最近では、客車列車自体が希少になったためか、普通の12系客車の編成でも話題となっているようだ。実際に磐越西線では「青い12系客車」の名称で臨時列車が走るようだし、昔どこでも走っていた青い12系ですら、目の色が変わる時代なのである。アントンKも頭では理解しているつもりだが、今のそういった風潮にはなかなか着いてはいけないのが実情だ。
まだ宗教臨と呼ばれた団体列車が頻繁に走っていた時代、12系客車は一般的で、旧客車や14系座席車だったら喜んだものだった。もちろん東海道筋ではEF58のけん引が一般的で、それも12両編成はごく普通だったように思う。時代が流れ、12系客車もより豪華でスペシャルな車両に改造が始まり、また地方のローカル客車列車へと転出していくと、いよいよ原型を保った12系客車は減少していったように思う。現在では、JR東日本と西日本に数両ずつ残っているようだが、これらの車両も今後どのように扱われるのか大変興味が沸くところ。ユニットサッシで、窓が大きく開く客車としては、今さらながら大変貴重に思えてきた。先般の大型連休に秩父のパレオに乗車したが、あの客車だって元は12系客車であり、かなりくたびれてはいたものの、窓を開けて外気を一杯浴びながらの旅は、やはり良いものだった。
掲載写真は、まだ12系客車が当たり前だった時代の成田臨と呼ばれる初詣臨時列車。ここ高崎線内は、EF65P型けん引でやってきた。当時は何にも感じなかった列車だが、今のご時世、若い鉄道ファンに方々にはどう映るのだろうか。ご存知のように、この後JR化され、88年から成田線にもEF58が入線することになる。国鉄時代末期の高崎線を行く、もとブルトレけん引機EF65507による成田臨。まだかんな河付近は新線に切り替わる前の旧線で、期間限定とばかり集中的に撮影した思い出も懐かしい。
1986-01-24 9742ㇾ EF65507 12系x10 成田臨 高崎線:新町-神保原