圓應寺
建長2年(1250)に創建された「閻魔大王」を本尊とした臨済宗建長寺派の寺院、本堂には運慶作と言われる木製の「閻魔大王座像」など亡者が冥界において出会うと言われる十人の王が様々な表情で鎮座しています。
境内は狭く、紅葉の見どころも無いが、本堂は一見の価値ありです。
R21を挟んで建長寺の向かいに位置しており、山門を入ると左手に受付、右に鐘楼、正面に本堂がある
茅葺の鐘楼
本堂
圓應寺を出て次の目的地である壽福金剛禅寺ー英勝寺に向かうため鎌倉街道を鎌倉方面に向かいます、途中でランチを食べようとしたが、鶴岡八幡宮から小町通りに近ずくつれて観光客の数が半端でない、ダメもとでいつも行く蕎麦屋「山路」を覗くと待合室をはみ出した順番待ちの客が外まで続く始末、きらめて他を探すがどこも満席で結局、裏道で店を探した結果、扇ヶ谷の「match point」で何とかカレーにありつけた。
小町通りにある蕎麦処「山路」、一見、料亭風 ランチは喉を潤すビール + ビーフカレー
壽福金剛禅寺
通称が寿福寺、鎌倉五山の第三位の臨済宗建長寺派の寺院、本尊は釈迦如来、源頼朝が没した翌年の正治2年(1200)に北条政子が臨済宗を日本に伝えた栄西を招いて創建された古刹。
見どころは鎌倉市と言われる参道です。
建長寺、円覚寺に次いで鎌倉五山中三位の権威ある寺院だが、佇まいは地味
鎌倉随一と言われる参道
参道にある数本の紅葉が彩を添えて絵になりました
中門の奥が本堂だが、先には進めず参拝は出来ない
英勝寺
鎌倉幕府が滅亡して足利氏の支配となった鎌倉のうち、扇ケ谷の地が補佐役の上杉氏に与えられ、その家臣であった太田氏もここに居を構えていました、その後、太田道灌から四代目の大田康資の息女であった「お八」は徳川家康の側室となって、「お梶」→「お勝」と改めて一女に恵まれたが、幼くして亡くし、その後、家康の命により初代水戸藩主となった徳川頼房の養母を務め、家康の死後は「英勝院」と称しました、その後、三代将軍家光よって寛永13年(1636)に太田道灌の邸宅跡であるこの地に浄土宗の寺院「英勝院」が創建されました、鎌倉唯一の尼寺です。
総門は閉門されており、通用口から境内に入ります 太田道灌屋敷跡の碑
山門 仏殿
鐘楼と総門
竹林
寺院の裏手ある太子堂
この通用口から境内に入る
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