図書館で河野裕子の第一歌集「森のやうに獣野やうに」と第二歌集の「ひるがほ」と「桜森」抄の載っている本を借りた。
第一歌集は25歳のとき、
当時20代で歌集を出すことはまれで(初めて?)話題になったという。
一番有名な歌はこれ、
たとえば君 ガサッと落ち葉すくふやうに私をさらって行ってくれぬか
高校の教科書にも載っているそうだ。
旧かなで書かれているけれど口語調で、斬新で大胆な歌。
第一歌集の最後の歌
言ひかけて開きし唇の濡れをれば今しばしわれを娶らずにゐよ
も好きだ。
他にも瑞々しい相聞歌であふれていて青春歌といえばまさにそのもの。
こういうのはある時期にしか詠えない。
しかし20代といえば人生経験は浅いわけで、歌そのものから透けて見える人生の深みは当然まだない。
それを補うものとして言葉のイマジネーションの深さ豊かさがある。
生きていること自体があふれるほどのイメージの中なのだ。
河野裕子の割と最近の歌集も図書館で読んでみた。
「庭」だったか。。
このときはもう彼女は55歳過ぎているはず。
当然青春時代の歌とはまったく雰囲気が違う。
まったく日常のことが詠われていた。
、例えば息子が独立して家を出て行ったとか、引越ししてきた家の様子とか、
歌を読んでいて何かそれによって喚起されるイメージの世界というのがない。
私の好みは歌の背後にイメージや想像の世界が広がっていくものなので読んでいて退屈してしまい、全部読まないうちにやめてしまった。
これは河野裕子の歌が平凡ということではなく、私の求めている歌でなかったというだけだろう。
思えば河野裕子は一貫して想像や幻想を歌う歌人ではなかった。
若いとき恋愛をしている時はそのことを詠い、結婚すれば夫となった人のことを詠い、子が生まれれば出産の時のことを詠い、子育ての時はその事を詠う。
今は病気を克服した静かな心境を詠っているのだろう。
同じように若い頃から歌人となり結婚し子供が出来ても、日常の歌ではなく想像力を羽ばたかせた歌を詠う人もいる。
私の好みはそちらの線。
私自身日常のことはほとんど詠えないので。
第一歌集は25歳のとき、
当時20代で歌集を出すことはまれで(初めて?)話題になったという。
一番有名な歌はこれ、
たとえば君 ガサッと落ち葉すくふやうに私をさらって行ってくれぬか
高校の教科書にも載っているそうだ。
旧かなで書かれているけれど口語調で、斬新で大胆な歌。
第一歌集の最後の歌
言ひかけて開きし唇の濡れをれば今しばしわれを娶らずにゐよ
も好きだ。
他にも瑞々しい相聞歌であふれていて青春歌といえばまさにそのもの。
こういうのはある時期にしか詠えない。
しかし20代といえば人生経験は浅いわけで、歌そのものから透けて見える人生の深みは当然まだない。
それを補うものとして言葉のイマジネーションの深さ豊かさがある。
生きていること自体があふれるほどのイメージの中なのだ。
河野裕子の割と最近の歌集も図書館で読んでみた。
「庭」だったか。。
このときはもう彼女は55歳過ぎているはず。
当然青春時代の歌とはまったく雰囲気が違う。
まったく日常のことが詠われていた。
、例えば息子が独立して家を出て行ったとか、引越ししてきた家の様子とか、
歌を読んでいて何かそれによって喚起されるイメージの世界というのがない。
私の好みは歌の背後にイメージや想像の世界が広がっていくものなので読んでいて退屈してしまい、全部読まないうちにやめてしまった。
これは河野裕子の歌が平凡ということではなく、私の求めている歌でなかったというだけだろう。
思えば河野裕子は一貫して想像や幻想を歌う歌人ではなかった。
若いとき恋愛をしている時はそのことを詠い、結婚すれば夫となった人のことを詠い、子が生まれれば出産の時のことを詠い、子育ての時はその事を詠う。
今は病気を克服した静かな心境を詠っているのだろう。
同じように若い頃から歌人となり結婚し子供が出来ても、日常の歌ではなく想像力を羽ばたかせた歌を詠う人もいる。
私の好みはそちらの線。
私自身日常のことはほとんど詠えないので。
私はそういう歌が好きで現実そのものを詠っただけの歌は苦手です。
歌集は図書館にはいいのがありません。
与謝野晶子や斉藤茂吉のようなものならありますが、現代の歌人のが少ない。
ついつい歌集を買ってしまいます。
高くつきますね。
河野裕子さんは高校生のときから歌を作って、結婚してからも家事子育てをこなしながら創作活動を続けてこられたのは尊敬します。
これは本当に大変なことです。
「子を打ち・・」
「君を打ち・・・」なんて歌が数首あります。
創作活動との葛藤はすごいものだったでしょうね。
とても率直な感想ですね。
わたしも河野さんのお歌は好きですが、まとめて味わったことはありません。
歌集はほんとに、図書館にもすくなくて、個人の寄贈か、有名歌人のものが、ほんのわずかあるだけです。
わたしの引用する歌なども、その都度図書館から借りてきたアンソロジーからのメモがほとんどです。
生涯作風を変えなかった歌人というのは、沙羅さんのおっしゃるとおり、まれなのかもしれません。
葛原妙子さんなどは、実景を詠っても、幻視のつめたさ深さが感じられます。それが不思議。