アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

吾妻線かつての工臨!?~EF12

2021-11-20 18:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

今年は、機関車けん引が当たり前だった工事列車(工臨)の後継であるキヤが台頭し、いよいよ電気機関車の活躍の場が狭まれたと実感した年だった。新型車であるキヤE195系にもバージョンが色々あるようで、新たな被写体としてお好きなファンの方々には歓迎される車輛だろう。アントンKには、あまり見る機会がないせいか、未だ積極的にはなれないでいる。

そして、吾妻線に入線していた砂利を運ぶホキ工臨も最後を迎えたらしい。たまたま夏にこのホキ列車に出くわし撮影することが出来たが、ここも後継のキヤへと代わるようである。普段馴染みこそない列車たちだが、こうも続々と機関車けん引列車が消えていく時代に、やはり寂しさは隠せない。掲載写真は、その吾妻線をいく貨物列車。ホキ5連けん引しているから、今のような臨時の工臨ではないようだが、その前身の列車なのかも。ちょうどペンタ67を購入して最初のカットのようで、何とも構図が定まらない気にくわないカットが残っている。おそらく、ファインダー全体を覗くことが出来ず、見えたままで撮影したのだろう。これも若気の至り、と今では自分の中で許容している。

1978-11-03           193列車               EF12 16       吾妻線:祖母島-小野上

 


冬支度の前に~EF62

2021-11-19 17:00:00 | 鉄道写真(EL)

乗車出来ず悔いが残っているのは、カートレイン以外にもたくさんある。まず思い当たるのは、1990年代に流行ったジョイフルトレインと言われた列車たち。特に品川区の14系改造のサロンエクスプレス東京や、尾久区のスーパーエクスプレスレインボーには一度乗ってみたかった。多客時にも使われたとも思うが、ほとんどが団体専用列車としての運転で、アントンKにはご縁が無かった。もっと言うのなら、小田急のロマンスカーのような165系電車改造の「パノラマアルプス」の展望車で流れゆく車窓を楽しみたかった。旅の新たな魅力の発見が次々と出来たかもしれない。撮影だけに終わったこれらスペシャルな列車たちの画像をみて、今更ながらそう思うのである。

今回は、こんな列車の中から唯一乗車が叶った、品川区のお座敷客車「江戸」の写真を掲載しておく。当時、鉄の先輩方のお誘いを受け、流行っていた「ビール列車」に品川から乗車した。確か相模貨物往復だったか、単純な行路だったはずだが、道中は楽しくてアッという間だったことを懐かしく思い出せる。いつかまたこんな列車に気の合う仲間達と乗車し、昔話に華を咲かせたい。そんな時が来るのだろうか・・・

1994-11-17  9314   EF62 46  12系お座敷「江戸」      JR東日本/信越本線:平原-御代田


乗車が叶わなかった「カートレイン」~EF65PF

2021-11-18 22:00:00 | 鉄道写真(EL)

かつて全国的に活躍していた夜行列車たち。北へ南へと旅立つ場合、夜行列車を使って動くことが多かったアントンKだが、手段がいつの間にか目的に代わっていったこともあるが、その大半は、寝台券を買わずに乗車する座席車の方だった。年々夜行急行が減少していくと、特急寝台を使うことにはいかず、自家用車での夜間移動に代わってしまった。撮影旅行の場合、荷物が多くそして重い事から、どうしても車移動の方が便利で気が利いている。友人たちも連れ出せばコスト面でも・・・

魅力的な列車達がたくさん残っている頃、こんなことをやっていたから、いつかは撮影ではなく乗客になろうと思い続けていながら、その機会を逸してしまった。やはり思い立ったら、即行動に映すべきだったと今さら考えてしまうのだ。

掲載写真は、カートレイン九州という夜行列車。愛車とともに旅が出来る、当時は何とも魅力的に思えた列車。編成後部側に専用の荷物車を連結し、愛車はそこの納めて自分はブルトレのA寝台に横たわるという贅沢列車だった。しかし当時の自家用車の大きさの都合で乗車は叶わず、何度かの撮影のみで列車自体が消滅してしまった。海外ではこの手の列車も当たり前だった当時の風潮だったが、現代ではもう時代遅れと言わざるを得ない列車に思える。鉄道の魅力が年々取り正されつつある現状では、こんな移動は、自家用車をも持たずに飛行機+レンタカーとなるだろう。確かに全てが合理的にスマート。理にかなっている。じゃあ旅は今の方が楽しいか?と問われれば、いや昔の旅の醍醐味が忘れられないと答えてしまうだろう。

1990-07-16   9012    EF651104     カートレイン九州   JR東海/東海道本線:菊川-金谷


ひっそりと消えていったEF64 0番台に敬礼!

2021-11-16 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

まだ都内にデッキ付きの茶色い電気機関車が縦横無尽に走っていた頃、厳つい顔つきで迫ってくる青い電気機関車があった。今にして思えば、その電機こそロクヨンEF64だったのだ。当然1000番台など生まれる前の話で、側面いっぱいの大きなフィルターが誇らしく思い、とても力強く頼もしく思えたものだった。まだ当時は中央線沿線にカメラを持って出歩くことが日常で、オレンジの101系電車に混じって時よりやってくる貨物列車が楽しみだったことが思い出せる。その当時は、大部分の貨物列車が茶色のEF13やEF15だったが、ある時時間をいつもより遅く出掛けてみたら、ロクヨンがやってきて驚嘆した覚えがある。山の機関車がこんな都会にまでやってくるなんて驚いたのだろうか。しばらくそんなロクヨンの列車スジを狙って通った想いが蘇っている。

アントンKがカメラを持ち出した時代は、新宿まで乗り入れていた普通客車列車が消滅した後だから、その頃はロクヨン自体が珍しく思えたはず。こうした想いから、臨時列車となっていた夜行急行「アルプス」や、その折り返しである急行「たてしな」「アルプス」(8404列車)をよく狙っていたのは必然なことかもしれない。比較的後年まで残っていた列車だと思うが、旧客や12系客車を牽くEF64は、アントンKには当時から特別だったように思える。こうしてアントンKにとってのEF64との出会いがあり、中央東線や西線、そして伯備線へと出会いの場を広げていった訳だが、今振り返ってみると、一番の衝撃は、一時ではあるが長岡区へ配置されたEF64が特急「あけぼの」をけん引したことだろうか。流行で茶色にされた37号機は可哀想にも思えたが、38号機とともに誇らしくヘッドマークを掲げブルトレを牽く姿は、ロクヨンファンには掛けがえのない贈り物になったに違いない。とうとう稼働車が37号機1台となっていたここ最近、多くのファンに見送られながら旅立ったと聞く。思えばアントンKが鉄道写真を撮り始めた1975年以来、頭の片隅にいつもいた機関車が、このEF64 0番台だったように思えてならない。ゴーナナやゴハチはカッコよく、いつでもスター機関車だったが、ロクヨンは最後まで武骨な山の機関車だったように感じるのである。

掲載写真は、駆け出しの当時、偶然遭遇したロクヨンの貨物列車を何度も撮影しに沿線に繰り出たときのもの。都内高架線を走る山の機関車ロクヨンのアンバランス感が溜まらなかった。

1975-10-16    487列車   EF64 19          中央東線:阿佐ヶ谷付近


深紅に燃ゆる水郡線の秋~DE10

2021-11-15 19:00:00 | 鉄道写真(DL)

紅葉がピークを迎えている南東北界隈を廻ってきた。

半月前に北東北で色づいた景色を堪能したばかりだが、やはり関東地方での色づきも気になり出掛けてきた。今回は、茨城~栃木~福島まで足を延ばし色彩豊かな日本の自然の中で癒された訳だが、とりわけ水郡線矢祭山(福島県)のもみじは燃えるごとく赤く色づき、とても印象的だった。実際には、ここはピークを過ぎていると思われるが、都内で見るより色が濃く美しい。何とも心洗われる気持ちになりしばし、その光景を楽しんだのであった。

掲載写真は、色々悩んだ末で構図を決めて撮影したディーゼル機関車DE10。あれこれ悩みながらカメラを構える一時は、何事にも代えられぬ充実した時間。色どり豊かな背景を生かしつつ、機関車の動感も表現したかったため、結局カメラを少しだけ振ってしまった。被写体より手前と奥にあるもみじに遠近感をも持たせたかったから、あまりブラシたくなかったのが本音。しかし結果オーライとして次の撮影に活かせるものと信じたい。

2021-11      単9333   DE10 1180      JR東日本/ 水郡線:矢祭山付近