今日は梅雨空の中、娘が紫陽花を求めて友人とカメラハイクに出かけたという。それを聞いてアントンK,どこか嬉しい気持ちになっているので、書き留めておきたい。
普段は、娘と話もろくにしなくなってしまい、昔の面影をたどりながら、最近では想像の域を出たことはなかったが、少し前に今流行のミラーレスカメラを手に入れたと思ったら、仲の良い友人と撮影によく出ているらしいのだ。どんな写真を撮影したのか興味が沸くところだが、それよりもスマホのカメラではなく、一眼カメラで撮影したいという心意気が何とも嬉しいのである。撮影することの楽しさ、それから広がる想像の世界。親父として、人生の先輩として何も伝えられないが、一生の愉しみとして大好きな音楽とともに味わい深いものにしていって欲しい。今はそんな気持ちになっている。
紫陽花は続いてしまうので、今回は特急「あやめ」を掲載。
まだ成田空港がなく、特急「成田エクスプレス」号すら無かった時代、総武、成田線の特急電車は、「しおさい」「あやめ」「すいごう」等、結構バラエティに走っていた。外房・内房線の「わかしお」「さざなみ」は、現在も運転されているが、「あやめ」に至ってはいつの間にか廃止されてしまった。その昔アントンKは、153系・165系が好きだったから、当然房総にも撮影に行ったもの。その急行電車たちが特急に格上げされて生まれた列車達なのである。ご覧のように、この特急「あやめ」には、183系でも初期の0番台が使われている。よく思い出してみれば、181系のあとに生まれた183系は、当初房総特急用として誕生したはず。その後の耐寒型183系1000番台や、碓氷越え用の189系とは一線を画していることがわかる。
この写真は、朝一の列車を狙った時のものだが、6両編成の特急とは随分ローカルな列車だなあと当時は嘆いたもの。電車の撮影は、晴れ順光しかシャッターを切らない、と今思えば一番拘っていた時代だった。
1992-12-11 1032M 特急「あやめ2号」 JR東日本/総武本線:久住付近