『母の蛍』寺山修司の母であるはつの書いた寺山修司の思い出の記。
以前読んだときはその前に数冊寺山修司の近辺にいた人の評論を読んだ後だったた。
それで出来上がったはつ像と『母の蛍』のなかのはつ像がかなり違うので戸惑ってしまい、都合の悪いことは隠しているのではと思いつつ読んでしまった。
以前評論を読んでから長い月日がたち、今回は他人から見た寺山はつ像を排除して素直に読むことにした。
これは寺山修司の母ではなく『子に先立たれた母のそれを悼む思い出の記』として読んた。
淡々と平易な文章で書かれるエピソードに<真実の母の気持ち>が書かれている。
子を思う文学としては秀逸だった。
心が揺り動かされもした。
しかし現実の寺山はつは・・この本に描かれたようにただ子のことだけを思い、子を養うために身を犠牲にして働いて来た人ではないだろうと私は思っていた。
田中未知の『寺山修司と生きて』を読んでみることにした。
この本は2007年発刊で、寺山はつが死んでから書かれている。
田中未知は寺山修司の秘書で長年彼のもっとも近くにいて、彼に献身してきた人。寺山修司が「僕の職業は寺山修司だ」と言ったと同じく田中未知も「私の職業もまた寺山修司だった」とまで本に書いている人。
田中未知は寺山修司の死の3年後突然日本を離れオランダに渡った。
そして20数年の沈黙を破ってこの本を書いた。
田中未知が今になってこの本を書いた思いとは
寺山作品批判への反論、伝記作品の誤りの指摘、
寺山の母の横暴への怒り
彼を誤診してその死を早めた医者の告発・・この三つ。
私が読みたかったのは第3章『母地獄』
ここに具体的なエピソードで語られる寺山はつ像はすざまじい。
私の筆力ではその要点をまとめることは難しいので、興味を持った人は本を読んででみてほしい。
寺山はつに寺山自身も田中未知も周囲の者皆がかき回される。
寺山修司が母と距離を置くために<虚構の母>を繰り返し辱め殺した意味が前よりは解る気がした。
寺山修司の周辺にいた人たち・・・それぞれの立場で言い分は違うのだろう。
この本に書かれた言い分のすべてをそのまま是としていいのかはわからない。
この本を読んでみてくださいと紹介するにとどめる。
しかし田中未知はどういう気持ちで寺山修司が世に出さないでおこうと思っていた短歌を今になって発表したのだろう?『月蝕書簡』
私はいまだそれを読むことに抵抗があって、読んでいない。