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アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

SGの季節到来(EF58の蒸気暖房)

2018-11-19 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

師走が近づき、朝晩も冷えるように感じる関東地方。そろそろ暖房器具を引っ張り出そうと思う季節になってきた。それでも例年より暖冬傾向というから、幾分季節の進み具合が遅いのかとも思う。身勝手な言い分だが、やはり冬は冬らしく、普通に寒く関東地方にも雪が舞うような季節感が欲しい。昔は都内でも、池に氷が張り、水道管まで凍ってしまい大変だった思い出もあるが、今年はエルニーニョ現象が確認できているらしいから、やはり暖冬の冬になりそう。

北のEF58には、電気暖房装置が設置されていたが、東海道本線を走るEF58には、それがなく冬場の暖房は蒸気暖房と決まっていた。頻繁に荷物列車の設定があったから、ゴハチが蒸気を吹き上げるシーンは、冬場にはよく見かけることができたが、走行中に蒸気を上げて走る姿は限られていたように思う。掲載写真は、蒸気をたなびかせて堂々と複々線を行くEF58のお座敷列車。この頃すでにグリーン帯の81系客車は消滅し、12系を模したような大人しい外観のものとなっていた。

1984-01-14  9444ㇾ  EF58143   大ミハ座敷 東海道本線:山崎-神足


L.フォスターのブラームス・プロ

2018-11-18 07:00:00 | 音楽/芸術

新日本フィル定期公演トパーズシリーズ、ブラームス・プログラムを聴いてきた。

少なくともアントンKが、ブラームスのみの演奏会に出向くのはいつ以来だろう。もしかしたら、朝比奈隆のチクルスまで遡ってしまうかもしれない(1990年代)。実演での話だが、あの時もオケは新日本フィルだった。若い頃は、まだブラームスの良さがわからず、どこか湿り気の多いグレーなイメージを持っていて、聴いていたのは第1第2の交響曲と、ヴァイオリンコンチェルト、いくつかの管弦楽曲、それにピアノ曲くらい。それが、一番苦手だった第4交響曲のチェリビダッケの演奏に触れ突然開眼し、いつの間にか鑑賞レパートリーが増えていった。以降歴史的名演と言われたCDも買いあさり、それまでの印象が随分と変わった。別の機会にこの辺の話も触れておきたいが、今回のフォスターの演奏は、そんな歴史的名演を振り返るような、実に落ち着いた的を得た演奏に感じた。

前半にピアノ協奏曲第2番が置かれていたが、ブラームスのピアノ協奏曲は、協奏曲の中でも重量級であり、日本でも演奏機会が少ないはず。4楽章構成で50分を越える楽曲だから、まるで交響曲のように思えるし、実際曲想ががっしりしていて重いのだ。フォスターの解釈は、奇手を狙わず正攻法であり、各声部のデュナーミクが明確に示され、よってメリハリが浮き出ており、これぞブラームスの響きというポイントがいくつも散見できた。今回のピアノニスト、モーグもオケに負けてはいなかった。抒情的なフレーズは、実に気持ちが入り、オケとの全奏では、強烈な響きを持って主張し、一つの大きな世界がそこにはあったのだ。

後半の交響曲第2番でも同じことが言えるだろう。雑念は皆無であり、伝統的な演奏スタイルのもと、アントンKもどこかじっくり安心して音楽に身を置くことができたように思っている。楽章が進むごとに指揮者、オーケストラ、そして聴衆とに一体感が生まれ、音楽がホール全体を飲み込んでいくことがわかる。そしてそれが終楽章で全開、解き放たれたのだった。熱く高く高揚しコーダに向かって、フォスターはアクセルを踏み、さらに炎を燃え上がらせたのだった。

新日本フィルも、指揮者フォスターの指示を率直に受け止めており、低弦部の主張は明確で図太く安定感がある。もちろんコンマス崔氏の雄弁さはピカイチで、弦楽器群のけん引にとどまらず、指揮者とともにオケ全体を引っ張っていたのは言うまでもない。また今回は、コンチェルトでチェロのトップ奏者の何とも深い祈りのような音色に心打たれたことも記述しておきたい。

 No.597 新日本フィルハーモニー交響楽団 トパーズ

ブラームス  ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 OP83

ブラームス  交響曲第2番 ニ長調 OP73

(アンコール)

ブラームス  間奏曲 OP119-2

指揮   ローレンス・フォスター

ピアノ  ヨーゼフ・モーグ

コンマス 崔 文洙

2018-11-16      すみだトリフォニーホール

 

 


スイッチバックが消える日・・

2018-11-17 11:00:00 | 鉄道写真(EC)

「平成最後の・・・」という言い回しが流行っているとか。確かに来年の春から新たな元号となると、さらに時代が移ったという実感が湧いてくるだろう。何とも切ない時代になったものだ。

鉄道の世界も、効率化、合理化が進み、国鉄を知る者からしたら隔世の感すらしてくる。鉄道趣味も考え方が昔とはかなり変わってきているのだろう。撮影したり、乗車したり、鉄道そのものに触れることで、昔は旅情という目に見えない心の温かさを感じたもの。寂しくなったものだ。

新幹線主体とも言える、現在の鉄道の世界。時代に合わないとの勝手な理由で消滅した寝台列車たち。列車だけではなく、鉄道施設も知らぬ間に変化し過去のものなりつつある。路線廃止、駅廃止が一番良い例だが、今後の鉄道の世界、趣味的見地からも案じている。

山岳地にあった、多くのスイッチバックという鉄道路線も無くなりつつあるのだろう。勾配の途中に駅を設けるため、平坦な線路をひき駅を作り、前後に引き込み線を作って、列車はそこを往ったり来たり。スイッチバックにも多々形状が存在するが、こんな日常こそ現代にはそぐわないこととして扱われることだろう。大多数の乗客は、乗車を目的とはしていないことは理解できるが、こういった非効率の日常にこそ、何かPCでは理解できない世界があるのではないか。

ふと見た写真で、くだらない事を書いたが、ここ中央線沿線も随分と変わってしまい、こんな写真を見ると懐かしさを覚える。おおきなダブルクロスポイントの先の通過線を全力で上る臨時急行「たてしな」。この当時、いつもこのスジには、修学旅行用の167系電車が使用され異彩を放っていた。

1976-06-13  8601M  たてしな51号  Tc167-18    中央東線:初狩駅


心和む癒しの只見線にて

2018-11-15 20:00:00 | 鉄道写真(EC)

紅葉真っ盛りの東北へ行ってきた。

今回は、磐越西線と只見線、そして米坂線まで足を延ばし日本の原風景を心行くまで楽しんできた。天気は今一つだったものの、場所を選べばまだまだ紅葉の奥深い色彩は楽しめ、とても満足できたと思っている。

鉄道車両を大きく撮影する手法も、長年の経験上アントンKの真骨頂ではあるが、被写体をあえて遠くに置き、日本の風土や情景を描いた写風も、これまた新たな美しい世界だと今更ながら考えた次第。気ぜわしくネタ列車を追いかけ、回数を競う撮影なんて無縁の世界。数時間に1本しかやってこない列車をじっくり待ちながら、目の前の自然に自分の身を置く贅沢な時間は、日頃、時間に追われた日常から逃避し、何とも癒される時間だった。心が安らぎ安堵の気持ちが沸いてきた時、目の前の光景の中では、室内楽の調べが脳裏に浮かんでくる。今回はブラームスの切ないメロディがたまらなかった。

2018-11    キハ40形      JR東日本/只見線:会津宮下付近


D51498 復活30周年

2018-11-14 20:00:00 | 鉄道写真(SL)

国鉄がJRに変わり今年で31年。JR化の翌年の1988年、オリエント急行が日本中を廻るという偉業のラストを飾るスーパーサプライズとしてD51498蒸機が復活を遂げた。この日は暮も押し迫る師走の午後、EF5861とこのD51498は重連で上野を出発、大宮までの短い道のりを完走したのだった。

すでにJR西日本の山口線ではC571が復活を果たしていたが、やはり関東地方に蒸機の復活は、当時インパクトが大きかったように思う。国鉄蒸機を知らないアントンKにとっては、最も身近に感じた蒸機だったことに違いない。その後、秩父のC58や、真岡鐡道のC11やC12、さらに北海道にC62が復活する流れとなるが、こうして遡り考えると、D51498の印象や思い出は一番多い。そのD51498が今年で復活30周年を迎えた。30年というと、やはり長い年月だが、どこか自身の人生と同じくとても短く感じられ切ない想いに駆られてしまう。あの頃とは、何もかもが随分変わってしまったが、未だに鉄道にカメラを向けられることに感謝し、またD51498に会いに線路端に立ちたいと思っている。

最近D51498にはご無沙汰なので、昔の画像から掲載しておく。「SL奥利根10周年」の奥利根号。水上を猛然とダッシュをかけるデゴイチは、本当に力強く、いつ見ても勇気と感動を我々に与えてくれる。今年は、SLの不調が多々聞こえてくるが、D51498ともども、益々の活躍を期待し祈りたい。

1999-08-01   9738ㇾ   D51498   SLおくとね   JR東日本/上越線:水上にて