ランボオと名残りの夏

2012-09-12 | 日記

     

         まだまだ灼熱する太陽                   Warehouse    

「 ランボオの三年間の詩作とは、彼の太陽の様な放浪性に対する、すばらしい知性の血戦に過ぎなかつた。かなぐり捨てられた戦の残骸が彼の歌であつた。芸術といふ愚かな過失を、未練気もなくふり捨てて旅立つた彼の魂の無垢を私が今何としよう。彼の過失は、充分に私の心を撹拌した。そして、彼は私に何を明かしてくれたのか。たゞ 、夢をみるみじめさだ。だが、このみじめさは、如何にも鮮やかに明かしてくれた。 」 ( 『 小林秀雄全集  第1巻 』 から 「 ランボオⅡ 」 を引用する ) 

小林秀雄は芸術のことを 「 愚かな過失 」 と言う。また西脇順三郎は芸術のことを 「 俗 」 と言った。全面板張りの古い倉庫の先端には秋の雲が流れているが、今日もまた、灼熱する太陽にヒマワリさえもグッタリしている。ランボーのように太陽もまた、夏の自分自身を痛烈に惜しんでいるのだろうか、かつての過失のように …。