中村宏のモチーフは、おそらくフロイト的に解釈すればとても分かりやすい。しかし、それほどの野暮な試みもあるだろうか? ボクは、マンガ家としての生活さえ送ったタイガー立石や、中村宏のような徹底して具象にこだわる「分かりやすい」絵画が大好きだ(タイガー立石に至ってはタブローの中に、コマやオチまであるのだ!)。しかし、また「分かりやすい」ほどには、なかなか絵解きできない絵画にもまたウキウキとさせられてしまう。
蒸気機関車はいまや、第一線から退いた動力機関だが、蒸気タービンを応用した動力機関で産業革命の原動力であった。石炭とともに資本主義を象徴するものだ。そして、それはまた、男根主義的なシンボルとしてももはやレトロなものである。しかし、いまだ鉄ちゃん(鉄道オタクもしくはファンのこと)にとっては蒸気機関車は究極のフェティシズムの対象であろう。
かたや、セーラー服の少女、その少女はしばしば中村宏が描くと「ひとつ目」になってしまうのだが、黒のストッキング(パンスト?)に、黒いセーラー服の制服姿である。
中村は最近のタブロ-作品まで一貫して「機械」や「機関」や鉄道のダイヤ編成のようなモチーフを描き、タイトルにする。その表現方法はおおきく変わったが(むしろやや抽象めく)機械や、機関にたいする関心は一向に衰える気配がない。
中村はかって、自筆の年譜に執拗に飛行機や機関車との出会いや、映画との出会いを書いている。それは、今回の「図画事件」の図版の年譜にも踏襲されているが、中村が少年期に受けたそれらの機械(機関)との出会いのインパクトの強さをあらわしているだろう。そして、それは中村にとって、おそらくエロチックなものとむすびつくのだ。もうひとつのモチーフ望遠鏡とともに……。
1942年10歳/映画『ハワイ・アレー沖海戦』を見る。戦闘機から見るオアフ島のズーミングに見入る。
1944年12歳/B29に光るジュラルミンの美しさをみる。蒸気機関車を見に、しばしば浜松駅に行く。
1947年15歳/鉄道模型に夢中になる。総真鍮製のD51を見に模型店へ通う。
1950年18歳/C62特急つばめを見る。眼前を通過する黒い塊に驚く。
わざわざ、自ら年譜に書き記すほどの偏執、偏愛、驚異。ついには、中村の中ではセ-ラ-服の少女さえもが消え失せて機関車や、飛行機がセーラー服の模様で象られる。いわば、機械とセ-ラ-服の少女が溶け合ってドッキングしてしまうのだ(ペン画「F601機」「少女列車」「少女トロッコ」)。
絵画は中村にとって、少年期からのフェティシズムから解放させるものではなかったのか?
アートも偏執である。中村宏のオブジェ「呪物標本・虫類機械篇」の身の回りの小物に針金で足をとりつけ、昆虫採集のコレクションように並べてみせるその手腕は「呪物記」という著作のタイトルや、この「呪物標本」に見られるような絵画とは、呪物図鑑であると中村が主張しているように思えて仕方がなかった。
(今回、「観光芸術」や50年代の「ルポルタージュ絵画」については、触れられなかった。またの機会にしよう。ただ、映画という仕事にも少年時代憧れていた中村は土方巽の「肉体の叛乱」を8mm撮影しており、今回それが見れることを申し添えておこう。)
蒸気機関車はいまや、第一線から退いた動力機関だが、蒸気タービンを応用した動力機関で産業革命の原動力であった。石炭とともに資本主義を象徴するものだ。そして、それはまた、男根主義的なシンボルとしてももはやレトロなものである。しかし、いまだ鉄ちゃん(鉄道オタクもしくはファンのこと)にとっては蒸気機関車は究極のフェティシズムの対象であろう。
かたや、セーラー服の少女、その少女はしばしば中村宏が描くと「ひとつ目」になってしまうのだが、黒のストッキング(パンスト?)に、黒いセーラー服の制服姿である。
中村は最近のタブロ-作品まで一貫して「機械」や「機関」や鉄道のダイヤ編成のようなモチーフを描き、タイトルにする。その表現方法はおおきく変わったが(むしろやや抽象めく)機械や、機関にたいする関心は一向に衰える気配がない。
中村はかって、自筆の年譜に執拗に飛行機や機関車との出会いや、映画との出会いを書いている。それは、今回の「図画事件」の図版の年譜にも踏襲されているが、中村が少年期に受けたそれらの機械(機関)との出会いのインパクトの強さをあらわしているだろう。そして、それは中村にとって、おそらくエロチックなものとむすびつくのだ。もうひとつのモチーフ望遠鏡とともに……。
1942年10歳/映画『ハワイ・アレー沖海戦』を見る。戦闘機から見るオアフ島のズーミングに見入る。
1944年12歳/B29に光るジュラルミンの美しさをみる。蒸気機関車を見に、しばしば浜松駅に行く。
1947年15歳/鉄道模型に夢中になる。総真鍮製のD51を見に模型店へ通う。
1950年18歳/C62特急つばめを見る。眼前を通過する黒い塊に驚く。
わざわざ、自ら年譜に書き記すほどの偏執、偏愛、驚異。ついには、中村の中ではセ-ラ-服の少女さえもが消え失せて機関車や、飛行機がセーラー服の模様で象られる。いわば、機械とセ-ラ-服の少女が溶け合ってドッキングしてしまうのだ(ペン画「F601機」「少女列車」「少女トロッコ」)。
絵画は中村にとって、少年期からのフェティシズムから解放させるものではなかったのか?
アートも偏執である。中村宏のオブジェ「呪物標本・虫類機械篇」の身の回りの小物に針金で足をとりつけ、昆虫採集のコレクションように並べてみせるその手腕は「呪物記」という著作のタイトルや、この「呪物標本」に見られるような絵画とは、呪物図鑑であると中村が主張しているように思えて仕方がなかった。
(今回、「観光芸術」や50年代の「ルポルタージュ絵画」については、触れられなかった。またの機会にしよう。ただ、映画という仕事にも少年時代憧れていた中村は土方巽の「肉体の叛乱」を8mm撮影しており、今回それが見れることを申し添えておこう。)
それに、結構展覧会の観賞日記書いてるよね。
中村宏のアートへの参考になったでしょうか? ボクの記事は?
ボクに鮮烈な印象を残したのはやはり1969年の現代詩手帖の一年間の表紙絵です。
砂川五番なんていま、住んでるところは近いんだけどね。「砂川闘争」なんて何のことか知らない若者が中村の感想文をブログで書いてるよ。