嵯峨山大覚寺
真言宗大覚寺派総本山、貞観18年(876)に嵯峨天皇が開基した古刹で、天皇の離宮を寺院に改めるなど皇族にゆかりが深く、華道の嵯峨御流を今に伝える寺でもあります。
寺伝によると表門の「明智門」とその奥の建物「明智陣屋」は明智光秀が居城にしていた亀山城の一部を移築したと言われているそうです。
名刹と言う事で丸山ドライバーの案内で境内を少し歩く
明智門 大沢池から引き込まれた堀
明智門前で記念写真 明智陣屋
何か催しがあるのか地元の人が並んでいました
明智陣屋
華道嵯峨御流で花が活けられていた
嘉永年間に造られた「勅使門」 1100年前に嵯峨天皇が唐の洞庭湖を模して造った人工池「大沢池」
「花の寺」と言われる勝持寺に行く前に、竹林を撮りたくて「洛西竹林公園」に向かいました
洛西竹林公園
京都市が管理する5,000㎡の竹林で資料館を中心に回遊式になっていた
洛西地区は竹林を開いた土地で、竹林の中にニュータウン、道路が造られていた チャーターしたタクシーとガイド兼ドライバーの丸山氏
竹林公園入口 資料館裏から歩道が続いている
観光客は我々だけ、竹林ともみじのコラボを期待したが、紅葉する木々は無し
竹林前で
孟宗竹の一種、竹の節間が亀の甲羅の様に膨れている品種の「亀甲竹」
応仁元年(1467)の応仁の乱の際、この橋「百々橋」を挟んで合戦が行われたと由来にあった
地下鉄工事建設に際しての調査で、旧二条城跡から発掘された石仏群、永禄12年(1569)に織田信長が室町幕府最後の将軍(15代)足利義明の為に建てた城で、信長は築城の際に各地から石仏を集め、石垣替わりにしたと伝えられ偶像崇拝を嫌った信長の性格一面が見える?
資料館 エジソンが発明した電球は京都の竹をフィラメントにして発明されました
これから行く勝持寺は奥に見える西山連峰の中腹にあります