学期末の試験が終了し、我々教員は現在は採点期間に入っています。商学部では、この時期、ビジカンと呼ばれる学生の研究発表コンテストを実施しています。今月1日から9日まで開催されています。今年度は対面での発表会は実施せず、参加学生がそれぞれに動画を撮影し、それをアップします。その動画を参加学生が期間中相互に視聴して、評価し合うことになっています。動画は基本的にパワーポイント・スライドに音声と動画を入力した形式です。
この相互評価においては、発表者が他の参加者に評価されます。当たり前ですが評価されるのは発表する学生。しかし、実は評価者も評価されているのです。それはどういうことかといえば、評価者も発表者であるので、自分の発表が評価されれているという意味に加え、評価者の評価眼(評価能力)が試されているという意味があります。相互評価の二重性ということができます。
学生の相互評価をいままでたくさん見てきましたが、評価眼を持たない学生が研究発表を評価すると、自分が理解できたもの、自分に身近な現象取り上げてキャッチーな言葉をタイトルに使っているものを高く評価しがちです。また、教科書に書いてあるような学説を分かり易くまとめただけ、ビジネス書を数冊読んでそこに掲載されていた事例をまとめただけの発表が高い評価を得るという例を、このビジカンで過去いくつも見てきました。
酷いのが、評価する側が適切な文献引用やデータ処理の方法を知らないがゆえに、オリジナルな主張と他人の主張の受け売りとを区別することができず、安易にインターネット上の資料を引き写しただけの発表を、「分かり易いから」という理由で高く評価する例。
自分にとって難解な理論を使用しているものや、自分が使ったことのない統計解析を使っているものは端から評価対象外とする学生もいました。
本来は評価能力を養うべく、教員が指導すべきなのですが、例年なかなかうまくいきません。やはり学生側にある程度の知識が蓄えられ、研究発表の準備の際に、教員から徹底的にダメ出しと改善指示を受けないと評価する眼が生まれてこないのでしょう。なかなか簡単にはこのような指導はできません。
評価能力が養われ、それが自分に向かうと、自分にダメ出しをしながら常に自己を改善する姿勢が生まれてきます。これこそ大学教育で身に着けてほしい能力なのです。自学自習が教育の基本である大学において、必須の項目であると個人的に考えています。
この相互評価においては、発表者が他の参加者に評価されます。当たり前ですが評価されるのは発表する学生。しかし、実は評価者も評価されているのです。それはどういうことかといえば、評価者も発表者であるので、自分の発表が評価されれているという意味に加え、評価者の評価眼(評価能力)が試されているという意味があります。相互評価の二重性ということができます。
学生の相互評価をいままでたくさん見てきましたが、評価眼を持たない学生が研究発表を評価すると、自分が理解できたもの、自分に身近な現象取り上げてキャッチーな言葉をタイトルに使っているものを高く評価しがちです。また、教科書に書いてあるような学説を分かり易くまとめただけ、ビジネス書を数冊読んでそこに掲載されていた事例をまとめただけの発表が高い評価を得るという例を、このビジカンで過去いくつも見てきました。
酷いのが、評価する側が適切な文献引用やデータ処理の方法を知らないがゆえに、オリジナルな主張と他人の主張の受け売りとを区別することができず、安易にインターネット上の資料を引き写しただけの発表を、「分かり易いから」という理由で高く評価する例。
自分にとって難解な理論を使用しているものや、自分が使ったことのない統計解析を使っているものは端から評価対象外とする学生もいました。
本来は評価能力を養うべく、教員が指導すべきなのですが、例年なかなかうまくいきません。やはり学生側にある程度の知識が蓄えられ、研究発表の準備の際に、教員から徹底的にダメ出しと改善指示を受けないと評価する眼が生まれてこないのでしょう。なかなか簡単にはこのような指導はできません。
評価能力が養われ、それが自分に向かうと、自分にダメ出しをしながら常に自己を改善する姿勢が生まれてきます。これこそ大学教育で身に着けてほしい能力なのです。自学自習が教育の基本である大学において、必須の項目であると個人的に考えています。