いの被災した方(とくにお年寄り) を訪ねては、色々な手続きについてお知らせしたりお手伝いしたり動き回っていたようです。

また、Oさんからお知り合いの地方議員さんのお話も聞きました。  Oさんと同じく家をすっかり流され、今は避難所暮らしの町議さん。  自分もかなりの被災者なのに、避難所から被災した方たちの所に通い連日奮闘されていたそうです。 

そんな話しを聞くと余計、政府はいったい何をやってるんだろうと、現地とのギャップを感じずにはいられません。

 

菅さんはまた変なこと言ってましたね。  一昨日ニュースで聞いた時、「脱原発」なんてそんなはっきり宣言していい訳、菅さん。  それって、みんな(政府) の見解なの?(ホントに?) って感じで聞いてました。

やっぱりね! 『私の考え』 なんでしょ。 それにしても一国の首相がこの緊迫した時期に一私の考えを大々的にメディア使って国民に発表していかがなものか。 いい加減そろそろ内閣全体の方針を聞かせてほしいです。 

あちらからも、こちらからもブーイング。 混乱こそ巻き起こせても、何にも (政策も人も) まとめられない人ならいないほうがまし! とわたしも思えてきました。  最近は菅さんテレビで見る度、うんざりです。

 

 

コメント

青葉城恋唄

2011-07-15 | 東日本大震災 from 仙台

久しぶりにこの歌聞きたくなって you tube で探して聞いてました。  『青葉城恋歌』

コメント見てたら、こんなのが。

「わたしも仕事で2年間仙台におりましたが、忘れられない第2のふ­るさとです。 

 頑張れ仙台! 頑張れ東北! 」

「頑張れ仙台! 頑張れ東北!」 に、 

あいよ!  頑張るよ! って素直に心から言える気がした 今日 です。

 

さとう宗幸 SATO MUNEYUKI - 青葉城恋唄 AOBAJO KOIUTA

 

 

 

コメント

抜糸

2011-07-15 | 2010年 2011年

一週間過ぎたので、今日抜糸に行ってきます。 動かすとまだ少し痛みはありますが、手術前よりは数段動かせるようになりました。 後は少しづつリハビリすれば、力も入るようになるでしょう。

さて、仙台は明日明後日と 『東北六魂祭』 が開催されます。  昨日のニュースで青森からねぶたが到着したことを伝えていました。 東北六県の各県を代表する自慢のおまつり大集合です!

わたしも明日行ってみたいと思っているところ。  夕方からパレードがあるんです。

みなさんもどうぞ仙台、いらしてください! 

                                 東北六魂祭 

 

 

 

コメント

女川から電話!

2011-07-14 | 東日本大震災 from 仙台

長いんだか短いんだか、、、  わたしは、あっという間に過ぎた気がします。

あの大震災からもう四カ月が過ぎました。

丁度三日前の11日の夜、女川に住むえむ子から電話が入りました。

地震の後、自宅に電話をしても通じないし、連絡のとりようのないまま根拠ないけどえむ子はたぶん大丈夫! という気がしていたのです。  根拠ないけど。

もっと早く電話しようと思ったらしいのですが、やはり余裕がなかったのでしょうね。 四か月目の日の電話でした。

「女川は、なんにも無ぐなってしまったよ。・・ 」  と、えむ子。

地震当日の話を聞くと、かなり危機一髪の体験をしたそうです。 もう二度とあんな思いするの嫌だって言っていました。  家族も全員無事、ホントによかったです。

えむ子の娘は今年三月小学校を卒業するのでした。 地震の日はその練習をしていたそうです。 学校に居て助かりました。

卒業式も中学の入学式も遅れて行われたのですが、入学式には制服のブラウスが手に入れられなくて着せられなかったそう。 また、運動着などもしばらくないままで過ごすなど、色々な面で大変な事だらけだったようです。

えむ子は現在、娘と一緒に避難所暮らしをしています。 そして、そこから職場に通っているそうです。  職場は高台にあったため運よく津波の被害は免れ、地震後しばらくしてから再開できました。

あの惨状の中、家族全員無事、そして働ける職場があるということは、本当にラッキーな事だと思います。 

えむ子が言っていました。  「もし〇〇〇(娘)がいなぐなってだら、こうしていながったでば。 とっくに投げやりになって、なんにもしたぐなぐなってだど思うよ。 何とか育てなくちゃねがらね。」 って。

えむ子にとって娘の存在は大きいし、えむ子はお母さんになったんだなと思いました。 たくましいです。

この日の避難所の夕食メニューは、おにぎり、イカの煮物、トマト、ババロア 。  炊き出しをしてくれる方がいて毎日食事をだしてもらっているとのことです。  メニュー的に野菜はあまりでないようなことを言っていました。

突然、「先生、住所教えで。」   「ささかま送るから。」

被災して避難所暮らしのえむ子から、そんなささかま送ってもらうなんて、、、  できません、わたし。

「いいから! いいから! お金使わないで!」  と気持ちだけありがたく受け取ることに。

「でも、今は無理でも落ち着いたら送るから!」 と、えむ子。  

 

えむ子親子に会いに、女川へ行こうと思っています。  

ただ、今はまだ電車が途中までしか通っていなく、臨時バスはあるようですが乗り換え乗り換えで、たどり着くのに中々難しそう。   

JRやバス会社で乗り継ぎを調べながら、今月中には行く予定をたてるつもりです。  23日くらいかな。

これから、おみやげ選びが楽しみです。

                            <縁>えむ子     

                            えむ子 1     

                            生きていた 2    

                        

 

 

コメント

簡単だけど。。 とまと

2011-07-14 | 2010年 2011年

トマトを寒天で固めてみました。

トマトも寒天も身体にはとってもいいとのこと。

見た目もきれいで、案外おいしいです。

夏の来客時の一品に添えたら食卓もかわいく演出できそう。

「お客さん来たらこういうの作って花みたいにするといいんじゃないかな。  」

「いつ来るの!?  誰来るの!?    誰も来ないじゃん。  」  と、むすめ。

まぁ、予定はないんですけど・・・   一応ってことで、言ってみただけで・・・

 

色もきれいなので、花型に抜いてみてもいいかもしれませんね。  

         

 

暑すぎるから、レモンバームとオレガノ写真なんかを。。

           

 

 

 

 

コメント

イケてる? まーすけ

2011-07-12 | ● 出逢い・しごと

土曜日、久しぶりにまーすけが遊びに来て泊まっていった。

もう25年の付き合いになるかな。  今年34才とのこと。  大きくなるのはや! 

わたしの古い物シリーズをご披露していた時、実家から持ってきたかすりの生地を見せた。

色んな柄が綺麗で、いつかパッチワークにしてバックかスカート作りたいなと思っていた。

そしたらその中に、まだ真新しいようなハンテンが混じっていたらしく。  

まーすけがそれを見つけ、いたく気にいって 「これちょうだい!!」 って。

拘りのセンスがビビッときたみたい。  部屋着にしようかな、いやこれ着て出かけるから絶対。

真夜中にふたりで、「おう! いいねぇ!  」  とか言って盛り上がってた。 

アジのあるものやいい物を選ぶセンスは抜群のまーすけ。  確かに着こなせてた。

          

どうよ! なんてポーズとってるし。    

       

この首に巻いたやつ。    ホントはこれ、わたしも凄く気にいったかすり。

丁度少し長めの手ぬぐいくらいの形に切ってあり、今の季節首に巻くのに最適。

大体にして、この柄、お洒落!    ちょっと未練あったけど、まーすけに、、、   あげた。 

たぶん、大事にそして上手に身につけてくれることだろうと思う。

そういうまーすけだもの。

                 

 

子どもの頃、夫があげた20倍のルーペを 「今でも使ってるんだよ。 あれ凄くいいよ。」 なんて、この前言ってた。

知り合いに羨ましがられて、「どこで買ったんですか!?」 と聞かれても、「教えらんね。」 って言うらしい。

かすりのこと母に言ったら、喜ぶんじゃないかな。  

凄く喜んで使ってくれる人いるなんて知ったら。

 

 

 

コメント

こんな感じで。。

2011-07-10 | 2010年 2011年

手術から三日もたつと痛みも殆ど取れてきました。

一昨日の麻酔の注射、最高に痛かったです。

「凄く痛いですからね。」 とDrが予告しただけのことはあった。 ウウウゥ~とのけ反りの脂汗! 

そうこうしているうちに麻酔も効き始めたので、次第に痛みは消えましたが。

でも、切ってるところ見えるってのも嫌ですね。  わたしは恐いから顔は反対向いてましたが。

始まる前にDrにお願いしました。  「あのぉ、、 うわっ・・・ とか、 ん~・・・ とか聞こえるように言わないでくださいね。」 って。 

どうしたって神経は100%左手に向いちゃうわけでして・・・ 。  

終わった時は、こんな感じの手に。

        

翌日の昨日も通院。   昨日辺りはまだ動かすたびに痛みました。

そして、こんな手に。  消毒して大きいキズバン貼っただけになりました。

          

傷が濡れたり汚れたりしたら、(石鹸付けても)洗ってもいいと言われました。

「ええっ、開きそうで恐いんですけど・・ 」 と看護師さんに言ったら、「大丈夫ですよ、縫ってますから。  」 って。    それはそうですが・・  

こういうのホント苦手なので、テープ剥がして縫ってるの見ながらそこ擦って洗うなんて、やっぱりなんか恐い気がして。  『ハラハラ者』 (方言) です。

昨日からまだテープ貼ったまま。  勇気出して新しいの貼らないと。

小さい手術でよかったです。 

残りの人生、あの手術台にまたのるようなことがないようにしたいものです。

 

  話、変わって、  暑い! です。

 

コメント