墓に父の前妻と子が眠りをり二十九歳九歳五歳
墓誌にある異母兄弟とその母は昭和二十年の同じ命日
事実そのままの歌である
21日に静岡まで墓参りに行ってきた。
最近は年2回。
というのは2年前行ったら墓地の隣の土地の空家から蔦の種が飛んできてうちのお墓に絡まってまるで無縁墓のよう!
あまりに情けないので、墓参りの回数を増やした。
蔦は石と石の間にあり根元で抜けずにまた伸びる。それで仕方なく除草剤を撒いて2回目。
今度行ったら枯れていて・・とても嬉しかった。
墓石は少なくとも戦前に立てられたもので風化している。
たくさんの人が名前が刻まれている。
祖父母や幼い時に亡くなった祖父の兄弟。また父の兄弟も乳幼児のときたくさん死んでいるので童子や童女の戒名が多い。
その中で歌にあるように父の最初の妻と二人の子供たちの名前がいつも心に刻まれる。
3人が亡くなったのは昭和20年6月・・・あと2ケ月で終戦だったのに。
しかしこの人たちが生き延びていたら私は生まれていないので、複雑な心境だ。
普通の家庭で異母兄弟がいるのは珍しくなかったし、私もそうでした。
だから私たちより少し年上の人は、継母に育てられたり連れ子だったり、近所にはそういう人は多かったです。
そのような人達は、今思い出すと、思慮深く努力家の人が多かったけれど、そうでないタイプは少数ですが、反抗して親をてこずらせる人もありました。
この複雑な家庭である程度の苦労をしながら育つことは、不幸なばかりでなく、ある意味豊かな人間関係の勉強をして来たとも言えるのかも知れない、と最近思うようになりました。
色々な微妙な感情、深い所に潜んでいる感情を経験しながら成長するわけですから。
それで父や母が違う兄弟が一緒に育つこともよくありましたね。