アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

移りゆく季節の中で・・~115系長野色引退!

2021-11-11 20:00:00 | 鉄道写真(EC)

残り1か月を待たずして、現在しなの鉄道で最後の力走を見せている115系電車(S15編成)が引退のようだ。115系電車は、ご承知の通り国鉄近郊型電車の走りであり、アントンKにとっても113系とともにお世話になってきた電車だ。もっともそんな時代は、思い返せば国鉄時代まで遡り、今回のような長野色の115系電車への思い出はほとんど無くなってしまう。民営化されて、地方色が世の中に溢れ出し、それとともに電車への思いも冷めていってしまったのだ。しかし目を閉じれば、当時の音そのものであることで懐かしくも感じられる。いまだ現役で新潟越後線では活躍が続いていることが心強いのだ。

長野のしなの鉄道でも、色々な配色の115系がお目見えしており、一度は訪ねてみたいと思っていた矢先の話だった。最も懐かしく思い入れのある湘南色やスカ色が引退する前に、愛孫を連れて乗りに行きたいと思っている。どの電車に乗っても同じような車輛、走行音。昔の電車はこんなにも個性的だったことを体験から教えてやりたいのである。

掲載写真は、今回話題にした115系の長野色。ちょうど3両編成の写真があったので掲載しておきたい。思い起こせばこの時は、カウントダウンが始まっていた189系「あさま」の撮影が目的だったが、秋真っただ中の追分の築堤にこの長野色は似合っていたことが蘇ってきた。

1995-11-02    344M   115系   JR東日本/信越本線:御代田-信濃追分


今も鉄道が語りかけるものw

2021-11-10 20:00:00 | 旅行

鉄道写真というジャンルが存在するのなら、昔に比べたら随分と世間に認知され、中身も今や幅広くなったと感じている。車両を大きく撮影して記録写真として整理したり、逆にどちらか言えば、風景の中に鉄道を置き、または人物を敢えて画像の中に取り込み、旅情を誘うような撮影技法。スピード感を前面に出し、感情のままに写したような作風。とにかく鉄道写真とは言っても、多種多様な写真が存在している今日、昔と明らかに異なることは、不特定多数の方々の画像をネットを介してみることが出来ることだろう。そこから多くの刺激を貰い、自分に生かせればさらに考えも広がるという物。アントンKも昨今のネット文化に驚嘆しつつも、感心させられることが多くて、大いに楽しんでいる者の一人となった。 

幼少の頃、二本のレールをいつまでも見ていて、飽きなかったことを思い出す。この目の前のレールが何処まで繋がっているのだろうと、想いにふけっていた時代が今さらながら懐かしい。あの頃は、レールがそこにあるだけで、夢が広がったものだった。幼いアントンKに何かを語ってくれていたのかもしれない。そんな想いを画像に閉じ込めることが、今のアントンKの目標になりつつある。

車両の写っていない画像。これまで鉄道写真だということは言いたくないが、山奥に消えていく線路は、どっか切なく、想いを掻き立てる。腕木信号機や、タブレットなど役者も揃い踏みだ・・またいつかここを旅してみたい。

1993-08-21    JR西日本/因美線内にて


秋を彩る特急電車「ビバあいづ」~485系

2021-11-09 17:00:00 | 鉄道写真(EC)

磐越西線繋がりでもう1枚掲載しておく。

この路線の象徴でもあったED77が引退し、その後の貨物列車や客車列車にED75が入線し出すと、アントンKにはとても複雑な心境になったことを思い出す。国鉄時代には、線路規格が東北本線よりも低かった磐越線のために製造されたED77だったが、線路そのもののグレードを上げることで何事も無かったようにナナゴが姿を現わしたのだから、ちょっと拍子抜けした気持ちになったのもごく当たり前だったのだ。

そしてこの路線の花形とも言える特急列車の変遷も意外に多岐に渡っている。東北新幹線が開通したあとでも、上野から特急「あいづ」がそのまま運転されていた記憶があるが、後にそれも短縮されてしまい、郡山と会津若松を結ぶシャトル便の様相に代わっていった。掲載写真は、そんな列車に変貌した「ビバあいづ」号。同じ485系特急型だが、リニューアルに合わせて外観が派手な姿となり、写欲が減退したことも懐かしい。アントンKに言わせれば、斬新というよりは田舎臭い特急に見えていたが、不思議と猪苗代界隈、磐梯高原の土地にはマッチしていたようにも思える。2000年代に入ってから登場した赤べこ485系以降、臨時ではあるものの何の所縁もない583系の入線があったり、485系自体の引退列車が走ったりしたが、並行する高速道の開通による乗客の減少からか、列車自体はかなり整理されてしまった印象なのだ。アントンK自身も出向く機会が減ってしまい寂しいことだが、風光明媚な沿線は昔と変わっていないはずだから、また機会を見つけて旅したいと思っている。

1997-11-08    1042M  ビバあいづ  485系   JR東日本/磐越西線:中山宿-沼上信号場


秋の磐西を走る美しき赤い電機~ED77

2021-11-07 19:00:00 | 鉄道写真(EL)

関東でも紅葉の知らせが届くようになった11月。いよいよ今年も2か月を切ったと考えると、いつもよりなぜか感慨深いものを感じている。何もしないで時間だけが過ぎていく、という時の流れにどこか心の焦りも感じてしまうのである。自身で計画した予定の励行は充実した日々とは程遠く、自分を誤魔化して生きているように思えてならない。何もかもリセットして動き出す勇気が今は一番欲しい。

一番好きな季節に、煮え切らない気持ちが心を牽きづり情けなく思うが、せめて過去のお気に入りの写真でも眺めて一時でも癒されよう。民営化後も良く通っていた磐越西線。普通列車には客車列車も残っていて良い被写体だったが、それに加えて会津方面への団体列車の入線も多く、一日中楽しめた路線だった。喜多方より先の新潟県側は、DD51やDE10のディーゼル機関車が顔を出していたが、福島県側はまた専用機関車ED77の独壇場だった。B-2-Bの独特の走行音も心地よく、奥羽のED78に比べて小振りな車体が好みだった。掲載写真は、更科を越えるED77重連仕業の貨物列車。ここの線形に圧倒されたことは以前にも記述したと思うが、磐梯山の縁を雄大に描く線路の美しさは、この時代に思い知らされた。30年前の今日撮影した、思い出深いコマ。

1991-11-07  5295   ED77 15+11       JR東日本/磐越西線::翁島-更科信号場


懐かしい赤電の復活から・・・~401系

2021-11-05 17:00:00 | 国鉄時代(カラー)

かつて国鉄時代の電車には、通勤型、急行型の間に近郊型電車という区分が存在した。直流電車で言えば、101・103系と153系・165系との間の相当するのセミクロスシート車と言われた電車たちのことだが、いつも乗るロングシート車とは違い、結構なスピードで走り、行先が遠方だからちょっとした旅行気分を味わえた電車列車の記憶だ。名前の通り、車内はロングシートとクロスシートの混合で、クロスシートのボックスを陣取れば優越感に浸れ、道中が充実したものだ。しかし現代の鉄道輸送を考えれば、乗降や混雑度合からか中途半端な車輛として判断され、徐々に減少してしまった。現在では、中距離電車に使用されるE231系などの編成両端部にセミクロス車が見られるようだが、今後はどのようになっていくのか興味が尽きない。

その現代版交直流中距離電車であるE531系に、今回国鉄時代見られた401・403系の赤色を模したラッピング車がお目見えするらしい。むろん車両デザイン自体がかなり異なるから、イメージのみに留まるものの、アントンKにも懐かしい配色を目にすることは嬉しい事だ。常磐線を走る電車基地である勝田電車区(現勝田車両センター)が、この度60周年を迎えるということで実施となったものだが、果たして期間中目にすることは叶うだろうか。運用が広範囲に渡り、該当車も4両らしいので困難を極めるだろう。まあ偶然を天に任せて今後注視していきたいと思っている。

掲載写真は、国鉄時代は、当たり前に見られた通称赤電こと401系近郊型電車。初期車だから低運転台車で、前面窓が大きいのは、153系と同じだ。水戸線のローカルだが、8両編成で今にしたら長く感じてしまう。これも全く別世界の話のよう・・・

1981-11-13               736M      401系      水戸線:福田-笠間