昨日に続き,名古屋マーケティング・インカレの話です。
私は自分のゼミ生には,勝ち負けにこだわるのではなく,堂々とした,恥をかかない発表をして欲しいと繰り返し話していました。どのブロックに入るかによって採点は変わってしまうものです。また,そもそも人によって何を重視して評価をするのかが違っています。したがって,勝ったチームは,たまたま運よく,ライバルとの差を認めてもらって勝ち上がったに過ぎないのかもしれません。そんなことよりも,「あいつらすごかったな」「よくやったな」と周囲に言ってもらえる発表をしてくれればいいのです。悪くしても,「あいつらバカだな」と陰口を叩かれない,恥をかかない発表をしてくれればいいのです。その声の方が自然で,本音の,心に残る評価になります。
今回残念なことに,うちのゼミの4チームのうち2チームは,堂々としていない,恥をかいた発表をしました。発表前からそうなることは分かっていました。おろかなことに,本大会の数日前に内容を大幅に変更してしまったのです。とても本大会でまともな発表ができるはずがないことは明らかです。今回,評価の高かったチームの研究内容は,春学期の時点で決めた方向性を着実に深化させていました。細かな概念の操作,データの収集・処理,論理の構築をしつこいぐらいに繰り返し見直してきていました。おろかなことに,その2チームは直前に「テーマを深めるアイディアが浮かばないので,変えます」「資料がありません」といって内容を変えたのでした。
彼らはアイディアが浮かばないといった訳ですが,元々たいした専門知識を持たない学生のレベルで,すごいアイディアが浮かぶはずがありません。アイディアというのはまずは他から借りてくるのです。それもいくつもです。そしてそれらをどのように組み合わせるか,修正するのかを突き詰めることによって,やっと少し自分達のアイディアが出てくるのです。
資料がないともいっていた訳ですが,本当にそうなのか疑問です。資料(2次データ)はインターネットで検索をして引っかかるものだけではありません。研究のための資料探しというのは,本,雑誌,新聞など何百から何千と当ってみて(検索できないものは直接ブラウジングして),欲しいものが少し手に入るのだという心構えで行わなくてはなりません。簡単には手に入りません。そして,それでもいい資料・データが収集できなければ,つぎは「足を使って」1次データを収集する努力をしなければなりません。アンケート調査,ヒヤリング調査,観察調査などを行うのです。一度やってうまくいかなければ,何度も手を変えてやるしかありません。これらはアイディアを借りてくるため,アイディアを組み合わせるために必要な作業です。
ゼミのほかの学生達は口々に「元に戻した方がいい」「最初の内容とつながるようにしないとだめだ」とアドバイスしていました。耳を傾けてはいない様子でした。彼らの先輩は,「企業ヒヤリングをした方がいい」とアドバイスしましたが,何のアクションもありませんでした。11月に入り,どうにもこうにもならなくなって,間に合いそうもなかったので,私はとにかく2次データをきちんと集めることをやっと欲しいといいました。しかし,方向性の変更に関してははっきりとは指示しませんでした。なぜならば,内容に責任を持つのは(恥をかくのは)学生達だから,あえて引いて見守ることにしよう,その方が実は厳しい指導になると考えたからです。
学生による研究発表会といえども,安直さはすぐに見抜かれてしまいます。これが社会に出てからの仕事だったらどうでしょう。安直さは通用しないということを学んでくれたなら,今回恥をかいた意義があったのだと思います。
私は自分のゼミ生には,勝ち負けにこだわるのではなく,堂々とした,恥をかかない発表をして欲しいと繰り返し話していました。どのブロックに入るかによって採点は変わってしまうものです。また,そもそも人によって何を重視して評価をするのかが違っています。したがって,勝ったチームは,たまたま運よく,ライバルとの差を認めてもらって勝ち上がったに過ぎないのかもしれません。そんなことよりも,「あいつらすごかったな」「よくやったな」と周囲に言ってもらえる発表をしてくれればいいのです。悪くしても,「あいつらバカだな」と陰口を叩かれない,恥をかかない発表をしてくれればいいのです。その声の方が自然で,本音の,心に残る評価になります。
今回残念なことに,うちのゼミの4チームのうち2チームは,堂々としていない,恥をかいた発表をしました。発表前からそうなることは分かっていました。おろかなことに,本大会の数日前に内容を大幅に変更してしまったのです。とても本大会でまともな発表ができるはずがないことは明らかです。今回,評価の高かったチームの研究内容は,春学期の時点で決めた方向性を着実に深化させていました。細かな概念の操作,データの収集・処理,論理の構築をしつこいぐらいに繰り返し見直してきていました。おろかなことに,その2チームは直前に「テーマを深めるアイディアが浮かばないので,変えます」「資料がありません」といって内容を変えたのでした。
彼らはアイディアが浮かばないといった訳ですが,元々たいした専門知識を持たない学生のレベルで,すごいアイディアが浮かぶはずがありません。アイディアというのはまずは他から借りてくるのです。それもいくつもです。そしてそれらをどのように組み合わせるか,修正するのかを突き詰めることによって,やっと少し自分達のアイディアが出てくるのです。
資料がないともいっていた訳ですが,本当にそうなのか疑問です。資料(2次データ)はインターネットで検索をして引っかかるものだけではありません。研究のための資料探しというのは,本,雑誌,新聞など何百から何千と当ってみて(検索できないものは直接ブラウジングして),欲しいものが少し手に入るのだという心構えで行わなくてはなりません。簡単には手に入りません。そして,それでもいい資料・データが収集できなければ,つぎは「足を使って」1次データを収集する努力をしなければなりません。アンケート調査,ヒヤリング調査,観察調査などを行うのです。一度やってうまくいかなければ,何度も手を変えてやるしかありません。これらはアイディアを借りてくるため,アイディアを組み合わせるために必要な作業です。
ゼミのほかの学生達は口々に「元に戻した方がいい」「最初の内容とつながるようにしないとだめだ」とアドバイスしていました。耳を傾けてはいない様子でした。彼らの先輩は,「企業ヒヤリングをした方がいい」とアドバイスしましたが,何のアクションもありませんでした。11月に入り,どうにもこうにもならなくなって,間に合いそうもなかったので,私はとにかく2次データをきちんと集めることをやっと欲しいといいました。しかし,方向性の変更に関してははっきりとは指示しませんでした。なぜならば,内容に責任を持つのは(恥をかくのは)学生達だから,あえて引いて見守ることにしよう,その方が実は厳しい指導になると考えたからです。
学生による研究発表会といえども,安直さはすぐに見抜かれてしまいます。これが社会に出てからの仕事だったらどうでしょう。安直さは通用しないということを学んでくれたなら,今回恥をかいた意義があったのだと思います。