風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

寺男修行中または寺男入門

2005-11-01 00:21:45 | コラムなこむら返し
tree_tomb_oct30この日曜(30日)、母を「樹木葬」で弔った千葉県の天徳寺にて「第3回樹木葬の集い」が行われ、裏方およびお手伝いもかねて土曜日から寺へ行く。その日は何もしていないのに温泉に連れていかれて、歓待を受ける。温泉はヨードを含んだ天然湯ということで、まるで烏賊墨のように真っ黒であり、最初は吃驚した。湯温が低すぎるのが残念だったが、肌がスベスベする。
気持ち良くなったところで、運転をしないでいいボクだけビールを飲んで気持ち良くなる。

翌日の日曜が「集い」の本番で、ボクは朝から生まれて始めて握った草刈り機で駐車スペースを作るため高台の墓地前を草刈りした。もうこの時点からボクはすっかりこの山寺に数十年もやっかいになっている身寄りのない寺男の気分になっていた(あとで住職に紹介された時、「寺男です」と言って、笑いをとった)。これも、修行と淡々と作業に取り組む。
ボクの役割は、草刈りの後、駐車場係り、運転手、配膳係りそしてカメラ係りであった。
この日は、おおよそ90名の樹木葬、桜葬の会員の方が集まったところで、歩いて近くの柿農園の柿畑に柿もぎに行き、帰ってきたところで有機栽培の新米、伊勢海老いりのお汁、煮物などのお昼を食し、歓談・交流をする。
人数的にも伊勢海老などまわってこないのではと覚悟していたが、さいわいにもカラだけだが回ってきた。
受付のテーブルで食事にありついていたボクを、住職が突然指名して先のジョークをとっさに言った。

「天徳寺の寺男です。現在修行中です」

関東圏でははじめての樹木葬の霊園を作った場所は、ボクが母の骨を自然に還した1年前とは違い、たちまちのうちに満杯となったらしい。いま第2区画を行政認可をとるべく整地しており、この葬送の仕方がエコロジカルと同時に「土に還る」思想をもつ日本人にぴったりの方法として人気を呼びつつあることが実感できた。
いや、ともかくも地衣を墓石で埋めつくして、不毛の大地にするよりは、はるかにエコロジカルである。
それに亡くなった家族は死んで花実の咲く樹木として、遺族の前にすがたを表わし、その樹木の栄養に、肥料になっている。そして、それは同時に里山を取り戻す、植樹でもある。
いち早く、樹木葬にして埋葬した母が「にぎやかになって、友だちもたくさんできたよ。ありがとう」とあの世で喜んでいるような気がしてならない。

(写真は生前契約され、この日自分達の為に選んだ樹木を植樹している方々)